第7話 アクセル――亜実と円城寺、それぞれの予選ヒート

 「グリッド並んで!」

 オフィシャルの声が拡声器を通して響き渡る。ラリークロス会場には砂埃とタイヤの焼ける匂いが立ちこめ、観客たちの熱気が高まっている。ここは全長1キロほどのタイトなコースで、周回ラップを競う――その予選ヒートに、高槻亜実が挑もうとしていた。


 亜実が操るのは、部活総出で仕上げたフィットRS。ハイパワーの4WDターボ勢がひしめくこの場に、あえてFFコンパクトカーで参戦するという大胆な挑戦である。

 車内でシートベルトを締め、ハンドルを握りしめる亜実は、視線をコースへ向けつつ深呼吸した。両サイドにはランサーエボリューションやWRXといった“お馴染み”のラリー&ダート競技車が並び、馬力でも駆動方式でも明らかにアドバンテージがあるように見える。だが、恐れよりも闘志が先に立っていた。


(最初のコーナーで出遅れないようにしなきゃ……パワーで負けるなら、コーナーで稼ぐしかない!)


 スタート合図とともに、一斉にエンジンが咆哮を上げる。4WD勢が瞬時にグリップし、砂を巻き上げながら前に飛び出すが、亜実のフィットRSも負けじとアクセルを踏み込む。前輪がホイールスピンしそうになるが、彼女は細かいステア操作とブレーキ加減でなんとか抑え、スムーズに加速を重ねていく。


 最初のタイトコーナー。4WDのランエボがわずかに先行し、インを奪うように滑り込む。亜実はブレーキを最小限にしてアウトから併走し、コーナー中盤で内側に切り込もうと試みる。しかし、やはりトラクションで劣るFFには辛い。結果、2~3台分の車間を空けられ、亜実は一旦3番手あたりに落ち着いた。


(でも、まだ序盤。私が勝負するのは後半の連続コーナー……!)


 レイアウトはタイトな右左が連続し、スピードが乗りすぎると挙動を乱しやすい難コース。4WDは加速でリードを奪うが、コーナーでは、フィットRSの猛進に焦り外に膨れる場合もある。まさに「パワー vs テクニック」の構図だ。

 亜実は丁寧にコーナー侵入時の荷重移動を意識し、フロントにしっかり荷重を乗せて曲がる。アクセルのオンオフは小刻みに、ダート用サスの動きを巧みに利用して、車体をスライドさせすぎないようにコントロール。


 中盤、ランエボがややラインを外し、後方にいたWRXとバトルを繰り広げる瞬間、亜実はイン側をすかさず突き、2番手に浮上する。砂煙が立ちこめる中、フィットRSが軽快にコーナーを抜けていく姿に、観客が「おおっ」と湧く。


 最終ラップではトップのGRヤリスが逃げ切り、亜実は数メートル差まで詰めるも届かず2位でゴール。

 フィニッシュラインを超えた瞬間、亜実は息を弾ませ、「クソ……もう少しだったのに……」と悔しさを噛む。それでもFFコンパクトカーで4WD勢と互角に渡り合った結果、2位という堂々の順位で決勝に進出する。

 車をピットに戻すと、部員たちは「すげえ!」「よくあのパワー差で2位に!」と大喜びだが、亜実は「まだ勝ちたいのに……」とわずかに肩を落とす。顧問の佐伯はそんな彼女の姿を見て、「上出来だよ。ここは予選ヒートだし、次は決勝だ」と肩を叩く。


 一方、その頃。円城寺潤は主催者テントの脇でレクサスRC Fを最終チェックしていた。ボディは漆黒、そこかしこにダート仕様の部品が施され、ホイールは太めのグラベル用タイヤが装着されている。

 「円城寺さん、次のヒートですよ。準備は?」

 オフィシャルの声に振り返り、円城寺は冷たく笑みを浮かべる。彼の視線の先には、さきほど2位に入った亜実の姿が見えるかもしれない……と思ったが、特に興味はなさそうに目を逸らす。


 佐伯はラリー部ブースから歩き出し、コースの内側にある観覧エリアへ移動する。円城寺の走りがどんなものか、話だけは聞いていたが直接見るのは初めてだ。

 (あのRC Fは後輪駆動。4WD勢の多いラリークロスじゃ不利……のはずだが、どうやら彼はそれでも勝っているという噂がある。いったい、どうやって……)


 円城寺はスタートエリアにマシンを停め、ヘルメット越しに低い呼吸を整える。周りにはWRX STIやランエボ、さらにはデルタHFインテグラーレのグループA仕様といったレジェンド勢が並んでいる。みなFRのRC Fを奇異な目で見てくるが、彼は意に介さない。審判のスタート合図が上がった瞬間、豪快にアクセルを踏み込む。


 レクサスRC FのV8エンジンが唸り、後輪が一気に砂を巻き上げる。4WD勢がスムーズに加速するのに対し、RC Fは少しホイールスピン気味で出遅れかと思いきや、円城寺は細かくアクセルを刻んでトラクションを確保している。コントロールが尋常ではない。


 最初のタイトコーナーでは、まるでD1グランプリのドリフトのように豪快に車体を横向きにしながら滑り込む。観客から「うおおっ!」という歓声が上がる。通常、FRでダートを攻めるのはトラクション不足でスピンや遅さにつながりがちだが、円城寺は微妙なアクセルワークを使って後輪の無駄な空転を抑え、車体をぎりぎりの角度でキープしている。

 砂煙の中でRC Fが美しくスライドしていく姿は、まるでドリフトショーのようだが、そのタイムは明らかに速い。外から見ると豪快に見えるが、実際は超神経質にアクセルを細かくオン・オフしており、わずかな差でグリップを引き出しているのだ。


 佐伯は口をあんぐり開けて、その走りを見つめる。「あれが……“FRで4WDをねじ伏せる”って言われる円城寺のスタイルか。むちゃくちゃ派手だけど、よくあそこまで正確にコーナーを抜けられるな」

 周囲の観客も目を奪われている。「レクサスRC Fで……あんな大きいFRなのに!?」「豪快なドリフトだけどタイムも速そうだぞ」と騒めきが起こる。


 中盤以降、円城寺はさらにアクセルを細かく調整し、直線で4WD勢に負けない加速を引き出す。車重があるRC Fは切返しで姿勢を乱しやすいはずなのに、彼のドライビングがそれをまるで芸術のようにいなし、横滑りと加速を絶妙に両立させていた。


 「彼は……豪快に見えて、実は繊細な操作をしている。D1みたいにドリフトを魅せるために横向きにしてるわけじゃない。ダートでFRが速く走るためのギリギリのバランスを取ってるんだ……」

 佐伯は呟く。円城寺が嫌々ながらも築き上げたテクニックなのか、あるいはラリーで挫折した悔しさをFRにぶつけて鍛え上げたのか——真相は定かではないが、少なくともその走りは本物であり、彼の挫折を感じさせないほど洗練されている。


 そして最終ラップ、円城寺は再び一際大きなドリフトを披露し、コーナー出口で少しだけ車体をスライドさせすぎたかに見えた……が、細かいアクセルとステアリングの修正で失速を最小限に留め、きっちり前を走っていたWRXをかわしてゴールラインを駆け抜ける。

 結果はトップタイム。

 観客エリアがどよめき、「FRのレクサスRC Fがなんと1位でフィニッシュ!」という実況が流れる。佐伯は拍手を送りたくなる気持ちを抑えつつ、「やはり只者じゃない……」と息を呑む。何か胸に嫌な予感が走るのは、円城寺の腹の内を知っているからだ。


 ピットへ戻った円城寺はマシンから降り、視線を巡らせる。彼が見たいのは亜実の様子だが、わざわざ近づきはしない。あくまで自分が“勝つ”ことに意味があるのだから。

 車から降りる姿を見た他の参加者が、「すごい走りでしたね!」と声をかけるが、円城寺は「まあ、こんなものですよ」と冷たく返すだけだ。軽い拍手もあるが、彼にとっては興味がない。


 佐伯は少し離れた位置から、その光景を眺める。円城寺の周囲には“凄い男だ”という評価が自然と集まりつつあるが、彼の表情はどこか苛立ちと虚無を滲ませているように見える。

 (この男は一体、何を思ってるんだ……)

 そう思った瞬間、円城寺と目が合った。彼は薄く笑みを浮かべて会釈するが、明らかに挑発めいた空気が漂っている。まるで「見たか、これが俺の走りだ」とでも言いたげに。佐伯は思わず目を逸らし、気まずい気分に襲われる。


 とりあえず、予選ヒートは一巡した形だ。亜実が2位、円城寺が1位という好成績を出したが、まだ決勝が残っている。

 亜実は自分の車を点検しながら「うーん、2位かぁ……あと少しで1位取れたのに」と悔しがる。部員たちは「そうは言っても、初参戦で2位は凄いよ!」と喜んでいるが、RC Fを駆る円城寺の走りをまだ知らない彼女は「トップは誰なんですか?」と首を傾げる。「ラリークロスでFRって……あり得るんですかね……?」

 顧問の佐伯は心中で苦い思いを抱えながら、「あり得るんだ……しかも4WDを凌駕することすらできる。人間次第でね」と小さく呟く。亜実はその言葉が妙に重いと感じるが、何を意味するのかまだ分からない。


 いまはまだ二人は出会っていない。だが、いずれ高槻亜実と円城寺潤は、このラリークロスの“上位争い”の中で顔を合わせることになるに違いない。

 FRのRC Fで豪快にドリフトを魅せつけた円城寺に対し、FFフィットRSで2位につけた亜実。次の決勝で、両者が直接バトルする瞬間が訪れようとしていた。

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