冬灯火

香月 優希

1

 父から告げられたのは、姫沙夜キサヤの婚約についての残酷な報告だった。

 曰く、あちらの家から、婚約破棄してほしい旨の伝達があったと。


「まあ……そなたの病を思えば、致し方あるまい」

 父は申し訳なさそうに、しかし諦め切った様子で項垂うなだれていた。娘のためにどうにかしたいという覇気も微塵もなく、情けなく肩を落とす父を、姫沙夜は責めることなどできなかった。

「わかりました」

 父が部屋を出て行くまでに、姫沙夜が発したのはその一言だけだった。


 誰もいなくなった部屋で、上体を起こしたままの姫沙夜は、厚い硝子戸の向こうの、葉を落とした木々が並ぶ殺風景な庭を眺めた。

 屋敷の内外では、年を送る祭事の準備に追われて皆それなりに慌ただしく動き回って賑わっているはずだが、この離れはそんな喧騒からは無縁だ。


 初夏に二十歳を迎えた姫沙夜は、腰まで伸びた艶やかな黒髪に、菫色の瞳も美しく、もう少し肌に血色の良さがあれば、申し分ない容姿だ。

 しかし。

 余命がそう長くないだろうと告げられたのは、ついこないだのことだった。

 幼少から何かあればすぐに熱を出し、丈夫とは言えなかったが、長じてからはそんなに寝込むようなこともなくなった。それがこの秋、どうにも起き上がれない日々が続き、いつもと違う身体の不調に見舞われた。その時は、少し重い貧血なだけかとも思われたのだが。

 どうやら現状、完治の見込みはないらしい。


レキ様>


 自分を突き落とした現実に感情がついていかないまま、姫沙夜は、長い白銀髪を背に流した、愛しい婚約者の黄金きんの瞳を脳裏に思い浮かべた。

 幼い頃出会った初恋の相手が許嫁と知った時、どれほど嬉しかったことか。十八で再会してからもうじき二年。七歳上の靂は決して明るく朗らかな青年ではなかったが、知性を感じさせる穏やかな微笑みは、いつも自分を救ってくれた。

 病の状況を知って絶望の淵に立たされた時でさえ、靂を想えば、そんな宣告は覆せる気になれそうなほどの支えになっていたのだ。


 けれど今は──その微笑みを思い浮かべるほどに、今しがたもたらされた現実がじわじわと頭をもたげ、姫沙夜の胸の奥はどうしようもなく軋んだ。


 さりとて下された宣告が本当ならば、無事に結婚まで至ったとて、いくらも一緒になどいられないだろう。子を授かることも、手の届かぬ願いとなった。

 そんな自分が、靂と添い遂げることなど、望めるはずがない。

 病の宣告と相まって、全ての希望が、姫沙夜の手をすり抜けてこぼれ落ちて行くように思えた。

 

<考えたら、当然のこと>


 こうして自分は、ただ終わりの日が来るのを待つしかないのだ。きっと。

 ほんのわずか、胸の奥深くに落ちた棘のような痛みを、姫沙夜は敢えて気づかぬふりで閉じ込めた。


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