第3話
その日以来、君は段々と衰弱していった。
体を起こすことが難しくなり、ベッドに横たわったまま話すことが増え、酷い時はずっと眠っているような、そんな日々が続いた。
それでも僕は毎日君の病室に通った。少しでも長く君と話して、少しでも長く君の体温に触れていたかった。
そんなある日のこと、いつものように203号室のドアを開くと、横になったままの君がこちらを向き、弱々しく左手を上げた。
「やぁ……来て、くれたんだね」
話すのも辛そうな君は、それでも嬉しそうに笑う。それが毎回悲しくて、僕は強く拳を握り締めながら、必死に笑った。
「うん。当たり前だよ」
「えへへ……嬉しい……な。手、握って……くれる?」
黙って頷き、君の手を優しく握る。こうして握り返してくれるのも、あと僅かなのかもしれない。
「ありがと……。今日は……ね、君に伝えてなかったことを……伝えようと思って……」
「え……」
「もう……本当に、時間がない……から。話せるうちに……ね」
本当に君はもうすぐいなくなってしまうのだろう。覚悟なんてまだ、いや、一生できないだろうけれど、君の言葉を一言一句聞き逃さないよう、精一杯頷いた。
「何度も、言っているけれど……私、君に会えて幸せ……だった」
「うん。僕も、幸せだったよ」
「えへへ……本当は、君と外国に行ったり……海に行ったり……色んなこと、したかった。君と、同じ未来を……見たかった」
涙を流しながら必死に言葉を紡ぐ君の手を、ぎゅっと握りながら、頷く。
「結婚……とか、したかったなぁ……」
「……僕もだよ」
「そっ……かぁ。そう、思ってくれるだけでも……嬉しい、な」
「……」
僕も同じ気持ちだった。君と歳を取れたらどんなに幸せだっただろう。
「あのね……前、言おうとしてたこと、今言おうと思って……」
君の手が僅かに震える。僕はそれを支えようともう一方の手を君の手に重ねた。
「あり、がと。あの、ね……?君は、私のこと……なんか忘、れて……違う…人と……」
そう言う君の声は段々と掠れていき、ボロボロと大粒の涙を流す。次の言葉を紡げずに、僕を見た後、今まで必死に作っていた笑顔をくしゃくしゃに崩した。
「だめ……だ。忘れて、ほしくない……君には、幸せになって、ほしいのに……ごめん、ね。最後まで……ダメな、彼女だね……」
それを聞いて、今まで耐えていた感情が一気に溢れでた。君はこの状況になってまで、僕のことを考えてくれていたのだ。流れる涙を止められないまま、必死に口を開く。
「そんなわけない……!!君は、僕に沢山の幸せをくれた。沢山の思いやりをくれた。最高の彼女だよ……。絶対に忘れるわけない……!!」
「でも……」
「僕は……例え君に何を言われたって、一生君が好きだよ。一生君のことを思うよ。絶対に……!」
「……ばか、だなぁ君は。……私、もう死んじゃう……んだよ?何も、してあげられない……よ?」
「そんなのいい。もう充分もらったよ。ありがとう」
「……」
真っ赤に泣き腫らした目で僕を見つめる君に、僕は再び口を開く。
「沢山の幸せと沢山の笑顔をありがとう。愛してる」
やっと君に感謝の言葉と、心の底から思っている言葉を伝えられた。君は泣きながら笑って、応えてくれる。
「……私も、愛してる」
そっと口付けを交わす。甘い味なんかではなく、涙の味がした。
しばらく黙ったまま手を握った後、やがて君は口を開いた。
「あの、ね」
「うん」
「君に、幸せに……なってほしいのは、本当だから……」
「うん」
「私にとっての、君……みたいな。なんでも……いいから、君にとっての……生きる理由を、見つけて……ね?」
「……うん」
頷いたものの、僕にとっての生きる理由もやはり君だった。これからどうやって生きていけばいいのいか、僕にはまだ分からない。
「君は、優しいから……きっと、これからも……沢山傷つく、ことがあると思う……でも、どうか負けないで……?あんまり、早くこっちには……こないでね……?」
「うん、大丈夫」
君を失う以上の傷なんて、きっとこの先もないだろう。
「そっ、か。じゃあ……心配ない、よね」
「うん」
君の瞼が重たそうにゆっくりと閉じていく。
「ごめ……いっぱい、話したから……眠く、なっちゃった」
「……うん」
きっと君の声を聞けるのは、最後なのだろう。眠ってしまったら、もう二度と目を覚ましてはくれない気がした。確証は無いのに、何故かそう思ってしまう。
「……ほんとに、あり……がと。愛して……る……」
「うん。僕も、ずっと愛してる」
その言葉が届いたかは分からない。君の手の力が抜け、すやすやと眠りに落ちてしまった。僕は君の頭を撫で、静かに呟く。
「……おやすみ」
ギリギリまで君の体温を感じた僕は、静かに病室を後にした。ポロポロと涙と後悔が溢れる。
もっと色々な場所に連れて行ってあげればよかった。結婚式や、指輪を用意すればよかった。もっと沢山の好きと感謝を伝えればよかった。
今更遅すぎる思いが溢れて止まらない。本当に僕の方こそダメな彼氏だ。
「ごめんね」
誰もいない帰り道で1人呟く。きっと君はそんな僕を見たら、首を振って明るい言葉をくれるのだろう。それでも僕は自分が許せない。
本当に、君がいなくなったら、僕はどうやって生きていけばいいのだろう。その答えをずっと考えているうちに、夜が明けてしまった。
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