第7話「農作業」

 仕事が終わると、凛は家と反対方向の電車に乗った。


 目当ての駅で電車を降り、階段を下りると、いつもの場所に軽トラが停まっていた。


「浩史おじさん、おまたせしました。今日もよろしくね」


 助手席に乗り込むと、運転席の浩史は、ああ、とだけ返事をしてアクセルを踏んだ。


「今朝出荷した分、売れゆきはどうだった? 今日は夕立が降ったから夕方以降のお客さんは少なかったんじゃないかな」


「まあ、ぼちぼちだな。ゴーヤとナスは普段と同じくらいの売れゆきだ。今週末からまた台風が近づくらしいから、今日のうちにたくさん収穫しておいたぞ」


 浩史の言葉に後部座席を振り向くと、そこにはぶどうを積んだかごが山積みになっていた。言われたとおり、かごの量がいつもより多い。


「収穫ありがとう。今日もがんばらないと」


 軽トラは、古めかしい民家が立ち並ぶ集落に入る。そのうちの一つの車庫に、軽トラが停まった。


 ここは浩史の家のガレージ。普通のガレージより大きめなのは、農作物を保管する冷蔵庫だったり、農作物の出荷作業をするスペースだったりを取る必要があるからだ。


 この家で、凛は浩史と一緒にぶどうの出荷作業をしている。そう、凛の家族はぶどう農家なのだ。


 8月後半から9月にかけてはぶどうのシーズンだ。ぶどう畑では、今年も大粒のぶどうがいくつも生っている。浩史はそれを毎朝、地元の道の駅に出荷している。

 

 浩史のぶどうは、この地域では有名なブランドものだ。祖父の代に栽培を始めたブランドで、亡くなった父もそれを引き継ぐべくぶどうの栽培に尽力していた。


 ぶどうのシーズンは稼ぎどきなのだが、浩史だけではできる作業に限りがある。そこで凛も、この時期だけでも手伝うことにしていた。


「仕事の調子はどうだ」


「ぼちぼちかな。最近はそこまで忙しくないよ」


「そうか」


 浩史はそのまま黙り込んだ。ぶどうの袋詰め作業に集中しているようだった。


 口下手な浩史に向かってあまり話しかけるのも気が引ける。凛も黙ってぶどうの房を手に取り、次々とプラスチックの袋に入れていった。


 ガレージは、土の匂いと、ぶどうの甘酸っぱい匂いが混じり、蒸し暑かった。


 浩史は、どうも凛に農家を継いでもらいたいと思っているようだった。


 継ぐようにとはっきりお願いされたことはない。しかし、凛は中学生の頃から、いずれは継いでほしいと思われているんだろうな、と言葉の端々から感じていた。


「ばあちゃんがな、そろそろ腰が悪くなってきてな」


 浩史がぽつりと言った。


「そうなんだ、心配だね。病院には行ってるの?」


「ああ、先週末行ってきたんだが、医者からは重たいものを持つのはやめておいた方がいいと言われたんだ」


 凛はそこで、浩史が祖母の話題を出した理由を察した。継いでほしいと言われるタイミングが、とうとう来たのだと。


 浩史は、実の母、凛の祖母と一緒にぶどうの作業をしている。彼女はまだまだ元気に農作業をしていたが、それでも腰には負担が来ていたらしい。


 祖母が農作業をできなくなると、誰かが代わりに入らなくてはならない。農家は基本的に家族経営だから、祖母から凛にバトンタッチされるのは目に見えていた。


 凛は、正直に言うと、農家を継ぎたいとは思わない。都市圏に近いとは言え、田舎の町で毎日同じ仕事を淡々とこなす生活を何十年もやりたいとは、どうしても思えなかった。


「実はな、おれは世界を旅したいんだ」


 おもむろにつぶやかれた言葉がとっさに理解できず、凛は戸惑いながら聞き返した。


「えっと、旅?」


「そうだ。農園をやる前にやっていた仕事では、しょっちゅう海外出張があってな。海外を飛び回って仕事するのはやりがいがあって楽しかった。その楽しさが今でも忘れられなくてな。農家をやめるタイミングがきたら、世界を旅してまわりたいといつも思っていたんだ」


 初耳だった。


 祖母が農作業をやめると、凛が継ぐことになるだろうということは覚悟していた。マーケティングの仕事も数年で辞めないといけないのだろうなと覚悟を決めていた。


 しかし、浩史も引き続き凛の手伝いに入るのだとばかり思っていた。

 

 しかし、違ったようだ。


「…そっか、浩史おじさんもやりたいことあるもんね」


 それはそうだ。浩史も、父が過労で突然亡くなってから、どうしようもない状況で農園を継いだのだから。

 

 祖父母がやっていた農園を、祖父が亡くなってからは父が継ぐことになり、祖母と父で回していた。しかし、父が過労で亡くなってからは、浩史が急遽仕事を辞めて、父の代わりに継ぐことになった。


 浩史は国内大手のメーカーで海外の渉外を担当し、順調に昇進していたと聞いている。そんな順調なキャリアを断念して、実家の農園を継がないといけなくなったのだから、無念な思いもあったのだろう。


 浩史は、不満をあからさまに見せたりはしなかった。けれど、さとい凛は、浩史が本当は仕事を続けたかったことを敏感に感じ取っていた。


「私も、キャリアのこと考えなきゃな」


 自分に言い聞かせるようにつぶやくと、浩史が小さくうなずいた。


「ああ、頼む」


 その後、沈黙の中、ぶどうの作業が続けられた。

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