クラウス・カプセル・シングアソング
ヨドミバチ
Ⅰ.再誕クロース
このこのななつのおいわいに
おふだをおさめにまいります
――歌。
歌っている。誰?
すきとおる、声。
すずやかな、リズム。
いきはよいよい かえりはこわい
追いかける。遠い。
呼びかける。ハロー。
声。知っている。
リズム。あたたかい。
聞こえる。ここへおいでと。
こわいながらも、ここにいる。確かにある。
だから、どうか――
「やっと起きた?」
◇◆◆◇◆◇
眩しさに慣れると、目の前に顔があった。
小さな顔だ。握りこぶしより小さいかも。
遠くにいるのかとも思った。けれどすぐ、かすかな鼻息が唇に触れた。
菜の花みたいに黄色い目。色の濃い肌に、たくさんねじれつつもキラキラ光る、ブドウ色の長い髪。――と、ねじれた黒い、二本ヅノ。
薄緑色のモコモコしたコートを着て、その小さな体は私の上に乗っていた。仰向けの私の胸にペタンと腰を落として、伏し目がちのツンとした顔で私の瞳を覗きこんでいた。
「……見えてる?」
小さな口が動いて――本当に小さい。私の子指があれに入るだろうか――フサフサの逆さまつ毛で陰りがちの目が、いぶかしそうにより細まる。
さっき目をあけたとき、今のと同じ声を聞いた。急に目をあけたので明るさに驚くほうが先だったけれど、姿のわりに
……覚え?
「フム……見えてはいるわね」
私の目線がさまよわなかったからか。納得して、妖精はふわりと浮きあがった。手足をだらんと下にさげて、見えない誰かに襟首をつまみあげられたような浮き方だ。つる草のように伸びた髪から白い光の粉がぱらぱらと、私の体に降り注ぐ。
私はスリップの寝間着姿で、ベッドに横たわっていた。
おなかにはシーツがかかっている。頭の下は、ふかふかの枕。
見あげると、年季が入って見える木板の天井。隣りのキャビネットには薄い色紙でできたシェード付きのランプがあって、そこから暖かな光が部屋中に広がっている。ベッドをもうひとつ置いたらいっぱいになりそうな、あまり広くはない木の壁と床の部屋。窓には古びた分厚いカーテン。
この部屋を、知らない。
慌てて跳ね起きる。まだすぐ上で浮いていた妖精は「んっ!?」と驚いて私の顔を避けた。
私はもう一度部屋を見渡す。ここに来た覚えがない。いつ眠ったのかも覚えていない。覚えているのは……
「……え? あれ?」
声が出る。また奇妙な感覚。
昨晩、なにをしていたのかを思い出そうとする。昨晩というか、今目覚めたより前までで、覚えている限りのこと。それが、出てこない。なにも。眠る前、どころか、どれだけさかのぼろうとしても。どこまで行っても、なにもない。真っ白……。
「わ、たし……」
うつむいたとき、自分の髪が見えた。
首の涼しさで、かなり短めに整えているとわかる。そのわりに前髪は目にかかるくらい長くて、さらに横髪だけを肩下にまで伸ばしている。
その横髪からひと房つまむ。ゆらゆらとうねる、雪のように白い髪。
体は女の子。たぶん、若い。十代かも。違和感は持ってない。けど、
「私……だれ?」
「サンタクロース」
耳もとで返事。
振り向くと、またあの黄色い目と視線がぶつかる。黒い子猫のような小さな体が腕組みをして浮いていた。いぶかる以上に
「サンタ、って……クリスマス、の?」
「ああ。ハロウィンにもいたんですっけ?」
「わた、しが……サンタ?」
「ちょっと。代役いないわよ? サンタクロースの家で寝てるのがサンタクロースじゃなかったら、ほかの誰がやるの?」
「家……?」
窓が揺れる。外で強い風の音がしている。
ベッドから降りて、カーテンに取りつく。少し迷ったけれど、息を詰めて手に力を込めて、分厚い布をめくりあげた。
十字の木枠、雪で汚れたガラスの向こうに、別のカーテンが見える。
ピンク色に輝く半透明のカーテンだ。どれだけ広いのだろう。空からまっすぐ降りてきて、ヒラヒラと揺れながら地の底まで伸びていくかのよう。はるか彼方まで何重にも続いているらしく、一枚一枚は透きとおっているのに地平線は見透かせない。揺れて隙間ができても変わらない。
はめごろしの窓におでこをつけて、オーロラの端を見ようとした。
わかったのは、きっとこの場所をぐるりと取り囲む空気のすべてが光っていそうだということ。それからこの家が、崩れ落ちた岩場に残った、ほんのわずかな平地に建てられていそうなことだった。むしろ家を建てたあと、限界を探すみたいに地面を削り落としたようにも見えた。
崖の下がどうなっているかはわからない。真上の空もまた、緑と赤のカーテンの群れにふさがれている。
ドレープの揺れはおだやかなのに、吹く風は荒く鋭い。粉雪たちが何度も向きを変えながら、矢の雨みたいに流れていた。
「……ここ、地球?」
「二千年たったもの」
口をついて出た問いに、また答えがある。
今度は少し離れていた。窓の対面にある四角い扉を、浮遊するブドウ色のもじゃもじゃ髪がうんしょ、うんしょと押している。
ひどく刺々しい音を立ててより明るい光が寝室に差しこみ、テーブルと椅子だけの質素なダイニングが顔を覗かせた。奥の広い窓から、世界を包む
「まぁ、あーちも前のクリスマスのことは覚えてないんだけど……」
銀の粉を吹き、妖精は飛んでいく。窓のそば、なぜか屋内にあって、そのひとつだけが真っ赤な色で目を引く郵便ポスト。
ふたがひらくと、ヒラリと一枚、白い封筒がまろび出た。
「おっと」と妖精はその一枚を追いかけて捕まえる。両手でしっかり持つと、またあのつままれるような浮き方でフワフワ寝室に戻ってくる。
明るいダイニングを背にした彼女の黒い顔は、間接照明しかないこの部屋からはより真っ黒に見えた。ツノのシルエットが物々しくて、黄色い両目がランプみたいに。
「はい、コレなーんだ?」
「え……」
妖精は動かずにたずねた。
私は今初めて話しかけられたかのように面食らって、しばらく彼女の目ばかり見てしまっていた。けれど、やがてはその真下へぶらさがるものにおずおず視線が落ちていく。彼女の体の半分よりも大きな白い長方形。おもてにはなにも書かれていない――
「……手紙?」
「誰宛ての?」
「誰? って……」
「ここはサンタハウス」
矢継ぎ早にたずね返され、私は余計に泡を食う。なのに妖精は、言うべきことは言い終えたかのような顔をして、逆光から照明の明かりの強いほうへとフワフワ進んだ。
「まぁ、正直あーちもなにがどういうことかはわかってないんだけどね、二千年ぶりにクリスマスやりましょうって話なのは確からしいわよ。ちなみにもうイヴのお昼」
目の高さに合わせて、封筒を差し出される。
サンタの家に届いた手紙。ポストに投げこむお願いごと。誰からの?
「そういうわけで、メリー・クリスマス。ようこそ、願いなんてとうに絶えたはずの地球へ。ねぼすけサンタさん?」
妖精は早口で、義務的だった。クリスマスの喜びなんて、なにひとつ知らないみたいに。
人類がこの星に住めなくなって、早二千年。
サンタハウスで目覚めた私は、地球で最後のサンタクロースになるらしい。
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