第6話 始動の合図――ラリークロス当日、スタートラインへ

 5月のゴールデンウィークの朝、高槻亜実は工業高校ラリー部の仲間たちと共に、ラリークロスの会場へ到着した。ここは1周わずか1キロほどの小さなコース。レースの間にコース外に設けられた別ルートを走行するジョーカーラップもなく、タイトコーナーの連続が待ち受ける。本格的なダート仕様のマシンや、余興に参加する高級スポーツカーなど、多種多様な車が並んでいる。


 「これがラリークロスか……」

 亜実はヘルメットを抱えながら息を呑む。広々とした敷地の中央に、グラベルと一部アスファルトが混ざったコースが確認できる。スタートラインの先には激しく砂利が敷き詰められ、あちこちにオフィシャルが歩いている。周囲のピットスペースからはエンジン音が響き、オイルと泥の匂いが漂う。何度かダートイベントに出たことはあるが、ここまで多彩な車が入り乱れる舞台に立つのは初めてだった。


 「亜実、もうすぐ車検が始まるぞ。準備はいいか?」

 顧問の佐伯が声をかける。亜実はすぐに頷いて、自分たちの“フィットRS”へ視線を送る。部のメンバーで改造したその車は、公道用の雰囲気をほとんど失い、フロントグリルや車高、スポイラーなどがラリークロス仕様に仕上がっている。早朝に部室を出発し、トラックに載せてここまで運んできたのだ。


 「うん、問題ないはず。サイドブレーキの引きやすさや足回りも最終調整済み。エンジンがブローするかどうかは……走ってみないとね」

 亜実は苦笑いしながら、ボンネットを開いてオイル漏れがないかチェックする。早朝の練習走行で走り込むには時間が足りないが、メカ担当たちが夜を徹して仕上げたこのフィットRSなら、きっとタイトコーナーの連続ステージでも戦えるはず。


 一方、周囲では4WD勢や高級車たちが次々と姿を現す。ランサーエボリューションやWRX STIはもちろん、欧州のデルタHFインテグラーレが轟々とアイドリングしている姿も見え、ちょっとした“モータースポーツ祭り”の様相だ。亜実は内心で(すごいなあ、やっぱり私のフィットじゃパワー負けするかも)と不安に感じるが、それと同時に闘志が沸き上がる。


 「ここはとにかくコーナー数が多いから、コーナリングの安定が鍵ね。4WDみたいに立ち上がりで爆発的に加速できない分、ブレーキングとライン取りでタイムを稼ぐしかない。あとは慣れ親しんだFFを信じるのみ……」

 自分に言い聞かせるようにつぶやき、ヘルメット越しに深呼吸する。スタートはもう数時間後だが、受付や車両検査を済ませればあっという間に時は経つだろう。


 コースの下見を終えた先輩が駆け寄ってきて、「コーナー全部タイトすぎて、ほぼひたすら曲がってる感じ。四輪駆動勢はガンガン踏んでくると思う。気をつけろよ、接触とかあるかもしれない」と注意する。

 ラリークロスは複数台同時スタートで短距離を争うため、接触やラインの奪い合いが頻発する。ダート+タイトコーナーの組み合わせは混戦必至だ。亜実は気を引き締めて、「うん、でも私も攻めるよ。下がってたら勝ち目ないし」と応じる。


 受付ブースへ向かう途中、周囲のドライバーたちが興味深げに亜実のフィットRSを見る。「あれ、女子高生かな?」「あんなコンパクトで大丈夫か?」などの声が飛ぶ。亜実は聞こえないふりをして受付を済ませる。背後で佐伯がフォローするように「気にするな。私たちは私たちのやり方で走るだけさ」と笑みを投げかける。


 ちょうど車検も終わり、スターティンググリッドの抽選やレースの進行説明が行われる。今回のラリークロスは複数回の予選を行い順位で決勝に進む形らしい。ジョーカーラップは設定されていないので、単純に走るラインとテクニックで決まる展開が予想される。1周1キロで5周と短いがタイトコーナーが多く、ドライバーの腕がモロに出やすい構成だ。


 「亜実、お前は何組目のヒートだ?」

 先輩が用紙を覗き込むと、亜実は指を差して「第一ヒートだよ、いきなり出番……しかも同組にはランエボとGRヤリスがいるみたい。すごいメンツ……」と苦笑い。でも逃げられない以上、やるしかない。

 フィットRSのエンジンを始動。独特のコンパクトカーの排気音が小気味よく響く。現時点ではそれほど迫力はないかもしれないが、中身はカリカリチューニング済みであり、限界まで回す用にセッティングしてある。ブロー覚悟のギリギリ仕様だ。


 「――行ってこい、亜実! 部活のみんながついてる。大きなトラブルがなければ絶対に入賞を狙えるぞ」

 佐伯がポンと背中を叩く。亜実は頷き、「ありがとう、顧問。私、精一杯走る!」と声を張る。

 まだレーススタートまで少し時間があるが、チームブースでは気の早い部員が「動画撮影の準備OK!」「最後に空気圧もう1回チェック!」と騒ぎ、熱気が高まっている。亜実は愛車のフィットRSの前で、ドライビンググローブをはめ、ヘルメットに装着したインカムのテストを行う。


 スタートラインが呼び出しを始める頃、亜実はエンジンを煽り、マシンをゆっくりと移動させる。ピットロードからコース入口へ向かうと、隣にはGRヤリスやランエボといった4WD車が勢揃い。馬力が全然違うはずだが、この短くタイトな1キロコースならパワー不足でも勝機がある——そんな期待が胸に灯る。

 (私がラリー部の代表。ここで勝って、部活の大人たちや世間に示したい。高校生でもできるんだって……!)

 目線を上げると、スタートゲートの看板が視界に入る。ダートの砂煙が風に揺れ、観客エリアから小さな歓声が沸いている。心臓が高鳴るが、怖くはない。むしろワクワクが止まらない。


 「いよいよだね……フィットRS、頼むよ」

 亜実はハンドルを握り、深呼吸。周りのマシンが爆音を奏でる中、彼女は1台だけのFFコンパクトカーでどう戦うのか——その物語は今始まろうとしている。

 やがてアナウンスが響き、「第一ヒート、コースイン準備をお願いします。車両番号~」と呼び出しがかかる。照りつける太陽、ダートの埃、エンジンの咆哮。全てが一体となり、亜実の世界を加速させる。


 こうして、ラリークロス当日、亜実はフィットRSのステアリングを握り締め、スタートラインへの集結を始める。 周りからはひ弱に見える“フィットRS”が、彼女の未来を変える鍵となるかもしれないと、胸の奥で強く感じていた——。

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