第2話 一日の始まり

 機械的な音が静寂を切り裂く。時刻は朝六時、スマートフォンで設定した目覚まし時計が役割を果たしていた。何回目かの呼び出し音が鳴り響いた時に、重たい目を開いて慣れた手付きで目覚まし時計を解除する。

 カーテンの向こうから見える光は夏に比べて優しくなった。部屋の隅に影を落としたままでは寝覚めが悪い為、気怠い身体を起こしてカーテンへ近づいていく。勢いよく開け放たれたカーテンから差し込む光は闇に慣れた目には眩しくて、男はつい目を瞑る。

 次第に明るさに慣れた目を開けば、街もまた目覚めようとしていた。数台の車がバイパスを通り、市民ランナーや、自転車に乗った人が道路を流れて行く。

 寝癖の付いた髪もそのままに、洗面台で顔を洗い、うがいをする。台所に戻ってやかんでお湯を沸かし、食パンをトースターに入れて焼き色を付ける。ハムを焼き、目玉焼きを作って皿に載せる。マグカップにドリップコーヒーの準備をして、沸いたお湯をとぷとぷと注ぎ入れた。

 毎日の朝のルーティーンは、静寂の中に溶け込む温かな物音が耳に心地良い。朝食作りも慣れてしまえば手間が掛からないメニューを選んで、時間を掛けずに作れるようになったのは、長い単身生活で得た技術だった。

 出来立ての食事をテーブルに運び、乾いた喉を熱いコーヒーで潤して、湯気の立つうちにトーストを齧る。食べ進める事と並行して、今日の天気予報やニュース一覧に目を通す。 

 今日も取り立てて刺激の無い、恒常たる朝。食べ終わった食器を洗い、水切り籠に入れる。仕事をこなす事は毎日戦場に出掛ける事と同義であるという思いから、服に袖を通す時は、いつか観たお気に入りの映画の中の荘厳な出立の際のテーマソングが頭に浮かぶ。

 それから、髪を整えて歯を磨き、鞄と鍵を持ち、戸締りをして車に乗り込む。

 何も思わない、いつも通りの機械的な朝。街は目覚めて動物、機械の音、人の話し声があちらこちらから目立っている。何度目かの信号待ちで停車した際、ギアをニュートラルポジションに変更してサイドブレーキを引いた後、左肘をアームレストに載せて体勢を緩めた男は、溜息をつく。

“世界の歯車の一部だ”

 街を生かす為だけに、自分も他人も生きているのだ。そしてその事実に気付かないフリをして生きている。

 見えている世界の歯車の一部分だけと思うのも無理はないと思う。バイパスに流れる車は街の血流であり、あくせくと動く歩行者は細胞の一部で、自身もまた何かしらの細胞として生きている。

 そんな事を考えていると、進行方向に備え付けられた信号機は赤から青へと変化し、滞っていた血流は流れ出して男もまた、それに抗えずに流れに乗るのだった。

 今日もまた、細胞として生きていく。車内に流したままの音楽と、車の運転が男の意識をかき消していくのだった。

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