第4話

階段を上り父から遠ざかるにつれて、やっと深い呼吸ができるようになっていった。


 自分の部屋に入り、体中の力が抜けると同時にベッドに座り込む。

 茜も私の様子を伺いながらゆっくりと隣に座った。眉間に皺を寄せている茜を心配させたくなくて、


「大丈夫じゃけん」


 そう言っても、まだ納得している様子はない。


「ほんまに大丈夫じゃけん。ちょっとびっくりしただけ。こんな時間にお父さんが帰っとることなんてないし。お父さんの顔見たのも久しぶりじゃったけん。じゃけえ、心の準備が出来とらんかっただけ」


 それでも茜の心配そうな色は消えない。私は体ごと茜に向き直し、しっかりと目を見て言った。


「もう前みたいに気にしとらんけん。昔はすごい怖かったし、お父さんの言うこと、いちいち気にして傷ついたりしとったけど……。もう、そんなことないけん」


 そう口にしてから、どこからともなく昔のことが蘇ってきた。

 小学生の頃のこと。

 今ほど仕事漬けじゃなかった父はいつも家にいて、私が一歳の時に亡くなった八歳年上の姉と比べては、怒鳴られた。

「なんでお前はそんなこともできんのか!」「なんでお前はいつもそうなんか!」

 眼鏡の奥の鋭い目が怖くて、でも、その目から逸らすことができなくて、ただ震えていた。

「梨香じゃったら、できとる」吐き捨てるように言う父のことを憎いと思ったことは一度もない。暴力を振るわれたことも一度もない。ただ、怖かっただけだ。そして、父が言うことはもっともだと思っていただけ。


 ――私はつまらない人間。


 どうあがいたって、姉のようにはなれない……。

 そう分かっていても、それでもまだ必死にしがみつくようにもがいていた。


 どうにか認められるように……。


 中学に入った頃から父は残業続きで家を留守にしてばかりだったし、もう怒鳴られることはなくなった。そして、今となっては昔のことで、気にしていないつもりだけれど、たまにこうして体が勝手に反応し、胸の奥が締め付けられるような思いをする。


 茜の手が私の腕にそっと触れて、ふと意識が戻った。

 茜は私の目をじっと見つめると、ようやく肩で息をして「うん、わかった」と言った。

 こうして、私のことを本気で心配してくれる茜という友達がいて、私は本当に幸せ者だと思う。


 見た目も性格も全然違う茜と仲良くなったのは、小学三年の時に茜が校舎の裏で泣いているところに遭遇したのがきっかけだった。普段の明るい茜とは違う姿に心が痛んだ。そして、茜は片親のことで辛い思いをし、私は父から罵声を浴び傷ついていたのでお互い通じるものがあり、それ以来姉妹のように支え合ってきた。

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