第2話
毎日病室に通い続けて数週間。僕は今日も203号室のドアを開けた。
君は珍しく眠っているようで、すぅすぅと小さな寝息を立てている。もしかすると具合が悪いのかもしれない。
椅子に座りながらぼーっと寝顔を見ていると、僕の気配に気がついたのか、君がゆっくりと目を覚ました。
「ん……?あ……おはよう、来て…くれてたんだね。起こしてくれればよかったのに」
ベッドに横になりながら笑う君は、やはりいつもより元気がないように見える。
「起こしちゃ悪いかなって。それより大丈夫?具合悪い?」
「ん……ちょっと気持ち悪くて……薬のせいだと思うけど……」
「そっ……か。あんまり辛いなら、看護師さん呼ぶから無理しないでね」
「うん……大……丈夫」
そう言うと彼女はゆっくりベッドから起き上がり、僕の方を向いて座った。
「起きてて平気?」
「うん。せっかく来てくれたから、ちゃんと話したい」
「……」
「……気を使ってるわけじゃないよ。私がそうしたいの」
僕の考えていたことはお見通しだったようで、君は精一杯の笑顔で応えた。その姿が愛おしくて、同時に消えてしまいそうなくらい弱々しくて、思わず目を逸らしてしまった。
「大学どう?毎日来てくれるけど、ちゃんと授業受けられてる?」
「それは心配ないよ。ちゃんと単位は取れてる」
「そっか、さすがだね」
「ううん……」
本当なら今頃、君も専門学校に通って将来のことを考えていたはずだ。ずっとパティシエールになりたいって言っていたのに。僕なんかよりずっと未来を生きたがっていたのに。
「君はどんなとこに就職して、どんな人になっていくんだろうね。見れそうにないのがすごく残念」
「……」
「ねぇ……」
「ん?」
何かを言いたげに僕を真っ直ぐ見つめ、少しの間沈黙が続いた。
「……ううん、やっぱり今はいいや」
結局目を逸らし、なんでもないように君は微笑む。
「どうしたの?」
「ごめんね、今は言いたくない。もう少ししたら言うね」
何を言うつもりだったのだろう。無理やり取り繕うように笑う君を見て、言い知れぬ恐怖が湧き上がった。
なんとなく気まずくなり、しばらくの間黙っていると、君が小さく口を開いた。
「……死んだらどうなるのかな」
思わぬことを言われ、僕は思わず君の手を握る。そうでもしないと本当に君が消えてしまいそうで怖かった。
「あ……ごめんね。ちょっと、気になっただけ。でも手握ってくれるのは嬉しい」
そう言う君は力なく手を握り返す。僕はそんな君を見つめ、先程の問いに応えた。
「君は、天国に行くんじゃないかな……?痛みも苦しみも無い、幸せなところに……」
それは半分僕の願望でもあった。だってそうじゃないか。こんなにも苦しみながら病気と戦っているのだから、ずっと笑っていられるところに行ってほしいに決まっている。
「……でも、そこに君はいない……んだよね」
「……っ」
確かにそうだ。僕は君と一緒にそこへ行ってはあげられない。例え君がいなくなった後、自ら死を選んだとしても、そこへは辿り着けないだろう。
「なら……幽霊になりたいな」
「え……?」
「幽霊になれたら、ずっと君や、お父さんやお母さんのことを見守っていられるでしょ?」
冗談で言っているようには見えない。君は真剣に死んだ後のことを考えているようだ。
「でも、1人で見守っているだけじゃ寂しいよ」
「……そうかもね。それでも遠くからでも君と同じ景色が見られるのなら、それはそれで悪くないかなって思うんだ」
ドキリとするくらい美しい表情でそう呟く君の瞳に、恐怖の色はなかった。君はもう覚悟ができているのだろうか。あんなに死にたくないと泣いていたのに、覚悟ができていないのは僕だけなのだろうか。
「……君は強いね」
「そんなことないよ。今だって死ぬのは嫌。やってみたかったこととか、後悔とかも沢山ある。……でも、思い返してみたら、すごく幸せだったなって思って」
「……」
「そう思えたのは君のおかげでもあるんだよ」
「僕……?」
「うん。私が病気で長くないって知っても変わらず側にいてくれて、入院してからも毎日毎日会いに来てくれて、弱音を吐いても受け止めてくれて……。君が私を思ってくれたから、幸せだなって思えるんだよ。ありがとう」
「……そんな、別れの言葉みたいなの、やめてよ」
言葉自体は嬉しいのに、口から出たのはそんな君の死を受け入れられない僕の弱音だった。
「……お医者さんがね。もう本当に長くないかもって……だから、ごめんね」
「……っ!」
涙が溢れないよう、必死に唇を噛み締める。君が笑ってくれているのに、僕が泣いてはいけない気がした。
「1つお願いしてもいいかな」
「……?」
「また抱き締めてくれる?」
そう言って君は僕に向かって両手を伸ばす。僕は何も言えないまま、ただ君の体を強く抱き締めた。
「えへへ、ありがとう。……本当に幸せ」
「……」
あぁ、嫌だ。本当にこれが最後のハグになりそうで、ずっとこのまま離したくない。僕の方こそ君にお礼を言わなくちゃならないのに、口を開いたら泣いてしまいそうで、何も言えない。思わず腕に力が入ってしまう。
「ん……」
君が少し苦しそうに声を上げてようやく気がついた。
「ごめ……苦しい……よね」
「ううん、いい。このまま強くぎゅってしていて」
「……わかった」
君の匂いが、君の温もりがこの手から離れてしまうのが嫌で、1つもこぼさないように必死に抱きしめる。いっその事僕のことも連れて行ってくれればいいのに。
「……」
わかっている。そんな愚かな考えを口にしたら、きっと君は酷く怒るだろう。あぁ、それでも嫌だ。1人になりたくない。君を失いたくない。
神様がいるならどうか、全て夢だと言ってほしい。嘘だと言ってほしい。僕はどうなったって構わないから、この子の病気を治して欲しい。
そんな叶わない願いを何度も繰り返しながら、今日も君と別れる時間が来てしまった。お願いだから引き離さないでなんて言えるわけもなく、薄暗い夜道を家まで歩いた。
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