第3話

 そうのラジオが終わった30分後。

 今、私の部屋の机の上には、ぐちゃぐちゃに書き直されたノートが広がっている。どのページにも消しゴムの跡が残り、指先が鉛筆で真っ黒だ。


「私の夢……」

 ノートに向かって呟くけれど、ペンは一向に進まない。そもそも、夢なんて考えたことがない。


 そう、私は、逃げずに明日のスピーチテストを受けることに決めた。


 いや、正直すでにめちゃくちゃ怖いけど。

 もしかしたら、発表直前になって怖気付いちゃうかもしれないけど。


 だからって、このまま何もしないでいるのは絶対にダメだ……って言い切れるほど、今の私は強いわけでもないけど。

 

 でも、これ以上自分を嫌いにならなくて済むのなら。あわよくば、1ミリでも颯に近付けるのなら。そのために出来ることがあるのなら、挑戦してみたい。


 そう意気込んで机に向かったは良いものの、私は忘れていたのだ。英語が大の苦手だということを。

 

 そもそも、クラスみんなの前で夢を英語で語るなんて、野村くんたちが嘲笑う口実を与えるようなもの。

 

「夢?豚のくせに?」

 そう言って爆笑する彼らの顔が脳裏に浮かぶ。私は握りしめていたシャーペンを放り投げ、重いため息を吐いた。


「逃げたくない」と「どうせ無理」という言葉が交互にぶつかって、動けなくなる。ああ、私はいつもこうだ。


 そのたびに、ふと思い出すのは颯の存在。


 あんなにみんなから愛されて、いつもキラキラしている颯にも辛かった時期があって、それでも踏ん張ったと言っていた。


 私もいつか、颯みたいになりたい。

 ……いや、颯みたいにはなれなくても、せめて颯に恥じない人間になりたい。


 そのためにまず、今の逃げ腰になってる自分に勝たなくちゃいけない。


 そう思い直して、もう一度ペンを握り直す。手が震えて、文字が上手く書けない。

「My dream is……」

 ここまで書いて、また止まる。こんな簡単な文ですら、間違っていないか不安になる。

 だけど、どんなに下手でもいい、書かなきゃ始まらない。


 一文ずつ、ゆっくりと、思い浮かぶことをノートに書いていく。日本語で思ったことを英語に直そうとすると、頭がパンクしそうだ。


 書き終わる頃には夜が更けていた。何ページにも渡って下書きしたノートと、清書した本番用の原稿を眺めながら、小さく息を吐く。

 たぶん不恰好な英文だろうけど、取り敢えずなんとか、自力で完成させることができた。


 よし、次は読み上げる練習だ。


「まい、どりーむ、いず……」


 部屋の中に、私の声が響く。

 声に出すたびに、変なイントネーションが気になって、顔が熱くなる。間違っているのは分かってる。でも、どこをどう直したらいいのか分からない。

 手元の原稿を見つめながら、言葉を繰り返すたび、胸の奥が重くなっていく。


 椅子から立ち上がって、鏡の前に行く。口を動かしてみるけど、ぎこちない私の顔がそこに映るだけ。野村くんたちが笑っている姿が頭に浮かんで、ぞっとする。


 「豚ちゃん、それ英語?」なんて言葉をまた浴びせられるかもしれない。いや、きっと言われるに決まってる。


「ダメだ……やっぱり無理…………」

 つぶやいて、ベッドに倒れ込む。


 布団に潜り込んで、ぎゅっと目を瞑った。考える。考えて、また考える。いくら考えても、答えは一つしか出ない。

「逃げたくない……やっぱり逃げたくない…………」


 今まで、なにか嫌なことがあっても「逃げちゃダメだ」と、何度も自分に言い聞かせてきた。

 でも、今みたいに「逃げたくない」って感じたのは、今回が初めてのことだ。


 立ち上がって、もう一度ノートを手に取る。口を開いて、声を出してみる。

「まい、どりーむ、いず……」


 何度もつっかえながら練習する私が、鏡の中からこちらを見ている。こんな私が、ちょっとでも好きになれる日が来るのだろうか。分からない。でも、今はやめたくない。この瞬間だけは、誰のためでもない、私自身のために頑張っている。


「よし、もう一回だ」


 息を吸い込んで、また声を出した。少しずつ、少しずつだけど、言葉が前よりスムーズに出てくる気がした。

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