第4話 何でも屋(1)
駅周辺では、クリスマスの飾り付けが少しずつ始まっている。駅から少し離れた広場には、高さ七メートルほどの巨大なクリスマスツリーが設置され、その頂上には銀色に輝く五芒星が飾られている。ツリーを彩る赤い玉や金色の玉が、昼間の光を反射してきらきらと輝いている。
駅前の店舗にも、クリスマスを意識した飾り付けが施されている。冬季限定のキャンペーンや、少し早いと思うがクリスマスセールのポスターが並び、さらに二十四日、二十五日に駅近くの広場で行われるコンサートのお知らせも掲示されている。
今日は土曜日。普段なら、家でごろごろと寝て過ごしているところだが、趣味を楽しむため、わざわざ駅周辺に足を運んできた。
今日の昼ごはんは、家を出る前にすでに決めている。模様替えをした街中を眺めながら、通り道にあるコンビニに立ち寄った。
「大根二つ、茹で玉一つ、こんにゃくを二つに、ちくわも二つ。あとは、ソーセージを一本」
コンビニを出ると、汁がこぼれないように気をつけながら、クリスマスツリーが飾られた広場へと足を向けた。
広広場に着くと、どこか座れそうな場所を探して、そこに腰を下ろした。
昼ごはんはおでん。そして、おかずはこの広場で見つけようと思っている。
休日ということもあり、あたりを見渡すと、子供連れの家族やカップルが目立つ。通り過ぎる人々がクリスマスツリーに視線を向けているのがわかる。
その中で、目を引く人物がひとり。
髪はアフロ気味で、灰色のパーカーの上に深緑のコートを羽織り、茶色のズボンは色が褪せ、年季を感じさせる。
その男が両手に持っている段ボールには、「何でも屋」と書かれていた。
しばらくその男の動向を観察していると、通行人に声をかけては何度も断られるか、無視されている様子が見て取れた。
そして、気づくと、俺はその男と不覚にも目が合ってしまった。
男は段ボールを抱えたまま近づいてきて、俺の隣に座ると、満面の笑みで話しかけてきた。
「こんな寒い日におでんすか!いいすね!」
敬語なのか、そうでないのかもわからない口調と、その笑顔が、まるで元気をもらえるような声だった。でも、見ず知らずの人間だったので、無視することに決めた。
「うわ! お兄さんもソーセージ頼むんすか?! 俺もおでんの中で一番大好きなんすよ!」
三十代? いや、二十代か? 近くで見てみると、意外にも彼が若いことに気がついた。それにしても、なぜ「何でも屋」なんかをやっているのだろう。お金が底をついてしまったのだろうか? 彼に少し興味が湧いてきた。
「おでんを食べてる途中で申し訳ないっす!お兄さん、何か困っていることとか、やって欲しいことはありますか?」
俺に目を輝かせて訴えかけてくる。
「あ、一応法律の範疇でお願いしますよ。あと、値段の方は任せます!」
なぜかそのことを聞いて、ホッとした自分がいる。彼に少し情が湧いてしまったのだろうか。それとも、ただこの男を知りたいだけなのか。
仕方がなく、彼を無視することをやめた。
「何でも屋ってことは、本当に何でもいいんですか?」
「おっ!!あ、はい! でも、法律は守ってくださいね!」
沈黙の中でおでんを食べている男が突然口を開けば、そんな反応をするのも無理はない。しかし、彼は法律をすごく重んじているようだ。真っ直ぐな瞳で「法律遵守」と言う彼に、なぜか惹かれてしまったのかもしれない。
「えーと、じゃあ。君のことについて教えてくれない?」
「えっ!僕ですか?」
「うん。なんで君が『何でも屋』なんかをやっているのか、ちょっと気になってね」
彼は不思議そうな表情をしていたが、すんなりと依頼を受け入れてくれたようだ。
「わかりました!」
段ボールを横に置き、俺の目を見て自己紹介を始めた。
「初めまして、
名前の漢字を、手でなぞるようにして教えてくれた。
「歳は二十四で、普段はアルバイトしています!」
二十四歳でアルバイトが主体の生活……。
「今やっている『何でも屋』は、ただの趣味です!」
とても興味深い。俺は彼に、まるで吸い込まれるかのように興味を抱いていた。
「趣味?」
「はい!僕、人と人との交流が大好きなんすよ!だから、『何でも屋』を通じて色んな人と関わりたいなって思って始めました!」
終始、彼のテンションは高く、顔は相変わらず笑顔で満ちている。
「今までに、何でも屋に依頼とかする人はいるの?」
「はい!さっきは、あのクリスマスツリーを背景に写真を撮りたいって言われて、家族連れの人のお手伝いをしてきました!」
「いくらもらったの?」
金銭事情を聞くのは、少しプライバシーに欠ける質問だとは思ったが、今俺は「何でも屋」に依頼をお願いしている立場だ。だから、心の中で気になることを素直に聞いてみた。
「いや、いや、写真を撮っただけなので、お金は受け取りませんよ!」
俺と違って、彼の心はとても清らかだ。
「あと、昨日は、運転手の人がお酒を飲んじゃって、代わりに運転をお願いされたんすけど…」
運転代行か。意外と単価が高そうだ。
「それはいくら?」
「いえ、いえ、それは運転代行業に該当しちゃうので…でも気持ちとして、夫の奥さんが、値段の良い和菓子を三箱くれました!」
彼が法律に対してかなりシビアだということがよくわかった。自分は、そんな法律があることをすっかり忘れていたことが、ちょっと恥ずかしい。流石に、もうお金のことは聞きにくくなった。
「あとは、外国から来た人のお手伝いとか…」
「観光客のお手伝い?」
悠介くんはクスリと笑って言った。
「はい! 駅で何か困っていそうだったので、どうしたのかと聞いたら、最終的に街の観光を手伝うことになりました!」
悠介くんの行動力やコミュニケーション能力には驚かされる。それにしても、悠介くんは英語を話せるのだろうか? 観光の案内をすることができるのは、英語力が高くないと難しいことだと思う。
「悠介くんは英語話せるの?」
「はい!英語とスペイン語と韓国語。あとは、中国語が少しわかります!」
訪日観光客には、とても助かる言語だ。
「それは、趣味で勉強したの?」
「そうっすね!特に英語に関しては、二年間ほど海外でぶらぶらしていたので!」
「ぶらぶら?留学じゃなくて?」
悠介くんは苦笑いを浮かべながら、恥ずかしそうに言った。
「留学したくてもお金がなかったんで…」
「てことは、高校?大学?を卒業してからってこと?」
「大学すね!片道切符のつもりで行きました!」
片道切符とは強い決意だ。
大学で語学を勉強したわけでもなく、趣味で語学を学び、大学卒業後は海外に二年間もいたということか。それにしても、趣味で語学を学ぶとは、俺にはなかなか理解できない。やはり、勉強を勉強だと思わない人が、勉学には強いのだろう。
じゃあ、悠介くんを突き動かした、海外に行く理由はなんだ?
俺は、おでんの汁がこぼれるのも忘れて、悠介くんの話に夢中になって耳を傾けていた。
「え、片道切符のつもりって、結構勇気がいると思うんだけど、それはどうして?」
悠介くんは、まっすぐに俺の目を見て言った。
「海外に行ってみたかったからっす!」
あまりにも直球すぎる返答に、思わず咽せてしまった。
「え、それだけの理由で?」
「十分すぎる理由っすよ!だって、今のこの気持ちは今しかないんすよ!?」
俺の中で、新しい風と懐かしい風が一緒に吹いたのを感じた。悠介くんのまっすぐな瞳が、彼の心の中をそのまま映し出しているんだなと思った。
三十四にもなると、こんなに素直な感情を抱くことがなくなってしまった。
現実のことばかり考えて、自分のやりたいことを後回しにしている。
歳を重ねるにつれて、理性や冷静さが優先され、冒険心や少年のような無邪気な気持ちはどうしても薄れていく。そして、最終的にはそれらは消えてしまうのだろう…。
実際、俺もその一人だ。
数年前までは、確かにあったはずの感情。今の俺は、チャレンジ精神もなく、同じ日々を淡々とこなしているだけだ。
悠介くんの言葉やその姿勢に、俺は改めて気づかされた。挑戦する気持ち、アクティブな心が人生という長い旅路には必要不可欠だと。
自分がかつて持っていた輝きを、悠介くんは今も持ち続けている。その光は俺も包む。まるで、炎の灯った蝋燭から炎のない蝋燭へと火が移るかのように…。
「どこの国に行ったの?」
「ほとんど、アフリカっす!」
「ほとんど?」
「アフリカが一年以上。あとは、ヨーロッパを転々とって感じっすかね」
留学するお金がないと言っていたが、アフリカの物価はあまり想像がつかない。けれど、ヨーロッパの物価は高いだろう。ヨーロッパでは、昼ごはんが簡単に二千円を超えるって話を聞いたことがある。
「お金は大丈夫だったの?」
「とにかく、アルバイトを頑張りました!あと、意外と海外の旅は、国から国への移動とか、航空会社とかを調べてみると安く済むことがあるんすよ!」
自分も格安航空券で海外旅行をしたことがあるから、移動に関しては納得できた。けれど、やっぱり衣食住にかけるお金が気になって、そこについて聞こうとしたら、悠介くんが教えてくれた。
「でも、ヨーロッパは物価が高すぎるんで、今やっていることと同じことをして、出費を抑えたり、お金を少し稼いでいました!」
「えっ、何でも屋を!?」
「はい!」
まさか、今やっていることをそのまま海外でやっていたとは…。今、俺の表情が引き攣っていることが自分でもわかる。やはり、彼の行動力と社交性には感服するばかりだ。
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