第1話
チョークが黒板を引っ掻く音が教室に響いた。英語の村井先生が、特有のきっちりとした文字で「抜き打ちスピーチテスト」と書き込む。
「突然だが、明日このクラスでスピーチテストを実施する」
村井先生が振り返りながらそう言った瞬間、教室中にざわめきが広がった。みんなが顔を見合わせて何かを囁き合っている。先生はそれを気にも留めず、冷静に話を続けた。
「スピーチのテーマは『My Dream(私の夢)』だ。それをこのプリント1枚分にまとめ、それをもとに話してもらう」
村井先生が机の上のプリントを持ち上げると、クラス全体が少し緊張したような空気に変わる。
クラス全員の前でスピーチをさせられる……?
思いもよらない唐突すぎる発表。明らかに心臓の鼓動が早くなり、全身から冷や汗が滲み出てくるように感じた。
人に話せるような「夢」なんて私にあるわけないし、そもそも英語なんてもっと無理。
そんな私の絶望などつゆ知らず、先生は淡々とスピーチテストの説明を続ける。
「ただのスピーチじゃなく、一応テストだからな。急な発表だったとはいえ、今学期の授業を真面目に聞いて勉強していれば、そんなに大した問題じゃないはずだ」
あー、終わった。人生詰んだ。
勉強はどの科目もできないけど、その中でも私が群を抜いて苦手なのが英語。単語は覚えられないし、そもそも読めないし、文法とか言われても全然理解できない。よって、授業にはろくに着いていけていない。
「なあ、豚ちゃんは一体なに話すんだろ?」
いつもの声が聞こえて、体が固まった。野村くんだ。振り向けないけど、声の方向が分かる。先生に聞こえない絶妙な小声。
近くの男子も笑い声を抑えきれずに、机に顔を伏せているのが視界の端に見えた。
「てかさ、あいつ豚のくせに夢とかあんのかな?『生まれ変わったら人間になりたいです』とか?」
クスクスと、周囲の小さな笑い声が耳に刺さる。
「いや、『私の夢は美味しいトンカツになることです』だろ」
野村くんが囁くたび、胸がズキズキと痛む。全員の前でスピーチをするってだけでも怖いのに、本番前の段階で、これだけネタにされてしまうんだもん。
「スピーチは原稿を読んで話してもいいが、あくまでも''スピーチ''だからな。自分のアツい思いをクラスメイトにきちんと伝えようとする姿勢も評価対象だ」
先生の声が低く響くたびに、汗がどんどん止まらなくなる。
どうしよう。本当にどうしよう。
いかに「クラスメイトの視界に入らず過ごせるか」が学校生活における最重要事項の私にとって、人前でスピーチなんてもってのほかだと言うのに。
「このスピーチテストは、今学期の中間テストと期末テストの成績が振るわなかったヤツの休載処置でもある。自覚のあるヤツは死ぬ気で頑張るんだぞ」
ああもう、いよいよこの世の終わりかもしれない。
途方に暮れている私に、野村くんの悪意100%の言葉がトドメを刺した。
「なあ豚ちゃん、英語が話せるトンカツ目指して、せいぜい頑張れな?」
クラスの大半が、笑いを堪えながらこっちを見ているのが分かる。
私は机に目を落として、気にしていないふりを続けるしかなかった。体が震えそうになるのを、スカートの裾をギュッと握りしめて堪える。
すると、絶妙なタイミングで授業の終了を告げるチャイムが鳴った。
村井先生は挨拶もそこそこに「質問がある奴は放課後職員室に来るように」と言葉を残し、バタバタと教室から出て行った。
♔♔♔
はあ、辛すぎる。よりにもよって、どうして英語のスピーチなんて……。
私は憂うつな現実を遮るように、バッグからイヤホンを取り出してスマホを開いた。
スマホのロック画面には、親の顔より見た気がするイケメンの顔写真。ロックを解除したホーム画面にも、同じイケメンの別の顔写真。
イケメンの名は、
いわゆる、私の''推し''ってやつだ。
甘い王子様フェイスとは裏腹に、普段メンバーに見せる顔は、いたずら好きでちょっぴりツンデレ。
でも、ファンにだけはいつも優しい言葉をかけてくれたり、時には照れくさそうに笑ったり、素の部分を見せてくれる。そんなギャップがとにかく魅力的で、彼の人気の理由のひとつ。
ちなみに、Lumineの曲で私が1番好きなのが「not alone」という、ファンに寄り添った応援ソング。
この曲は颯のパートもすごく多くて、歌詞がとっても胸に沁みるんだ。
何より、颯の声を聴くだけで、胸の中にある重たいものが、少しだけ軽くなる気がする。
『君が暗闇でひとり泣いているなら』
『僕が君の光になるよ』
『忘れないで 僕がいること』
どれだけ傷ついても、ひどい言葉を言われても、この歌詞と颯の歌声が響くたびに、何だか少しだけ楽になっていく。彼の歌声は、私の心を包み込んでくれる。
あーあ、私も、颯みたいになれたらいいのに。
顔も声もカッコよくて、いつも笑顔で、キラキラしてて、誰にでもやさしくて、だからたくさんの人に愛されて。
あんな風になれたら、毎日幸せなんだろうなあ。
なんて、つい分不相応なことを考えていると、4時間目の授業が始まるチャイムが鳴った。
慌ててイヤホンを外して、スマホごとズボッと鞄に突っ込んだ。その流れで鞄から取り出した数学の教科書とノートを、バサバサと机の上に重ねる。
これが、私の窮屈ないつもの学校生活だ。
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