他の誰かが死ぬのは日常的だけれど親族の死は非日常で非現実的。
若いときは死ぬなんて自分の身に起こるとは微塵も思わなかったのに齢を重ねるうちに考えちゃいますよね。
作者からの返信
こんなに世の中が便利になっても、いまだに世界中で紛争だなんだと『死』の話が溢れていて、リアルな映像が途切れなく流れてきますが、何となく流せているのはそれが日常になってしまってるからなんでしょう。
本当に年を取ると色々なことを思ってしまいます。
大晦日から新年にかけて、全くもってめでたくもない話をスタートさせてしまいました。にも関わらず、すぐにお読み頂いただけでなく、♡コメントにお☆さままで……。
感謝の言葉もありません。
ここからで恐縮ですが、本年もよろしくお願いいたします。
愛宕のじいちゃんが亡くなった時は中学生の頃。同じく非現実的というか、ピンときてなかったなぁと思い返しております。約30年後にばあちゃんが亡くなった時に、改めてじいちゃんのことも思い出していたかなぁ。
少しだけ悪い人だと感じていた部分が気になります☆
作者からの返信
子供の「少しだけ」は本当に少しだけです。ただ、子供なので、正義感が強い、と言っていいのかな、気持ちが真っ直ぐなのでしょう。