中編

 不審な男は、明るく柔らかな声でそう言った。薄暗い中で、白い髭が妙に目立った。

 ロットは戦慄く。一体なんだこいつは。どうやって入ったのだ。セキュリティはどうした。


「あ、アイリス……!」


 ロットは咄嗟に、長年世話になっているお世話ロボのスカートにしがみついた。そこで、はっとする。妹は。ターニャは大丈夫か。

 妹の部屋は、階段を上がってすぐ右手。男からは何歩か距離がある。とにかく、妹を守らないと。


 アイリスは、いざという時の護衛も兼ねている。そこらの不審者を制圧するくらいわけないはずだが、彼女が攻勢に転じる様子はなく、代わりに不審者に向かって丁寧に頭を下げた。


「サンタクロース様ですね。ようこそいらっしゃいました」

「は!?」


 どうしてアイリスはこの不審者を排除してくれないのだ。っていうかサンタクロースってなんだ。お伽噺のあれだっていうのか。


「最近はどこもセキュリティが厳しくてかなわん。だけど、こちらも日々アップデートしておるんじゃよ。そちらのお嬢さんのシステムにちーっとばかり侵入して、わしを侵入者と認識しないようにしてもらった」


 サンタクロースを名乗る不審な老爺は、得意げに胸を張る。しかし、どうな方法を使ったにせよセキュリティを突破したということは、不審者には変わりあるまい。

 だが、この老人が狼藉を働いたとして、非力なロットでは妹とこの家を守れるだろうか。そんなロットの心を読んだかのように、老人は両手を肩の上に上げる。


「そんなに警戒せんでも、わしはおぬしらに危害を加えたりはせぬて。わしは子供たちに希望を届ける、サンタクロースじゃからな」


 そう言って、気障なしぐさで片目を瞑ってみせる。あまり上手くないウインクだった。


「ほれ、少年にもプレゼントじゃ」


 肩に担いでいた袋を下ろすと、中をごそごそやって、一抱えほどの箱を取り出した。


「開けてみい」


 不審に思いながらも包みを開けると、出てきたのは欲しかった最新のVRゲーム機だった。


「わあ……!」


 スリムなヘッドセットを手に取って思わず歓声を上げたが、はたと気を取り直す。不審者からこんなものをもらうわけにはいかない。


「いいからもらっておくれ。今宵はクリスマスじゃからのう。わしはクリスマスの奇跡。信じる人間が一人でもいる限り、どこにでも馳せ参じよう」


 サンタクロースはロットの頭を撫でる。


「ところで、妹御にもプレゼントを渡したいのじゃが、どうにもドアが開かなくてのう。少年、一つ開けてはくれぬか」


 家のセキュリティシステムを突破したのなら、アナログな鍵を開けるくらい簡単なのではないか。ロットは思ったが、そう簡単でもないらしい。

 仕方なく、ロットは妹の部屋の前に立ち、そっとドアをノックする。


「ターニャ、さっきは悪かった。開けてくれよ。驚くなよ、サンタクロースが来てるぞ」


 すると、サンタクロースに興味を惹かれたのか、それとも別の理由か。細くドアが開いて、ターニャが顔をのぞかせた。


「ほんとに、サンタさん……?」


 か細い声にロットが答えるより前に、サンタクロースが彼を押し退けてターニャの前に出る。


「ふぉっふぉ。お待ちかねのサンタクロースじゃよ」


 そう言ってサンタクロースは、白い袋の口を開ける。すると、そこから黒い靄のようなものが飛び出して、ターニャの身体を締め上げた。


「ターニャ!?」


 予想外の事態に動転しかけたロットだが、とっさに妹を救わねばと駆け寄る。しかし、そんな彼の身体も黒い粒子の束に捕まり、何をする間もなく床に転がされてしまった。


「アイリス! アイリス!?」


 だが、この場で唯一の頼れる存在、お世話ロボのアイリスは、フリーズしてしまったかのように、無表情にその場に佇んでいる。


「無駄だ。この家のセキュリティも、そのロボットも、俺の制御下にある。言っただろう、俺たちは生き残るために、日々アップデートしているってな」


 瞬間、サンタクロースを名乗っていた男の声が変わった。優しそうな声は、不快なしわがれ声に変わり、恰幅のよかった身体は細くて背が高くガリガリになり、赤い衣装は、漆黒の闇に染め抜かれたものに変化した。髭も髪も、黒く染まっている。


「俺はブラックサンタ。またの名をクネヒト・ループレヒトだ」


 そう言って、低い声でくつくつと笑った。


「ブラックサンタ……!?」


 聞いたことはある。悪い子供に石炭やジャガイモをプレゼントしたり、袋に子供を入れて連れ去ってしまうという、サンタクロースとは正反対の存在だ。でも、サンタクロースと一緒で、ただの作り話のはずだ。


「俺たちが何したって言うんだよ!?」


 ロットの反駁に、ブラックサンタは悠然として答える。


「お前は妹に『馬鹿』と言った。妹はお前に『大嫌い』と言った。なんて悪い子たちだ。それで十分だったのさ」


 ロットは青ざめる。どこにでもある兄妹喧嘩じゃないか。そのくらいのことで、どうして。


「科学の光に文明の隅々まで照らされ、俺たち闇の生き物は居場所を追いやられた。だが、光が強くなれば、それだけ闇も強くなる。片隅に追い詰められ、凝縮された分、小さくても濃い闇が生まれたのさ。そして、光を侵食する機会を虎視眈々と狙っていた。それが今だ。今宵はこの俺、ブラックサンタが光を喰らうのに、ちょうどいい機会だったのさ!」


 そう言ったブラックサンタは、高らかに笑い声を上げる。地の底から響くような、気分が悪くなりそうな声だった。


「これからお前たちを地獄に連れて行く。そして、俺たち闇の生き物が表舞台に返り咲く、栄えある第一歩になるのさ!」


 言いながら、ゆっくりした動作で袋の口を再び開け、そのままロットに近付いていく。その中には、深い闇が広がっていた。


 あれに捕まったら終わりだ。本能的にそう思った。しかし、身動きが取れない。

 ごめん、ターニャ。馬鹿なんて言ってごめん。心の中で謝ったが、届くことはない。ターニャは気絶してしまったようで、ぐったりと動かなかった。

 恐怖に戦慄きながら、ロットはぎゅっと目を瞑った。その時。


「貴様らの思いどおりにはさせんぞ!」


 鋭い声と共に、部屋の中に閃光が走った。

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