第5話「15年ぶりの再会」

 15年ぶりに間近で見る兄は、憔悴しきっていた。


 顔はやつれ、覇気がなく、顔色も心なしか悪い。いつもステージで見せていたあの輝きは、もうどこにもなかった。


「凛、急に来てほんとにごめんな」


 生で聴く声はあまりにも力がない。兄の心痛を思い、凛は切なくなった。


「いいよ、気にしないで。大変だったでしょ。タオル取ってくるね」


 タオルで体を拭いた彼をリビングに通す。凛はふと壁に目をやって、焦った。


 彼のポスターを堂々と張っているのだ。見つかったらからかわれるにちがいない。


 しかし、俊は気づかないようだった。それか、気づいてもからかう気力がないのかもしれなかった。


「悪いけど、シャワー借りていい?」


「うん、もちろん。お湯の温度は自由に調整してくれていいからね」


「ああ、ありがと」


 俊がいない今のうちに、といそいそと部屋を片付けてから、俊のためにお茶を準備していると、背後で足音が聞こえた。


「おつかれさま。お茶を用意してるからよかったら飲んでね」


 そう言いながら振り返った瞬間、凛は思わず悲鳴を上げた。


「お兄ちゃん、服着て! 服!」


 俊はハーフパンツを履いていたが、上半身には何も身につけていない。


「え、服? ああ、ごめんごめん」


 俊の表情が和らぎ、少しだけ笑みが浮かぶ。


「事務所の宿舎でむさ苦しい男たちと同居してると、こんな格好が日常なんだよ」


「私は宿舎のメンバーじゃなくて年頃の女性なんだから、ちょっとは気を付けてよね。もう、びっくりした」


「別に、兄だからいいじゃん」


 そう言いながらもちゃんとTシャツを着てくれた兄に、お茶を差し出す。


「ほら、ソファに座ってお茶でも飲みなよ。あとさ」


 気になっていたことを、思いきって聞いてみることにする。


「今回の騒動って、どこまでが本当なの?」


 さっき穏やかになった俊の顔が、また険しくなった。


「あれは、最初から最後まで、デマだ」


 俊の漆黒の瞳が、ソファの隣に座る凛にまっすぐ向けられる。


「学校で撮られた動画、見ただろ? カメラに映っていないほかの生徒が小柄な子をいじめていて、おれは彼を助けるために割って入ったんだ。自分から危害を加えていたんじゃない。それをORIONが悪意を持って解釈したみたいだ」


「じゃあ、あの週刊誌のインタビューを受けていた、いじめを受けた同級生っていうのは…」


「たぶん、高校時代におれに反感を持っていた奴らのうちの一人が、ORIONと手を組んで、いじめられていたふりをして取材に応じたんだろう。実際、おれには敵が多いからな」


 俊は自嘲気味につぶやき、目を伏せてため息をついた。


「ごめんね、いやなこと話させてしまって」


「いや、でもこんなごたごたもこれでおしまいだと思えば、すがすがしい気分になるよ」


 まだ騒動は終わっていないのに、これでおしまいだなんてどういうことだろう。


 不思議に思った凛は、続く俊の一言に耳を疑った。


「おれはもう、このままアイドル活動をやめてもいいと思ってる」


「…え?」


「もうこのまま活動を終えて、表舞台から姿を消したいってことだよ」


「お兄ちゃんは何も悪いことしていないのに…悪いことしてるのはORIONたちなのに、なんで…」


 なんでお兄ちゃんがやめないといけないの、と続けようとした。けれど、彼のやつれた顔を見ると、続きを言うことはできなかった。


「いや、ごめん、私がどうこう言える話じゃないよね」


 自分に言い聞かせるように言って、話題を変える。


「そうだ、そのソファは自由に使ってもらったらいいよ。あ、でもお兄ちゃん、背が高いから、寝るときはソファからはみ出てしまうかもしれないけど」


 187センチの長身を誇る兄は、女性の平均身長を超える凛よりさらに頭一つぶん高い。先ほどすれ違ってそう気づいたとき、凛の胸は軽率にも高鳴った。


「ありがと。ごめんな」


「うん、大丈夫。もう遅いし、寝よっか。電気消すね」


 ワンルームの部屋は、大人二人だと少し窮屈に感じる。ベッドに上がりながらおやすみ、と俊に声をかけると、小さくおやすみ、と返ってきた。


 実の兄とはいえ、長年会っておらず、推しとして遠くからあがめていた存在だ。そんな憧れの彼といきなり同居するなんて、普通なら平常心でいられるはずがない。


 しかし、彼は今回の騒動で傷つき、疲弊している。


 どんな顔で、どんな態度で彼に接すればいいのだろう。


 ここ一週間は騒動で動揺して眠れなかったけれど、今夜は別の意味で動揺して眠れない気がする。


 と思いつつ、気づけば凛はこの数日で一番早く眠りについていた。


 こうして、世間を騒がせるトップスターとの不思議な同居生活が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る