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 翌週に入ると、歳末の祭事で、屋敷はてんてこ舞いだった。

 末娘の姫沙夜キサヤは幼少時によく体調を崩していたこともあって、母屋から少し離れた棟をあてがわれており、ゆえにいつも、屋敷の賑わいからは遠い。今の姫沙夜には、かえってそれが有り難かった。

 今日は体調も良く、冷えこみも幾分緩い。姫沙夜はきちんと着替えて、朝食は母屋に出向いて摂った。だが、誰もが腫れ物にでも触るように扱う空気に嫌気がさし、早々に自室に篭った。

 体調が安定してみれば、やはり全ては悪い夢と思いたくなるが、周りの者たちの態度や視線が、そうではないのだと姫沙夜を攻めた。


 本来ならば、レキと祭の出店が並ぶ通りを散歩でもして、豊かな時間を過ごせるはずだったかも知れない。しかし、婚約破棄を承諾した以上、それはどうにも叶うはずのない予定となった。


 そしてこの期間で、姫沙夜の心にも、靂に対する暗雲が生まれていた。


<靂様も、安堵なさっているのかも知れない>

 私という、足枷から解放されて。

 現に、文の一通も来ないのだから。

 

 靂は、この辺りの山岳を治める羅森ラシンの大社の三男としてその生を受けた。だが正妻ではなく妾の子でありながら、秀でた才を持ち、ゆえに疎まれてもいた。

 面倒を嫌った靂の父であり頭領の、家庭を持たせると同時に分社を任せて外に出そうという思惑の先に、麓の領地の娘──姫沙夜との縁談が持ち上がった。姫沙夜の父も、さして当たり障りのない姫沙夜なら、差し出しても良いという考えがあったことは明白だ。


 それでも。

 互いに居場所がない者同士だからこそ、二人は通じ合ったように思えた。

 靂は他の者たちに対しては冷徹な雰囲気ですらあったが、歳の差もあってか姫沙夜にだけは穏やかに接し、口数は多くないものの、決して彼女を蔑ろにするような態度は取らなかった。

 そして、夜の空に瞬く星の話を聞かせ、夜空の読み方を教えてくれた。

 姫沙夜は、暗い空に光る希望を知り、初めて自分をそのまま受け入れてくれる存在に出逢えたのだ。

 

 そう思えたのに。 


 最後に会った時の、穏やかな声、秘めた心を讃えた眼差し──繋いだ手のほのかな温もり。

 今、姫沙夜に残ったのは、その優しい記憶だけだった。だがそれすらも、本当のことであったのだろうかと思うほど遠くなりつつある。


 もう、終わったのだ。

 分かってはいても、不意にこみ上げてくる寂しさは、容赦なく姫沙夜の心を震わせ、揺さぶった。


 耐えられなくなった姫沙夜は助けを求めるように机に歩み寄り、抽斗ひきだしにしまわれた靂からの文を手に取った。

 そこに走る、繊細ながらも力強い文字に、そっと指を這わす。

 口数の少ない靂が、文章では多少雄弁になることが、姫沙夜には嬉しかった。不安を抱える夜も、届いた文を読み返せば、心は均衡を取り戻し、いつしか安心して眠りにつけた。

 何通も交わした言葉は、確かにその時の本心で、それだけは疑いの余地などない。


 だとしたら──この思いの記憶だけで私は生きていける。この先が望めないなら、最後の日まで、そうして生きていくしかないのだ。

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