薄暮町ーはくぼちょうー

 

 ◯

 妖怪が集い、怪異を生み出すとされる真宵山まよいやまに興味が湧いた、私の雇い主であり纏屋まといやの店主である白銀の美人。というより美少年とも呼べる、書いて字の如く化け物が人を纏った様な人物が珍しく長い間、居を構えるこの街。薄暮町はくぼちょうにも当然の如く心霊スポットがある。いや、どちらかと言うと神域と言ったほうが在り方ありかたとしては近しい。


 

 竹馬ヶ丘ちくまがおか


 

 この街と真宵山のさかいにある深い竹林だ。まぁ、真宵山の影響を多分に受けて、街全体がもはや1つの怪異と言っても良い。少なくともこの私、石出 幽いしで かすかはそう思った。思わざる終えなかった。街の住人は何も人間だけでは無い。夜、宵口よいぐちにすれ違うのは人より、成らざるモノの方が多いほどだ。俗に言う"視える"人がこの街に足を踏み入れたのなら一日と持つまい。すまない。それは言い過ぎかも。少しばかりの、それこそ細かすぎる言い回しをするなら1週間ぐらいは持つと思う。うん、たぶん。


 特に夕刻。町の名にも当てられている薄暮はくぼに差し掛かる頃には街を逃げるように去っていく事も考えるだろう。それか、少しずつ狂っていくのだろう。慣れた私もたまに冷や汗を伝うことがあるのだから。この街に来て日が浅い頃。まぁ正確に言えば、あの店主が気に入ってこの街に纏屋書店を"繋げて"間もない頃。街に繰りだした時。外れに広がる田んぼを区切るように伸びる畦道あぜみちに目をやれば、時代錯誤さくご松明たいまつを仰々しく構え、菅笠すげがさを被った農婦のうふが街の方をじっと見つめてゆらりゆらりと数人歩いてくるのが視えた。


 私の祖母・石出 つむぎは幼い私に優しく何度も言っていた。


 

 「特にそう言う"目"のある異形とは視線を交えることはなるべく避けねばなりませんよ」

 と。

 

 のちに店主からも聞いた話だけれど、人間の五感。そう、触覚・聴覚・味覚・嗅覚。そして視覚。その中で一番干渉しやすく、手を引きやすい媒体が目なのだと言う。この話で言うなら、どちらかといえば手ではなく、引くのは目と言ったほうが当たっているのだけれど…。

 

 

 長々と語ってきた自分語りもこれほどにして、それこそ今から語らなければならない起こり事おこりごと宵の口よいのくちならぬ宵の闇。そう、深夜も深夜。丑の刻に起こった、いや訪れた。人の形を成した、人成らざるモノがつづった纏屋書店での出来事である。それは纏屋書店がこの街、薄暮町に居を構えてわずか20年程しか経っていないある夜。突如、なんの前触れもなく硝子戸がらすどが開けられた。それは、こんな流れで…。



 

 ◯

 お客としてきたのは、顧客としてきたのは。神だった。



 一目でわかる程に、それこそ人目につく程わかりやすいくらいに人の形を成した獣神けものがみ。端的に言ってしまえば擬人化だ。最高。

 闇夜を弾く白い長襦袢ながじゅばんに軽く着流した薄羽織うすばおりを纏った姿。その風体は華奢きゃしゃで小柄な男の子だった。


 

 可愛い。きゃわいい。ショタ、最高。まずい、まずい。本音が。そして本性が。


 

 灰色の短髪で薄い赤が混ざる可愛らしい瞳。オーラとでも言うのか、身につけたその時代錯誤な浴衣姿はほんのり白い灯を纏っていて、なんだか神々しい。まぁそれもそうだ。なんだって、眼の前にいるのは神そのものなのだから。


 人にしたって、怪異にしたって、ましてや神にしたって、此処の硝子戸に手を掛け引いたのならそれはお客人だ。いや、どちらかと言うとお客神おきゃくじん。と言ったほうが合っているだろう。我ながら今のは上手いことを言ったと思う。よし、あとで原稿に使わせてもらおう。決まりだ。


 つむぎの婆様や店主からはたまになんとも言えない目線を貰うことも屡々しばしばだが、気にしていてはこの業界ではやっていけない。まぁ、もとい人間関係全般。いや人間社会全般に言えることだけれど、やわい心の強い守り方を知らないとやってはいけない。

 

 配慮はすれど遠慮はしない。

 

 これが、この私。石出幽の信念とする考えの1つなのだから。

 それはそうとして。(どれはどうとして?)

 まぁ、良い。そろそろ諄いくどいと読み手であるところの見ず知らずの同種におこられてしまう。いや、人種か。

 


 「いらっしゃいませ、物の語り屋へ…。どうぞ、ごゆるりと。」

 

 纏屋書店の奥座敷おくざしきの手前。左右に分かれた石廊下から放たれた私の言葉を聞いて、一礼をして履いている青い鼻緒はなおの下駄を進めて、敷居を跨ぐまたぐ。人によっては高くもなり、怪異に"寄って"低くもなる変幻自在な、そして気分次第な敷居なのだけれど。


 普段客の出入りがまず無いこの書店は、廊下を始め棚にもほこりが溜まっている。本棚に関しては管理、保管も含めて適度に掃除をしているけれど、廊下に関してはたまに履くぐらいに留めているため、歩けば少し砂埃が立つ。


 けれどその男の子の歩き方なのだろうか、砂埃が立つなんてことはまるで無かった。なに?神様はそんな小さいながらも便利な小技的な何かを持ちうるのだろうか。なんとも、羨ましい。


 それを言ってしまうと、うちの店主はどうだっただろう。あまり気にしたことは無かった。というより、あの人はそもそもあまり歩かない。でも、多分ではあるけれど、恐らく巻き上げることはしないだろう。どちらかと言うと、押し潰して歩いていってしまうだろう。本当に孤高、そして孤独な狼。いや、大神おおがみの気質であり、立ち振る舞いだ。全く。


 これ以上店主について語るのはよそう。言葉で紡ぐしか無いが故に、すぐに気づかれる。感づかれる。そして少しの言葉で叱られる。それは嫌だ。あの人の言葉は…。"重い"のだ。


 そんな事を思いながら、長くなった前髪を左右にけて、丸い眼鏡をかけ直して様子を見ていると、その男の子。もとい、その獣神は両側に立ち並ぶ巻物の中から迷うこと無く1つの巻物を抜き取り、蝋燭揺らめく奥座敷の手前。真ん中に敷かれた1帖の客畳きゃくだたみに縛りを解き、広げて見せた。

 

 中に書かれてあるもの。描かれてあるもの。それは広がる竹林ちくりんと、その中心にある一本の錆色さびいろをした太い大竹。そして、そのしたに置かれ佇む小さい鳥居と黒い祠の絵。

 

 「これは、竹馬ヶ丘の語り伝承…、ですか。まさか氏神様でいらっしゃるとは…。」

 

 その言葉をどう捉えたのかはわかりかねるが、その男の子の眼に衰微すいびした地への思いがうかがえる。少しの間、身を固め佇んだ後、懐から一本の朱殷の簪を取り出した。それを、描かれた祠の上に優しく置いた。するとその簪は朧気に溶けて絵巻の祠の上で消えた。まるで、血が布に染み入るようにじわりと染み込んだ後、染み跡も残らず馴染んで消えた。


 驚きはしなかった。私も此処。纏屋に入って長い事使われて来たと思う。まぁ、人の年月で数えるならだけれど。

 見慣れてこそいないが、幾度いくどか見覚えはあったから。でも、その不思議な現象に、見事に魅入りそして見惚れていたからなのだろう、気づけばその薄羽織の男の子の姿も消えていた。

 

 丸眼鏡を掛け直し、その内容が少しばかり変わった巻物を手に取り、巻いて縛り直す。消えた男の子の正体はなんだったのだろうと気になる所ではもちろんあるけれど、わからなければわからないで別に支障はない。怪異なんてものは得てして、実体が霧のように判然としないことの方が多いのだから…。戻す場所は知っている。と言うより教えてくれる。それぞれの物語が。そして振り返ると両の硝子戸は開いたまま、外の闇と纏屋の黒を繋げていた。続く宵闇の先に私は見た。駆けて行く白鼬鼠しろいたちの子どもの後ろ姿を。

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笄ーこうがいー 褥木 縁 @yosugatari

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