恋愛散文集

稲村 周平

第1話 7up

砂浜を踏みしだく靴音がした。彼女はイタズラっぽい笑みを浮かべて、僕に緑色の缶を差し出した。

「僕のも7アップ?」

月の明かりは彼女の困り笑いを鮮明に照らした。

「いいじゃん、別にー。たまにはこういうのもいいでしょ?」

僕は笑って礼を言い、ジュースを一口飲んだ。柑橘系の爽やかな香りが口の中に広がり、アルコールの残り香を上書きする。

「飲んだなー。」

彼女は無言で頷く、その表情にはどこか哀愁が見え隠れしていた。


 僕が見ていることに気がついたのか、彼女は缶を傾ける。

「ほんと、調子乗りすぎだよ。飲み過ぎ」

海潮うしおが呆れたように笑い、彼女は潮風に髪を揺らしていた。

 銀色の髪色が月の光を受けて、より柔らかい印象を受ける。


「私がいなくなったら、誰かに止めてもらいなよ」

その言葉は冗談めいていたが、彼女が明日この町を離れることを考えると、胸に小さな痛みが走った。夜風がその痛みを少しだけ和らげてくれるように思えた。

 彼女の言葉に、僕はすぐに答えることができなかった。


海潮は別に僕の恋人じゃない、友達だ。ただ、彼女と過ごす時間は特別で、何も言わなくても分かり合える不思議な関係だった。それが心地よかった。だけど、明日になればその心地よさも失われるかもしれない。彼女が去るという現実が、重くのしかかってくる。


波の音が彼女と過ごす、この時間をさらっていくようだった。


「眠い…」

ぽつりと海潮が呟いた。僕も同じ気分だった。これ以上何を話しても、今夜はもう意味がない気がした。僕たちはただ、潮風の中で静かに佇みながら、夜が更けていくのを感じていた。


 潮風が暖かくなり、昇りはじめた太陽が僕たちを優しく温める。

 夜に慣れきった僕の目には夜明けの柔らかい日差しすら痛い様に感じた。

 僕はすっかり気の抜けたジュースを飲み干して、仰向けになり目を閉じる。

 瞼の中に夜を隠してしまいたかった、目を瞑れば時間が止まる様な気がして。

 細くて柔らかい海潮の髪の毛の感触が顔を囲む様に広がった。


「こうするとさ、まだ夜みたいじゃない?」

 甘酸っぱい香りが熱い吐息に乗って鼻をくすぐる。

 目を開けることができなかった。もし目を開ければ、何かが変わってしまうような気がして。彼女の吐息が触れるほど近くにいることだけを、静かに感じた。

 ただ夜を瞼の中に閉じ込めたまま。

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