おはようございます

@tosugawa_chang

第1話

おはようございます。


言葉には魂が宿る、挨拶や相槌一つにももともとは一つ一つ意味がある、われわれ日本人はそう教育されて居ります。おそらくは、皆様もそうであることでしょう。

例えば、そうですね。

「いただきます」なんて言うでしょう、食前の立派なご挨拶です。

これからいただく命に対し、感謝の意を込めて手を合わせる、食べることは命のつながりである事と一つ一つの命に対しての尊さを両立させた、とても美しい言葉ですね。

しかし、「いただきます」なんて言葉はまあまあ最近できたものだとしたら?

一説には昭和以前、食前に「いただきます」なんて言っていなかった、なんてことも言われております。

食材や、生産者などへの敬意や感謝などではなく、かつての家父長制全盛期、男で、年長で、一家の唯一の支えである父親という存在に対して、「本日の食事も、あなた様から頂いております。」そんな絶対者への畏怖と服従の意味を持った言葉、それが「いただきます」そんな説もあります。

現代の私たちの価値観からしたら、酷く歪で、気持ちの悪い意味ですよね。

あくまでも、一説です、本当かどうかなんかわかりません。


でも、そんな風に意味なんか時代によって変わります、どんな言葉も、当たり前にある挨拶も。


さて、本題に入りましょう。

これまたある一説、しかも誰も出所なんかわからないくらいにマイナーな、単なる小さな噂話レベルの話なのですが。

誰もが当たり前に使っているとある挨拶が、実は呪いの言葉なんて話があるのです。


昔々、人々が農作と物々交換で生きてきたそんな時代、ある少年が不況不作飢餓貧困、それらの理由を一心に背負わされました。

近親相姦で出来た忌み子、奇形児、理由なんてどうでもよかったのかもしれません、ただ、生贄が欲しかっただけ。何かが変わるかも知れないきっかけを皆が欲しがっていて、そこにちょうどいい存在がいただけ。

けれど、そんなこと殺される側からすれば、何の意味も分からないわけで。

何の意味も分からない、なぜ自分が殺されるのか、理由すらわからないままに漠然とした不幸に包まれた人生を終えるわけです。

そんなのって理不尽ですよね。

そんな理不尽、誰かを攻撃しなけりゃやってられません、攻撃できる対象が目の前にいるのならなおさらに。

しかし、たかが子供に、ましてや大の大人たちに囲まれた子供にできる攻撃なんてたかが知れています。文字通り手も足も出ない、ならば、言葉でしか攻撃するしかない。

お察しの通り、呪詛です。

しかも、もっとも原始的で、果てしなく意味のない、途方もない憎しみを込めた無秩序な言葉の羅列。

もちろん、その言葉に意味なんかありませんでした、しかし、大きな憎しみと罪悪感を当時の人々はとても恐れ、どうにかしてその憎しみを薄めよう、あの呪詛ともいえる言葉の羅列には、何の意味もないと思い込もうとしました。

そうして、彼の最後の言葉の一部を普遍的に扱うことで、日が満ちているそのタイミングで発することで、まんまとその目論見は成功し、いつしかいたって普通な「朝のご挨拶」として蔓延させることで、今の今まで私たちは彼の呪詛を薄め続けることとなりました。

それこそが「おはようございます」という言葉なわけです。

あくまでも一説ですが。

気持ち悪くなったでしょう?

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