203号室の君と僕
RioRio
第1話
僕は今日も、君の名前が書かれた203号室のドアを開ける。ガラッという音と共に、ベッドに座って窓の外を眺める君の姿が映り、少しほっとした。
やがて君はこちらを向き、僕と目が合うと満面の笑みを浮かべ、口を開いた。
「やっほー、今日も来てくれたんだね!」
「うん、こんにちは。今日も君の好きそうなスイーツ持ってきたよ」
「ほんと?嬉しいなぁ!……ってこれ、行列店のチーズケーキだよね?限定50名とかじゃなかった?」
「実はそうなんだ。せっかくなら食べてみたいかなって思って……」
「……ありがとう!すっごく嬉しい!!後で君も一緒に食べようね!」
「う、うん。でもいいの?」
「いいの。こういうのは一緒に食べた方が美味しいから」
長い黒髪を少し揺らしながら、テンション高めにそう言う君を見ていると、とても数ヵ月後にこの世からいなくなってしまうとは思えない。
僕はチーズケーキの入った箱を一旦冷蔵庫に入れ、ベッドの隣にある椅子に座った。
そんな僕を見つめた君は、少し間を置いてからニコッと笑う。
「やっぱり君は優しいね、大好き!」
「な、何?急に」
「最近言ってなかったなぁって、チーズケーキを見て思い出したの」
「なんでチーズケーキ……?」
「なんとなく?……ほら、付き合いたての頃、私が可愛いって言った髪飾りを誕生日の時にくれたでしょ?結構値段するのに、あれ」
「あぁ……そうだね」
懐かしい話だ。6年前、高校1年生の時。君が桜の髪飾りを見て目を輝かせていたのを覚えている。
君は喜んでいたし、とても良く似合っていたけれど、今は桜にしたことを少し後悔していた。
「今も持っているんだよ。そこの引き出しの中に大切にしまってあるの」
「見ていい?」
「もちろん」
引き出しを開けると、ノートや筆記用具などの他に小さな箱が入っていた。
「この箱の中?」
「そうそう」
中を開けると、僕があげた桜の髪飾りが目に映った。大分汚れてしまっている。
「学校に行けてた時は毎日つけていたから、ちょっと汚れちゃった。ごめんね」
「謝らなくていいよ。むしろ言ってくれれば新しいの買ったのに」
「やだよ。初めて君がくれたものだもん」
わざとらしくぷくっと頬膨らませた後、クスクスと笑う。本当に君の表情はコロコロとよく変わる。見ていて飽きない。
すると君は突然視線を落とし、ぽつりと呟いた。
「……思えば、君にはもらってばかりだったなぁ」
そうい言う君は、悲しそうに続ける。
「楽しいなって感情も、好きだなって思いも、君がいたからずっと持ってる事が出来たし……あまり返せてあげられてない、よね」
「ううん、そんなこと絶対にない。僕だって君のおかげですごく幸せなんだよ?」
「……なら、いいけど。私にはもう、君に返してあげられる時間がそんなにないから」
俯きながらそう呟く君に近づき、頭を撫でる。すると君は一瞬顔を上げて僕を見た後、突然立ち上がり、ぎゅっと僕の体を包んだ。君の体は小さく震えている。
いつも明るく振舞ってはいるが、僕の見ていない所でずっと恐怖に耐えているのだろう。
恐怖だけではない。薬の副作用や寂しさや孤独もあるだろう。ずっと1人、夜の病室で泣いているのかもしれない。
頭を撫でながら、ぎゅっと抱きしめ返す。病院の匂いや薬の匂いで薄まってはいるが、確かに君の匂いがする。後何回、こうしていられるのだろう。
お互い無言で抱きしめあったまま数分が経つと、先程まで震えていた君が僕を離し、ニコッと笑う。
「ごめんね。もう大丈夫」
「ほんとに?」
僕としてはもう少しあのままでいたいのだが。そう思っていると、君は恥ずかしそうにモジモジとしながら口を開いた。
「……じゃあ、やっぱりもうちょっと」
「うん」
遠慮がちに再び抱きつく君の体を、痛くないように包み込む。
「君の体は温かいね。安心する」
「そうかな。でも、僕も安心するよ」
「えへへ……幸せだなぁ」
力なく笑う君は、やがて声のトーンを落とし、ぽつりと呟いた。
「……少しだけ弱音を吐いていいかな」
「いいよ、もちろん」
「ありがとう」
すると彼女は少しの沈黙の後、口を開く。
「……怖いんだ」
「……」
「君が会いに来てくれている時はあんまり考えなくて済むんだけどね……。君が帰った後、急に死ぬのが怖くなって、テレビとか雑誌とかで気を紛らわそうとしても、あぁ、もう私はこれできないんだなって思っちゃって……」
「……っ」
「もう、家族と旅行に行ったり、お父さんやお母さんに今までの恩を返すこともできない。君と……デートに行く事も、一緒にお酒を飲むこともできない……もう時間がないのに、何も、出来ない。怖いよ、まだ何も出来ていないのに、死にたくない……!」
君の腕に力がこもり、嗚咽混じりの声が聞こえる。きっと今までも泣くのを我慢していたのだろう。僕の前で我慢なんてしなくていいのに。
痛くない程度に力を込めて抱きしめ返す。
「ごめんね。こんな話、聞きたくないよね。なるべく明るくいたいのに、楽しい時間を過ごしたいのに、ごめ……んね」
「ううん。辛い時は辛いって言っていいんだよ。弱音吐いて当たり前なんだし、僕でいいならなんでも聞くから」
「……ありがとう。大好き」
今日2度目の言葉を聞いて、僕まで泣きそうになる。僕も君を失うのが怖い。いつまでもこうして君に触れていたい。病気なんて嘘みたいに無くなって、いつまでも君が笑えるようになればいいのに。
「……変わってあげられたらいいのに」
せめて君じゃなくて僕ならと本気で思った。そうできるものなら、そうしてほしい。
「ふふっ……だめ、だよ。君に、同じ苦しみを味わせたくない」
それを聞いて余計に胸が痛む。どうしてよりにもよってこんなにも優しい君が、こんな苦しみを受けなくちゃならないのだろう。どうして、何も悪いことをしていないのに、こんな辛い思いをしなくちゃいけないのだろう。
「……っ」
涙をこらえながら再び君の頭を撫でる。僕が君にしてあげられることは、これくらいしかない。
それから何分経ったのだろう。泣き止んだ君が顔を上げ、潤んだ瞳で僕を見て笑った。
「ごめんね、今度こそもう大丈夫。ありがとう」
「うん、これからは無理しなくていいから。辛い時は泣いていいからね」
「うん、本当にありがとう。君がいてくれて良かった」
そう言って僕から離れた君は、冷蔵庫からチーズケーキを取り出した。
「えへへ、泣いたらお腹すいちゃった。食べよ?」
「うん」
何事も無かったように、或いはなかったことにしたいかのように、他愛もない話をしながら2人でチーズケーキを食べる。行列ができるだけあって本当に美味しい。
「美味しい!!幸せぇ…!」
君が笑ってくれるだけで心が温かくなる。どうか、この何気ない日々ができるだけ長く続きますようにと、僕は心の底から願った。
面会時間が終わり、病室に一人取り残される君を見る。もう時間が無いのに、ずっと一緒にいてあげられないのが辛い。
そんな思いを知ってか、君は微笑む。
「私は大丈夫だから。君が来てくれるだけで幸せだよ」
「……うん、明日も絶対来るから」
「えへへ、嬉しい。じゃあ、また明日ね」
「うん、また明日」
病室を出て、誰もいない廊下を歩くと途端に不安になった。
また明日も会える。2日、3日で君がいなくなる訳では無い。それでも近いうちに君は逝ってしまう。それがとてつもなく怖い。
魔法で君を治してあげられたら、奇跡が起きてくれたらと何度思っただろう。お願いだから君を連れていかないでほしい。
グチャグチャとそんなことを考えているうちに家へ着き、貴重な一日が終わっていった。
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