第6話 アテナイへ。自殺の倫理。カラノスと祭祀の伝統
ブータジーは困惑していたが、敬虔な方なので、シャルマンジーの身を案じていた。パンディア人たちがアレクサンドリアへ、インドへの帰路についたのは、シャルマンジーがそれを望んだからだった。「彼らは務めを果たした」というのがシャルマンジーの言い分であった。相違ない。私はアレクサンドリアの仲間たちにパンティア人たちのことをすっかり頼んだ。私? 私が帰るはずがない。
アテナイはおりしもゼウス祭り(ディポレイア)の時節で、皇帝はもともと参加する予定だったとニコラウス卿が説明した。私たちはセレウキアから皇帝の船に乗り、アテナイへ向かった。私はシャルマンジーとはほとんど話をしなかった。シャルマンジーが食を絶ったからである。サレカナを誓った人にはこちらから話しかけてはいけない、と私は導師に教わっていた。
エーゲ海の島々を眺めて私は考え事をしていた。すると皇帝がひとりで私のそばに来て話しかけるではないか。
「通事どの、よいですか」
「はい、もちろん」
「カラノスのことは知っていますか」
皇帝が言った人。それは私が考えていたことであった。
「はい。アレクサンドリアのムセイオンで本を読んで知りました。インドでは彼のことは伝えられていません」
「インドでは自殺は一般的なのですか」
「一般的ではありません。私たちの敬虔性において非暴力への支持はその中心をなすものです。自殺は自己への暴力であり、すなわち命への暴力です。ですから自殺は善いものとは見做されません。ですが一方で、私の一族の派、ジャイナに顕著なのですが、肉体的な務めを終え、余命少なくなった人は、食を絶って自然に死ぬことが善い、とも見做されているのは確かです。それは非暴力の理念に叶うとされます。ジャイナは肉を食べませんが、植物もまた命であるからです。これはまだ活力があり人々に奉仕することができるのに自殺することとは区別されます」
「それではカラノスは自殺したと見做されるのでしょうか」
「カラノスは病を得ていたと書いてありました。余命が少ないと考えていたと思います」
「しかし彼は食を絶って自然に死んだのではなく、自らを火で焼きました。インドにはこういう習俗や信仰があるのですか」
「一般的ではありませんが、あります。寡婦は夫の遺骸とともに焼かれるのが善い、また人は侮辱を受けるよりは尊厳を守るために自らを焼くほうが善い、と言う人たちがいると聞いたことがあります。ですが私の町には今そのような習俗や信仰はありません」
「今と言いましたが、昔はあったということですか。例えばアレクサンドロス大王の時代」
「わかりません。ですがインドの古い伝統では、これは今も変わらないのですが、供物を火で焼く祭祀が重要なのは確かです」
「供物とは、動物ですか」
「ジャイナでは動物を捧げませんが、少なくないインド人が今も動物を犠牲にします。ですが今では動物を犠牲にすることは不敬虔なことと見做されるのが一般的です。これは昔デーヴァナンプリヤ・プリヤダルシ王が人々を啓蒙した(*)ことの果報と私は考えます」
*デーヴァナンプリヤ・プリヤダルシ王が人々を啓蒙した 「ここではどのような生き物も殺して犠牲に供してはなりません」(アショーカ王14章摩崖法勅第1章)
「ローマの諸州、ことにギリシアでは動物の犠牲は祭りに欠かせないものです。しかし私たちはこのことに両面的な気持ちを抱いています。ゼウス祭りでは牛を斧で殺しますが、私たちは斧を起訴し裁判にかけて裁きます。有罪と判決されると――当然有罪と判決されるのですが――斧を海に投じて断罪するのです」
私は不謹慎にも噴き出して笑ってしまった。
「これは失敬。でもおかしいですね」
「ええ、滑稽です。でも思うにこれは良心の呵責を慰めるためというよりも、呪いよけのようなものだと私は考えます。私たちはお祭りを楽しみますが、同時に恐れてもいるのです」
「なるほど、そうかもしれません。ところでお祭りで死んだ牛はどうなるのですか」
「火で焼いて、皆で食べます。これはお祭りにおける私たちの大きな楽しみです。あなたの前でこれを言うのは不敬虔なことですが」
「いいえ、大丈夫です。あなた方が牛を食べて楽しむように、神々も牛を食べて楽しむと考えるのですか」
「そうです。供物とは、祭祀とは、神を楽しませるためのものです。神が楽しむと、見返りに私たちに幸運を与えてくれると人々は考えています。インドでも同じなのでは?」
「大同小異というところだと思います。陛下もそう考えますか」
「これは大きな声では言えませんね」
皇帝は辺りを見回した。
「その辺のことはほとんど信じていません。でもお祭りは大切なものと考えています。意味がわかってもらえますか」
「はい、わかります。ところでひとつ教えてください。ローマやギリシアでは、人を犠牲にして祭祀を行うことがありますか」
「遠い昔にはあったと聞いています。しかし今ではそれは最も忌むべきものと見做されています。インドではどうなのですか」
「インドでも遠い昔にはあったと聞いています。カラノスですが、彼はこの古い伝統に従ったのかもしれないと私は考えます」
「祭祀であると? しかしそれで神が喜んだとして、誰が神からの果報を受け取るのです? 彼自身は焼け死んでしまうのに」
神のみぞ知る、というところであった。
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