第8話 砂塵の決着――フィットRS対レクサスRC F、ラリークロス決勝
高槻亜実はフィットRSに貼られた部活のロゴを眺めながら、胸の奥の不安と期待を噛みしめる。前日の予選ヒートを乗り越え、見事にトップクラスのタイムを叩き出した彼女だが、本当の勝負はこれから——決勝レースが全てを決める。
一方、離れた場所では円城寺潤が自分のレクサスRC Fのエンジンをかけ、アイドリングを確認している。周囲の経営者や企業関係者が「また円城寺さんが優勝候補だね」と噂するが、彼はそれを鼻で笑うだけ。
(だが、あのフィットRS……嫌に気になる。いや、あり得ないだろうが。RC Fの私が負けるわけがない)
そう自分を言い聞かせながら、軽くガレージ内を歩く。その姿にはどこか焦りの影が見え隠れしている。
お昼頃の休憩が終わり、すぐに決勝ヒートへ向けて準備が進む。コースは全長1キロほど。タイトなコーナーが連続し、ジョーカーラップもないため、純粋なドライビングスキルとライン取りが勝敗を分ける形式だ。
亜実は車内でシートポジションを微調整しながら、ふと予選の走行を振り返る。予選ヒートでは、スタートこそ出遅れたが、4WD勢がコーナーごとに膨らむ隙を逃さず、コンパクトカーの小回りで2位を獲得できた。でも……今日は円城寺潤が先頭にいる。しかもRC Fを操る彼は、FRの不利を感じさせないどころか、驚異的なスキルでトップタイムを出したという。
「ちょっと、どうすればあのRC Fに勝てるんだろう……」
ぼそっと呟くと、隣にいた顧問の佐伯が「大丈夫だ」と声をかける。「確かに彼のRC FはFRなのに4WD勢をも食う走りをする。だけど、間一髪の正確性なら、まだ勝機はある。タイトコーナーで着実に迫っていけばいい——慌てずにね」
亜実は深く呼吸し、「はい……落ち着いて走ります」と決意を固める。
ふと、亜実は車のボンネットを撫でながら心の中で語りかける。
(このフィットRS……部のみんなが一緒に仕上げてくれた。もともとは普通のコンパクトカーだけど、エンジンをカリカリに回せるようにして、足回りも競技用に変えた。正直、車検は切ってるし、ブローしたらおしまい。だけど、この子がいるから私はここに立てるんだ。……ありがとう。必ず結果を出そう。たとえ相手が豪快な4WDやハイパワーFRでも、負けないよ)
高校生の小柄な体で、内装を極力取り払った車内は広く感じるが、その分軽量化されている。パワー差は大きいけれど、タイトな1キロコースが味方すれば……と淡い希望が湧く。
決勝スタートまで30分。亜実はヘルメットを抱えながら、ピット裏のテーブルで佐伯からあらためて戦略を聞く。
「亜実、思い出して。君の強みは、ラインを的確にトレースし、失速を最小限に抑えること。レースは短く激しいから、1周ごとに安定したタイムを刻めれば、前を行く車にプレッシャーを与えられるはずだ」
「でも、相手は馬力もあるし……スタートで離されるかも」
「それはしょうがない。最初は離されるが、タイトコーナーで少しずつ詰めろ。コーナーで小回りできれば、向こうはでかいボディを振り回す分ロスが出る。心理的に追われる立場になると、相手は焦るんだ。4WDでもハイパワーFRでも、一瞬のミスでぐっと差が縮まるからね」
亜実はコクコクとうなずき、過去のダートトライアル経験を重ね合わせる。(いきなり勝負を仕掛けず、ミスを待つ。焦らせて誘う。最後のラップで仕掛ければいい……か)
「あとは、エンジンがいつブローしてもおかしくない状態だが……とにかく、乗り切るまで持ってくれることを祈ろう。限界まで踏むんだろうけど、お願いだからクラッシュだけはしないでくれ」
佐伯が苦笑しながら肩を叩く。亜実は「はい、頑張ります!」と気合いを入れる。
一方、円城寺潤はコースサイドでスマホを見るように見せかけながら、周囲を観察していた。その中にフィットRSを発見し、目を止める。部員たちが一所懸命に準備をし、車体にステッカーを貼り直している。
(あの少女が乗るフィットが、ここまで勝ち上がってきたわけか。予選では2位だったとか……)
嫌悪感がチクリと胸を刺す。日本の若手ラリードライバーが躍進するという噂を思い出し、不快な感覚がこみあげる。(こんなコンパクトカーごときが……俺のRC Fに勝てるはずがない。痛い目を見せてやる)——そう自分を奮い立たせるように内心で呟く。
RC Fの周りに集まる周囲の経営者が「円城寺さん、予選から圧倒的でしたね」「今回も優勝ですか?」と持ち上げるが、彼は「さあ、どうかな」と言葉を濁す。内心では、最後にあのフィットをぶち抜いて完全勝利する絵を思い描いている。
レース開始10分前のアナウンスが響く。決勝進出を決めた車両がそれぞれスタートグリッドへ移動し、1周だけのフォーメーションラップを行う。円城寺のレクサスRC Fが最前列中央、隣にWRXやランエボなどハイパワー4WD勢が並び、その後方4番目に亜実のフィットRSがいる。
コースに入り、フォーメーションラップ用のグリーンフラッグが振られる。各車がエンジンを唸らせながらゆっくりと隊列を作る。
ヘルメット越しに前方を見つめる亜実。黒いRC Fが豪快に砂を巻き上げるのを見て、思わず圧倒される。
フォーメーションラップが終わり、各車がグリッドに整列。最前列に円城寺、2~3列目に4WD勢、そして4番手位置にフィットRS……。観客席から「面白い組み合わせだな」「あのコンパクト車、またやるのか?」という声が挙がる。亜実は手汗を拭いながら(落ち着いて……)と自分に言い聞かせる。
シグナルが5つ点灯し、ひとつずつ消えていく。エンジン音が高まり、タイヤが地面を掻く。
スタート合図が出た瞬間、前列のRC FやWRXたちが一斉に加速。砂埃が舞い上がり、見通しが悪くなる。亜実のフィットRSはFFなのでスタートトラクションで不利かと思いきや、柔らかめのダートタイヤとクラッチワークを駆使して初動のホイールスピンを最小限に抑える。
「行くぞ……!」
亜実は叫び、ギアを素早く2速→3速へ繋ぐ。前方で円城寺のRC Fが早くもサイドを僅かに流してコーナーへ入る姿が見えるが、すぐに姿勢を整え、トップをキープ。後ろのWRXとランエボが追いすがり、3台が並走して激しく争っている。
一方、4番手スタートだった亜実は加速で少し遅れ、5番手あたりまで落ちそうになったが、最初のヘアピンでうまく“内側”を突いて再び4番手をキープ。
「……まずはミスなく走るんだ。あの戦略どおり、焦らずに」
亜実は佐伯の教えを思い出し、手堅くコーナーを回る。パワーに任せて突っ込む4WD勢が互いに押し合い、前のランエボがややふらつく。チャンス到来とばかりに亜実はアウト側からかぶせ、2つ目のコーナーで3番手に浮上する。
早くも先頭グループは円城寺(1位)、WRX(2位)、その後に亜実(3位)。さらに後方からランエボなどが続く展開となった。1周目の立ち上がりは4WD勢が明らかに速いが、コーナーでさほど差が離れない。
円城寺は豪快にドリフトを決め、WRXとわずか0.5秒差でトップを走る。砂煙の中、彼は「ふん、楽勝だな」と内心ほくそ笑むが、同時に後方からの圧力がちらりと気にかかる。
2周目、WRXがトップを奪おうと強引にインを刺すが、円城寺のRC Fがリアを大きく流しつつもアクセルコントロールでブロックラインをキープ。「こんな4WDラリーカーにやられてたまるか……」とアクセルを細かく刻み、絶妙な姿勢でコーナーを脱出。観客席が「うおお!」と大歓声を上げる。
その直後、亜実は3位で彼らを追い、前のWRXがまた仕掛けようとするたびに少し速度を落とす隙を狙う。コーナー出口で、WRXがRC Fと軽く接触しそうになり、やや減速。「今だ……!」
亜実は一瞬の差を突いてWRXの背後に食いつく。4WD車とはいえ、混戦でミスすればFFのフィットも並べる。スタートから2周目にして予想以上の接近戦が繰り広げられる。
(このまま行けば、1位のRC Fは逃げる形になって先頭を走りやすい。なんとかして2位のWRXを抜かなきゃ……)
タイトコーナーが連続するセクションで、WRXは馬力を使いきれず踏みきれない。亜実は慣れたFFの旋回特性と軽量でコンパクトな車体を武器に極限までブレーキングを遅らせ、車体をスッとインに差し込む。WRXのドライバーが「まさかこんな小さい車が?!」と驚いている間に、亜実は最小限のロスで加速へ移る。ついに2位へ。
先頭を走る円城寺は、ミラー越しにフィットRSの姿を捉え、動揺を覚える。
(馬鹿な、WRXやランエボ勢を抜いたのか? こんなに早く…)
だが彼はすぐに頭を切り替える。(まあいい、所詮RC Fには敵わないはずだ。4WDよりは楽に抑えられる)と自負してアクセルを踏み込む。リアタイヤが土を蹴り、車体をドリフト状態にしてコーナーを抜ける。その走りは華麗で、誰もが釘付けになるほど。
しかし、FRで豪快にドリフトを繰り返すのはタイヤへの負荷も大きい。円城寺はそんな代償を割り切って、速さを維持するための神経質なアクセルワークを繰り返す。ちょっとでも踏み込みを誤れば、後輪がホイールスピンして失速するか、逆にトラクション不足でコーナーを曲がり切れない。そのリスクは常に彼を苛む。
レース中盤。周回を重ねるにつれ、RC Fの後輪が少しずつ熱ダレを起こし始める。4WD勢ならまだしも、FRでハイパワーをかけ続けているから、タイヤが想像以上に摩耗しているのだ。
円城寺はその兆候を感じ、「クソ……ペースを落とすわけにはいかない」と舌打ちをこぼす。後ろを見ると、いつの間にか亜実のフィットRSが距離を詰めてきている。近づいてくる姿が円城寺には気に食わない。
(あんなコンパクトカー、どうしてこうも食らいついてくる……? こっちは馬力もあるのに、コーナーで微妙に失速してるのか。)
何度もドリフトして華麗に先行しているようで、少しずつ差が縮まっているのを感じ、内心で苛立ちが募る。しかし、これ以上踏んでも空転するだけ——彼は攻めどころに迷い、無意識にアクセルの細かな調整が更に神経質になっていく。
一方、亜実はハンドルを握りしめながら、佐伯の言葉を思い出す。
(焦らせるんだ。相手がFRなら、派手なドリフトで観客を沸かせてても、タイヤに負担が大きいはず。時間が経てばペースが落ちる可能性がある。あと少し……無理にオーバーテイクを狙わず、ラインを正確に刻んで差を詰める)
(フロントタイヤに負荷をかけすぎないように、でもアクセルを抜きすぎないように。……私が一番得意とする、“細かい操作”でトラクションを稼ぐんだ。いま、フィットRSに無理させてるけど、最後まで持ってよ……)
終盤ラップ。円城寺はトップを死守しようと、ブロックするためにさらに派手なドリフトを繰り返す。しかし、リアタイヤは音を上げ始めていて、コーナー出口での加速が鈍い場面が増える。
亜実はそこを見逃さない。コーナー立ち上がりで毎回1~2メートル詰めると、円城寺が少し焦り、さらにグリップを浪費する。ラップを重ねるほど差が縮まり、最終ラップに入る時点で車間はわずか数メートル。
「嘘だろ……なんであんな車が……!」
円城寺が唇を噛みしめる。周囲からは「RC F vs フィットRS」という異色のトップ争いに歓声が上がり、実況も「コンパクトFFが超ハイパワーFRを追い詰めている!」と興奮気味だ。
最終ラップ、残り2コーナー。円城寺はインをブロックラインで守ろうとするが、亜実は外からスピードを乗せたままコーナーへ入り、最小限のスライドで安定した立ち上がりを確保。並ぶ形で最終コーナーへ突っ込む。
円城寺は負けじとアクセルを煽るが、タイヤが悲鳴を上げ、車体が大きく流れてしまい失速。そこへ亜実がガッとアクセルを踏み、フィットRSを先に前へ出す。
「よし……行ける!」
亜実の眼には炎のような光が宿り、最後の直線で僅かに先行。円城寺は踏み直すが既に手遅れ、亜実がほんの数十センチの差でゴールラインを切った。
チェッカーフラッグが振られる瞬間、亜実は「勝った!」と叫ぶが、その直後にエンジンから金属的な異音が響き、白煙が勢いよく立ち上る。明らかにブローの症状だ。
「うわっ、やっぱり……」
亜実は減速してゆるゆるとコース脇にフィットRSを停める。ボンネットから白い煙が上がり、「カリカリに改造した代償か……」と頭を抱えるが、ゴールは無事に越えた。大観衆が立ち上がり、拍手と興奮の声が沸き起こる。「嘘だろ、あのフィットが優勝だなんて!」「FRのRC Fに勝つなんて、奇跡か!」と口々にさざめく。
円城寺は怒りでステアリングを殴りたい衝動をこらえつつ、車を止める。(なんてこった……あのコンパクトに負けるなんて……)
外に降りてヘルメットを脱ぐと、彼の周囲は「惜しかったですね」と声をかける経営者たち。「いや、あのフィットRSはお見事でしたよ」と賞賛する人もいる。円城寺は返事もせず、悔しげに亜実のマシンを見る。煙を上げて動かなくなっているが、最後の直線までパワーを保って彼を抜いたのだ。
亜実はマシンから降り、メカ担当の仲間たちが「大丈夫か?!」と駆け寄る中、勝利の余韻とエンジンブローのショックが入り混じる顔をしている。「ごめん、ブローさせちゃった……」と言いつつ、涙ぐむような笑み。「でも勝ったよ……やったよ!」
顧問の佐伯も「よくやった、亜実。まさか本当にトップを取るとは……」と目を潤ませる。周囲の拍手が鳴り止まない。
一方、円城寺は車外で腕を組み、無言のままフィットRSを見つめる。視線にどこか暗い影があり、“4WDに負けなかったFR”としての自負すら忘れるほどに、彼はコンパクトカーの勝利を受け入れがたい心境にある。
亜実が気づいて振り返るも、円城寺は目を合わせない。彼は背を向けてスタスタと歩き去り、周囲のスタッフが「円城寺さん!」と追いかける。(何でこんな形で負けなきゃいけないんだ。まさかあの子に、俺が……)
そんな苛立ちを胸に抱えているのかもしれない。
日が落ち、ラリークロス会場は撤収ムード。フィットRSは積載車に載せられ、ブローしたエンジンの臭いがまだ残っている。亜実は仲間たちと話し、興奮冷めやらない様子。「まさか勝てるなんて……」とみんなが笑いあう。部活のメンバーは口々に「すげえよ亜実。あんな車相手に」と称賛してくれる。
顧問の佐伯がそっと近づき、耳打ちする。「……おめでとう、亜実。でも気を付けろ、あの男はきっと納得してない。これで全てが解決したわけじゃないと思う」
「うん……でも、勝ったのは事実だよね?」
佐伯は苦い顔で「そうなんだけど」と言葉を濁す。円城寺の意図——ラリー部の廃止や彼の内面の嫌悪感——はまだ消えてはいないかもしれない。だが今は、勝利を喜ぼう、と佐伯は亜実の頭を撫でる。
別の場所では、円城寺が一人、車に乗らずに暗い夕空を睨んでいる。RC Fは健在だが、そのプライドは大きく傷ついた。(あんなコンパクトカーごときに……しかも17歳の子娘……。WRCで苦い思いをした俺が、こんな形でまた負けを味わうなんて……)
自分の走りも驚異のはずなのに、世間の注目は“高校生フィットの優勝”へ向かってしまうだろう。彼の胸には、さらに黒い渦が広がる。
こうして、ハイパワーFR・RC Fを擁する円城寺との一戦を、亜実のフィットRSが僅差で制した。エンジンブローするほど限界を攻めた末の勝利に会場は沸き立ち、ラリー部の仲間は誇らしい笑顔を浮かべる。
しかし、物語はここで終わらない。この勝利が円城寺の心をどう揺さぶり、ラリー部との間にどんな波紋を呼ぶのか——それはまだ誰にもわからない。
夜空には星が瞬き、会場のテントを片づける音が響く中で、亜実は自分の胸に問いかける。
(本当に私はこの勝利を誇っていいのかな。これで部の問題は解決するの?)
一方、円城寺は自分の車に戻り、苛立ちを抑えるようにステアリングに手を置く。闇の中で、彼の瞳にうっすら憎悪と嫉妬の色が混ざる。(何で俺が負ける……こんな形でラリーへの嫌悪が蘇るなんて。あの子はただの高校生じゃないのか?)
彼はエンジンをかけ、闇夜に消えていく。その背にはまだ多くの棘が刺さったままだ。
——次なる舞台へ。勝利しても不安と喜びが交錯する亜実、敗北を味わった円城寺。ふたりの運命はこのラリークロスをきっかけに、さらなる変化を呼び起こすことになる。
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