出会い
1・6時間前
古いアパートの一室に、どすっ、と鈍い音が響く。
「うっ…」
志水に蹴られた男がうめくと同時に、床には血が散った。
志水の後ろでは、弟分の八柳蓮がその様子をけだるげに眺めていた。黒いシャツの袖から、刺青が覗いている。彼は追い込みには参加していないが、山田が逃げないように玄関を塞ぐ位置にいた。
「山田さんよ。借りたもんは返す。それが”約束”だろうよ?」
「ひ…う…」
「お前は100万借りて、利子込みで250万返すって”約束”をしたんだ。これがその証拠」
ぱん、と債務者の前で契約書をたたく。
「俺はな、”約束”破るヤツが大ッ嫌いなんだよ」
「か…かんべんしてください。1か月で250万の利子なんて……」
「お前が返せないなら親兄弟のところにカチこむしかねえぞ!?ああ!?」
その言葉に、後ろにいた八柳の眉が おや?という風に持ち上げられた。
「あの、兄貴」
「ケータイ寄越せや」
志水は八柳の動きに気づかないまま、ひっくり返った山田のズボンに手をつっこんだ。スマホが出てくる。LINEのメッセージを確認して、身内らしき名前を探す。
「さてお前の実家は~…と」
これで完璧だ。満額とまではいかずとも、多少は引っぱり出せるはず。少し鼻歌混じりの声で指を動かす。
その時、八柳がトントン、と志水の肩を叩いた。
「ああ!?何だよ」
「そいつ親兄弟いません」
「エッ!?」
素っ頓狂な声。
志水は、八柳と山田の顔を交互に見て、最後にもう一度山田を見た。
「えっ…マジ?」
志水は山田を見る。
「マジでしゅ」
山田は血でいっぱいになった口をもごもごさせながら答えた。
志水のこめかみに青筋が走った。山田の胸倉をつかみあげる。
「じゃあ内臓売ってこいや!肝臓の1つや2つ!」
「ダメっす兄貴。そいつ持病持ち。肝臓の薬が部屋にあります」八柳が冷静に答える。
「パスポートとか免許証とか売れっだろ!」
「とっくに他の闇金にカタにとられてます」
では、こいつから取れるものはなにもないということだ。
「誰だよこんな奴に金貸したの!」
「兄貴ッス」
「俺かぁ~~~!!」
志水の叫び声が、アパートの外まで響き渡った。
・・・
そうして志水は、ドリームファイナンスに戻ってきた。
「うおおお!金だ、金がいる!親父に何て言えばいいんだよ!?どうしよう八柳!?」
志水は『実話ヤクザ』だとか『裏稼業の稼ぎ方』だとかいう三流誌をめくってわめいた。
「もう儲からない闇金なんかやめて、ヤクさばきましょうよ。いいじゃないですか。ガキでも買うし」
「ヤクはダメだ!オヤジが毛嫌いしてる」
「じゃあオレオレ詐欺」
「年寄り騙すなんてかわいそうだろ!お前には人の心がねえのか」
八柳の脳裏に、先ほどぼこぼこにされた山田のことが蘇る。債権者は容赦なくボコるくせに…。
「好き嫌い言ってる場合ですか。じゃあなんで闇金はいいんですか」
「金貸して利子もらう!本人と”約束”してんだからいいんだよ。いや、マジで今月どーすっかな…組長に合わせる顔がねえ」
志水がやっているの伊坂組の仕事としての貸金業だ。自分の稼ぎが、そのまま伊坂組が上部団体へ渡す上納金になる。
それが上手くいかなければ、志水がこの世で最も大事な人――伊坂の親父の立場が、東王会のなかで苦しくなる。
志水は伊坂の役に立てていないことが苦しかった。
伊坂は昔ながらの義理と人情のヤクザだ。ガキのころに親を半殺しにし、行く当てのなかった志水を拾って育ててくれた。志水みたいな成り行きで伊坂組に入った連中が、ほかにも何人もいた。社会に居所のないバカな連中の面倒をまとめて見てくれているのだ。
しかし、そんな親父のところだからか伊坂組は組員も動かせる金も少ない。組の力は弱く、東王会でも発言権はないに等しい。
でも、伊坂の親父は決して組員を責めない。
親父の役に立ちたかった。
今の時代、ヤクザは抗争なんかしない。鉄砲玉にでもなって死ねと言われればそうするのに、暴対法でガチガチに縛られたこの国で、そんなことをやったら組もろとも窮状に陥る。だから誰もしない。
誰かに言うことを聞かせたり、権力をもつのに必要なのは、腕っぷしじゃなくて金だ。
ヤクザの強さは、今や金の多さだった。だから、親父の力になりたければ稼ぐしかないのだ。
「世知辛い世の中だぜ…」
コンコン、とドアを叩く音がした。
「こんにちはー。お持ちしましたよ、志水さん」
顔を覗かせたのは、笑顔でファストフードの袋を持つ男。ふくよかな体型もあいまって、『人のよさそうな』をそのまま形にしたような男だった。
どう見ても、志水や八柳の側ではなく、カタギの人間だった。
「お、来たか」
「太くん、どうしたの?」
「太ィーイーツだ。俺が頼んだんだよ」
・・・
金はなくても、腹は減る。
ドリームファイナンスに、バーガーやらポテトやらの匂いがいっぱいになる。3人はそれぞれソファに座って、遅い昼食をとった。
「兄貴、また太くんにたかったんですか」
「たかりとは何だ。俺はこいつの親に借金踏み倒されて夜逃げされてんの!10年も!これぐらい息子に食わせてもらっても利子にもなんねーだろうが」
「その話何回目っすか」
「ははは…すみません。今でも親とは連絡がつかなくて」
太は萎縮して頭をかいた。
「でも、そこからたくさん勉強して今や一流企業の会社員ですもんね。すごいな」
「そーだよ。だからこいつは俺より金もってんだ。…なのに、使い道がなぁ」
志水がちらりと視線を向けたのは、太の横におかれた袋。
そこには、美少女キャラクターが書かれた大きな紙袋がある。
「アニメの絵に金だして、どうすんだよ?」
そう。太はいわゆるオタクというやつだった。
志水には、太の趣味がまったく理解できなかった。志水の事務所とそういった店が集まる場所が近くにある関係で、ここに立ち寄るときに太は必ずといっていいほどこの手の買い物をしてくる。
「アニメじゃありませんよ!今日はマンガです」と、紙袋のなかに手をつっこむ太。
「どっちでも変わんねーから…」
「これです!」
志水の前に、ずいっと差し出されたのは。
くたびれたエロマンガ本だった。
「きたねえ!どこで拾ってきた!?」
思わずのけぞる志水に構わず、太は続ける。「拾ったんじゃないです。中古本屋で買ったんです。これはお宝ですよ!これでもきれいなほうなんですけど…」
「中古のエロ本なんか買うなよ!ナニした手で触ったんだかわかんねーのに!」
綺麗好きな八柳は、思いっきり引いていた。お前なんか言ってくれヤクザだろ。
「何てこと言うんですか!これは幻の『ピンクヘブン』創刊号!しかし、修正が甘くてすぐに回収になった雑誌ですよ。『おパンツ怪盗みゃんこちゃん』や『こねくりお姉さんHカップ』の第1話も、訂正前の状態で載ってるんです!なかなか市場に出てこないんですよ!」
「なんちゅー頭の悪いタイトルだ…」
「内容をよく表現した、センスのあるタイトルだと思いますけどねえ」
「おい読むな読むな!」
太がうれしそうにページをめくるのが、隣にいる志水の視界に入ってしまう。
そのとき、太が手を止めた。
「あー!都しぐれ先生もいらっしゃったんですねえ」
「…お?」
そのページでは、女がエロい顔で、服を脱ごうとしていた。
一目で記憶に残るような、絵だった。
「…これは悪くねぇな」
「わかります!エロを超越した、芸術性の高い絵ですよね。しぐれ先生の絵に目をつけるとは、さすが志水さん!」
「さすがとか言われたくない」
「実力のある先生なのですが、読切しか書かずSNSもしてなくて。謎めいた先生なのですよ。ピンクヘブン以外で書いているような形跡もありませんし」
「ふーん…まあ絵がいいっていったって、これでエロい気分になるのがよくわかんねえなあ。お前、これいくら出して買ったんだよ」
「10万円です」
「なにぃ!?」
こんな汚いエロ本が、10万だと。志水の価値観が崩れていく。
「おめー金持ってんなあ……ん、待てよ!?エロ本がそんだけ高く売れるなら、その変に落ちてるエロ本を売れば…!」
「そのへんにエロ本なんていつの時代ですか。僕たちよりも前の時代では?」
コンコン、とノックの音がした。
八柳が飲んでいたコーラをおいて、出迎えるために席を立つ。
「そもそもこの本にプレミアがついているのは理由があるんです!自主回収されたことで数が少ないこと、今も人気の先生方の作品が多く載っていること、なにより少年誌で大人気の島津ジュース先生のエロマンガ家時代の読切がプレミア価格の」
「わかったようるせえな!もう黙…」
八柳がドアを開けたのと同時に。
はじかれたように、その体が吹っ飛んできた。
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