Ⅱ.子どもなんかいません


 なんにも覚えてない?

 ふーん。そういう感じなんだ?

 んー……。


 まず、あーちはね、ニッセ。

 季節妖精のニッセよ。本当は種族の名前だけど、まぁ、今はあーちだけだから、ニッセでいいわ。

 正確には、冬の妖精。秋の終わりとともに季節を閉じこめて生まれ、春に季節を解き放ちいなくなる。

 いなくなるんじゃなくて、季節そのものになるだけなんだけど。季節が眠るあいだだけこの姿。季節を解き放つたびに記憶も溶けて散らばっちゃうから、冬に生まれ直してるようなものだけどね。


 だから悪いけど、この二千年間になにが起きてたかは、日記に書いてあることしか知らないと言っていいわ。

 サンタクロースの日記帳。


 あーちはアドベントに生まれるの。そしたらあなたもベッドにいた。

 あなたはずーっと目を覚まさなかったけど。仕方ないから日記を読んで過ごしてたのよ。

 クリスマスの準備? する気なくすわよ。


 まず間違いなく、人類は滅んでる。

 地球から逃げ出したのまでは知らないけど、少なくともこの星はとっくに、人間が住める状態じゃなくなってる。二千三百年前くらいからね。

 電気がたくさん欲しくなって、太陽にちょっかい出したんですって。

 専門的なことはよくわからないけど、太陽フレア? それが増えすぎて、磁気嵐っていうので世界がいっぱいになっちゃったの。

 そ。あのオーロラ。

 見かけと違って、中はすごいわよ? そりも満足に飛べやしない。

 でね、電気を増やすためにちょっかい出したのに、磁気嵐は電気を使うものからダメにしちゃったの。電気だけじゃなくて、電波とか、電磁波もめちゃくちゃ。

 気候や気温もめちゃくちゃになって、ハイ、おしまい。あっけないものねー。


 じゃあ、この〝手紙〟は?

 クリスマスレター。サンタに宛てた子どもからの手紙。

 これが届いたっていうことは……子どもがいるってこと。

 あー、言わなくていいわよ? あーちも言ってて全然信じられないから。


 でも、現に手紙はある。たった一枚だとしても。そして、サンタクロースが目覚めた。

 手紙を最初にあけていいのはサンタだけなの。どうする?




     ◇◆◆◇◆◇




 どうすると聞かれても、あけないわけにもいかない。私がサンタで、あける権利を持っていて、このたった一枚の手紙のために目覚めたのだとしたら、あけないうちはなにをすべきかもわからない。プレゼントを受け取る子どもなんていないはずの、この星で。

 ……ただ、


「……あの」

「はーい」

「…………本当に、二千年?」

「いつから数えて?」


 窓辺に立ち、両手で持った封筒に釘付けでいた私は、問いに問いで返されてようやくベッドの上を見た。黒い肌とは対照的なメロングリーンの服を着た小さな体が枕の上に腰かけて、白タイツはいた細い両足をパタパタさせていた。


「記憶ないんでしょ? さっきまで眠ってたのがいつからのことなのかもわかんない。眠る前の世界がどうだったのかも覚えてない。あーちが嘘つきな悪い妖精で、昨日あなたが寝たあとで頭の上にお鍋を落っことしたのかもしれない。それで?」


 聞く意味がない。それはなんとなくわかっていた。妖精――ニッセは遠回しだしぞんざいな感じだったけれど、十分真正面から突きつけられた感じがした。私は逃げられない封筒にまた目を落とす。


「……あなたは、嘘つきじゃない、と思う」

「どして?」

「……なんとなく」

「んん?」


 うつむいたまま少しだけ盗み見る。ニッセはパタパタをやめて、フサフサまつ毛の両目をうさんくさそうに細めていた。気まずくなった私が視線をそらすと、はぁ、と小さなため息が聞けた。


「居間にね、大きなのっぽの古時計があるの。サンタの家にあるものにはすべてに魔法がかかってる。時計は止まらない。日付けの目盛りもあって、日記の最後の年月日と合わせるとだいたい二千年。まぁ、あーちが嘘つきじゃ……」


 急に眉間にしわを寄せてニッセの話が止まる。それからなぜかとても腹立たしそうに顔を背けてから、「……なければだけど」と低い声でようやく言い終えた。


「うん……わかった」

「……なにがよ」

「え? う、うん、信じるよ。二千、ねん……」

「……むぅぅー」


 堂々と言いたかったのに、語尾がすぼんでしまった。二千年。モノが大きすぎて実感なんてスカスカだ。

 ただ、妖精がうなったのは私の自信のない仕草にではないようだった。枕からフワリと浮きあがって、ベッドの角の柱のそばまで流れてくる。


「あのね、あーちの言うこと信じるって、どういうことかわかって言ってる? あなたは間違いなくサンタだしクリスマス前に目覚めたし、今願いごとの手紙も持ってるけど、人類は確実にいないの。ここはサンタハウスだから、魔法のおかげで壊れずに残ってるだけ。あーちもサンタも生き物とは違う存在だから、息ができなくても関係ない。でも、木がたくさん死んだおかげで空気もめちゃくちゃになったの。宇宙に逃げた人間がいるって言ったけど、磁気嵐に阻まれて帰ってくるのも無理。そして、宇宙はサンタの配達圏外」


 ふぅぅ、と深く息をついて、柱の上に着地。ちょうど私の目の高さ。小さな腕をきゅっと組んで、伏しがちで黒々したまつ毛の下から金色の目が光って覗く。


「子どもなんかいません。はい、復唱」

「へ? え、え……?」

「普通に考えてそうでしょう? なのに、手紙が届いた。サンタもいる。あーちの言うこと信じるとか信じないとか、わかったとかわからんとか言ってる余裕があるならとっとと手紙をあけなさい」

「う…………」


 的確だった。それに、すごくイラつかれている。

 さっきはどうすると聞いてくれたのに、今は命令形。でも当たり前だ。無駄にグズグズしているだけなのは誰でもわかる。


 真っ白な封筒を見る。意を決するように生唾を飲む。でも、まだ凝視。

 だって、つまり、プレゼントを届ける相手がいて初めてサンタクロースが目覚めて、そのクリスマスが二千年ぶりなら、地上には二千年間人間の子どもはいなかったことになる。それなら、人類そのものが残っているはずがない。

 じゃあ、この手紙の送り主は? 人類がいないなら、人間以外なんてことは……。


「ちなみにだけど」


 ギクリとしてすばやく顔をあげてしまった。そんな動作がなくても顔だけ見ればふっ切れていないのも丸わかりだっただろうけれど。ただ、ニッセは柱に腰をおろして両手に頭を乗せた姿で、退屈そうではあるけれど、気長に待ってくれているような顔をしていた。


「間違いはないから。子どもが自分で書かなくても、願いごとは手紙になって送られてくるの。そういう魔法だから」

「……。願いごと……」


 少しぼうっとしてしまってから、不意に口をついてその言葉が出た。改めて封筒を見おろす。

 誰かもわからない。人間かもわからない。けれど、ここに書かれているのは、その子が心から望んだもの。ニッセは言わなかったけど、きっと、自分で書くよりもずっと本当の。


 そしてサンタクロースは、〝よい子〟の望みをかなえるもの。


 まだ少し怖かったけれど、封筒のあけ口にそっと指で触れた。

 すると封筒はひとりでに口をあけて、羽化のように輝く便せんがするりと舞いあがる。




 ぽおん――




「え……?」


 音、がした。ほんの一瞬で、ほとんど聞きのがしたような気さえする。

 でも、確かに鳴った。甲高くはないけれど、注意を引かれるような、不思議な音。


 そして、真っ白な便せんが目の前に広がる。

 真っ白で、まっさら。

 願いごとなんて、どこにもない。

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