第4話 アンティオキアへ。純朴な少年の先祖帰りの物語
そうこうするうち、皇帝がパルティア人たちとの戦争の準備のためにアンティオキアにいることがわかり、私はアレクサンドリアの仲間たちに頼んで船を手配してもらった。私は地中海を知らないので、古くから知っているギリシア商人を水先案内人として雇った。船旅のさなか、パンディア王の貝葉(ヤシの葉)に書かれた手紙、地中海のライオンすなわち皇帝宛ての手紙だが、それをアレクサンドリアで買った羊皮紙にギリシア語で書き写した。要件はひとつ、交易をしましょうということだけであった。
準備はできたが、私は甲板で憂鬱にキプロス島を遠く眺めるばかりであった。逃げ出したい気持ちを抑えて苦しんでいたのである。シャルマンジーが気遣ってくれないはずがない。私のそばに来て次の話をしてくれた。
昔奇妙な国があってな。人々は誰かと会っても金の話しかしないのだ。これが高い、あれが安い、いまこれが儲かる、次はきっとこれが儲かる、という具合だ。そうするうちに誰もが頭の中でも、金のことしか考えられなくなってしまった。当然のことだが、そうすると今度は、大地や他者やおよそ全ての命も、これは金貨何枚、あれは銀貨何枚、としか見えなくなってしまった。彼らが、人はどのような人であるべきと考えていたか、想像がつくだろう。できる限り儲けられる人であるべきなのだ。だから他者の儲かりそうにない行為や思想をよってたかって非難し、相手の尊厳などお構いなしに矯正することも当然怠らない。やがてその国の人々は、全員同じような人ばかりになって、一人一人の見分けがつかないほどになった。しかも、誰もが互いに憎み合っていて、他の人よりも多く利益を得ようと、人々は互いに衝突しながら世の中をうろついていた。
だがひとりの純朴な少年がいてな。皆が言っていることに疑問を抱いていた。
「確かに生きていくには服や食べ物や家が必要だ。そのためにはお金が必要だ。でもみんなが言うほどたくさんは要らないのではないか。大地に値段はないはずだ。人やおよそ全ての命に値段はないはずだ。大地や人やおよそすべての命には、きっと何か他の、善いものがある。人がこうあるべきと、彼らは何を見て知ったのか。もしも自ら見て知ったのだとすれば、誰もが違った人になるはずだが、皆が同じように見えるのはどういうことだろう。ひょっとすると彼らはそれを自分で見て知ったのではなく、他者に聞いて知ったと思っているのではないか。彼らは他者に聞いたことに基づいて、互いに罵り合い、利益を争っているのではないか」
というふうにな。それで少年はこの疑問を人々に尋ねて歩いた。すると殴られたりひどい言葉で侮辱された。少年はこれに懲りて人々から離れて暮らすことにした。空き地に麦の種を蒔いた。するとその土地の「所有者」と名乗る男が走ってきて、怒鳴り散らして少年を追い出した。次に少年は海辺に行き、海藻を取って食べた。すると「海の所有者」と名乗る男が走ってきて、少年を殴って追い出した。少年はついに人々に言った。
「あなたたちはなんという不敬虔な人たちなのだ。私はもうこれ以上歩けない。さあ、殺して下さい。この場で死んでしまいたい」
誰が彼を殺すだろうか? 彼を殺せば自分が金貨何枚の損をするか、そういうことだけは人々はよく知っていたのだから。
少年は疲れ果てていたが歩いて湖畔まで辿り着いた。身を投げようと思ったのだ。湖面には少年の顔が映っていた。自分の顔を眺めながら少年は言った。
「私にはひとりの友もいない。私はひとりきりだ」
すると湖面に映った自分が言った。
「君には君という最高の友がいる。君には全ての命という最高の友がいる」
この言葉を聞いたとき、彼の心の結び目がほどけて、彼は湖面の自分の顔の中にディヴヤーニ・ルーパーニ(*)を見た。
*ディヴヤーニ・ルーパーニ divyāni(奇跡的な。神聖な) rūpāṇi(形。姿).奇跡の光景。神聖な姿。
「しかし今では、神々に愛されし喜見王の法の実践の結果、人々に様々なディヴヤーニ・ルーパーニが示され、鼓は法の響きを鳴らしています」(アショーカ王14章摩崖法勅第4章)
「至高主はこう言われました。プリタの子よ、私の何百何千もの様々な形、大きさ、色のディヴヤーニ・ルーパーニを見なさい」(バガヴァッド・ギーター.11,5)
彼は自分が胎児だった頃の姿を見た。彼は母になり、母が苦しい思いをして生き抜いた末に自分を生んだことを知った。次に母の胎児になり、母の母になり、母の母が苦しい思いをして生き抜いた末に自分を生んだことを知った。次に母の母の胎児になり、母の母の母の...と延々と繰り返した。彼は自己に過去の全ての命とその労苦を見た。過去の全ての命とその労苦が彼となった。最後に彼は大きな光となった。彼は言った。
「私はかつて命の始祖であった。私はかつて太陽であった。果てしない労苦の末に私は自己という友と全ての命という友とここにいる」
私は感涙にむせんだ。シャルマンジーは私の心の結び目をほどいてくれたのだった。
「でも先生、純朴な少年はその後どうなったのですか。町に戻ったとして、不敬虔な人たちの中で幸せに生きていけたのでしょうか」
「どうかな、それは君が自分で確かめてみてはどうかな。君だって、彼の友なはずじゃないか」
「わかりました。確かめてみます」
こうして私は務めを果たす誓いを立てたのであった。
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