第5話 亜実がラリークロスで戦うクルマはランエボでもWRXでも無く…
放課後のラリー部の部室。古ぼけた整備用工具が散らかる机の上で、顧問・佐伯がラリー部員たちを集めていた。普段は穏やかな目をしている佐伯だが、今日はどこか険しい表情だ。
「みんな、急な話で悪いが、ラリークロスの走行会に参加しろと言われた。もちろん正式にレースというより、ハイアマチュアの集まりみたいだが……相手は結構速く、こちらとしては真剣に臨む必要がある」
部員たちがざわつく。何の話だそれ、と困惑気味。だが、その場で話を聞いていた高槻亜実は、内心で「来たか」と武者震いを覚えた。最近、ラリー部を廃部に追い込む動きがあるとか、女子高生なのにラリーだなんておかしいという噂が流れていた。それに対抗するために、外部の走行会で結果を示す意図があるのかもしれない。
「そういえば亜実は、ラリークロスを見たことはなかったな? ラリーとは似て非なる競技だが、詳しい内容は知っているか」
佐伯の発言に、亜美は同じ“ラリー”という言葉が付くのに、一体何が違うのか、疑問を抱いていた。
「先生、ラリークロスって、ラリーとどう違うんですか? 私にはあまりピンと来なくて……」
亜美が疑問をぶつけると、佐伯は顎に手をやり、「よし、いい機会だからちゃんと説明しようか」と答える。
「ラリーという競技は、林道や一般道を区間ごとに封鎖して“スペシャルステージ”でタイムを競う。スタートからゴールまで、各ステージを一台ずつ走る形式。ペースノートを読み上げるコ・ドライバーがいて、ドライバーが道を制覇していく。公道区間(リエゾン)は規則速度で移動し、各ステージを積み重ねて総合タイムを競う形だ」
亜美はいつもラリー部で触れている世界観を思い出しながら頷く。
一方で、佐伯は続ける。「しかし、ラリークロスは真逆と言っていい。まず短い周回コースが用意されていて、そこに複数台が同時にスタートして“直接バトル”するんだ。ラリーみたいに一台ずつ走るタイムアタックじゃなく、一斉に走って順位を争う。時間にして数分、周回数も少なく、とにかく速さと激しさが濃縮された競技と言える」
顧問の佐伯は話を続ける。
「ラリーは長時間の耐久力や、ペースノートとの連携が鍵。でもラリークロスはスプリントレースに近い。“一気に順位を取り合う”迫力が特徴だ」
と解説を重ねる。
「亜実、ドライバーは君がやれ。腕は部内で一番だ。免許がないのは承知してるが、ラリークロスは閉鎖コースだし、公道じゃないから問題なし。実際、相手も未成年ドライバーを拒否する規定はない。……受けるか?」
亜実は固く頷く。
「はい、やります。ラリー部の名を守るためなら。——でも、どの車で出ます? うちの部には……」
と口にした瞬間、佐伯は困ったような顔をする。「そこなんだ。うちは、いくつか車両があるといえばあるが、本格的なラリーカーは無い。仮にあったとしても、君が慣れてないし、短期で扱うのはリスキーだ。……どうする?」
ラリー部の片隅には数台の車が保管されている。部員やOBが寄贈したり、昔に使っていたものを残しているため、“いわゆるホットハッチ”の古い車も混じっていた。
「たとえばダートトライアルで活躍していたミラージュサイボーグなんかあるぞ。前期型だが、結構走る。あとサーキットレースでよく使われていたシビックSiRのEG型が転がってる。これらは昔のホットハッチで軽くて速いけど……」
佐伯がそう提案すると、亜実は眉を下げて考え込む。
「うーん、部品供給が不安な車ですよね? 練習中に壊れたらすぐ修理できるかわからない。あと、古いクルマだから車体が錆びてるし労わりながら走らないといけないから……」
別の先輩が「佐伯顧問の私物であるランサーエボリューションXもあるけど、亜実があれに乗ったことはほぼ無いよな? いきなり4WDターボを振り回すのは危険かもしれない」と口を挟む。亜実自身も軽く首を振り、「私、FFのコンパクトカーに慣れてるから、ああいうハイパワー4WDは……いきなり乗ったらきっと扱いきれない。競技前に乗りこなす時間もないし」と正直に思いを伝える。
すると何人かの先生が「私が使ってない車を貸してもいいよ」と名乗りを上げる。バスケ部の顧問が何故か車検を切ってあるエスコートRSコスワースとシエラサファイアRSコスワース4x4のグループNラリー仕様を趣味で持っているとか、体育科の先生がGRスープラRZを所有してるだとか、国語の先生がRZ34型フェアレディZを持っていると名乗りを上げている。さらに、自動車課からは「ルール無用なら自動車課の威信を賭けてツインエンジンのスイフトスポーツ4WDを作ろう」という話も出ていると聞いた。このラリークロス騒動を知って“ラリー部を助けよう”という動きが広がっている。
しかし、エスコートRSコスワースとシエラサファイアRSコスワース4x4は1990年代に製造されたマシンで部品を探すのに時間がかかる。また、GRスープラRZやRZ34型フェアレディZは新しいがラリークロスには不向きなど色々と不安要素がある。ツインエンジンのスイフトスポーツ4WDを作る案も時間が足りないため間に合わない。
「じゃあ、どうするよ?」と先輩たちが顔を見合わせる中、亜実は口を開く。「私、フィットRSがいいと思います」
部員たちは「フィットRS?」と首をかしげる。確かに部室の奥に青いフィットRSが一台置いてある。そこそこ最新のコンパクトカーで、走りもスポーティだが“ホットハッチ”と呼ぶほど爆速ではない。昔のシビックやミラージュよりパワーは劣る。
しかし亜実は、強い意志を滲ませて理由を述べる。
「フィットRSなら部品供給が安定してるし、私も叔父との練習で乗り慣れてるんです——ダートトライアルでは、現代のコンパクトカーの挙動に慣れてるから、そのほうが本番で振り回されず済む。今回のラリークロスはルール無用だからチューニングを行えばある程度パワーも上げることができる。それに、ランエボとかGRスープラといったハイパワーマシンに一から慣れる時間は……正直ない」
部員たちは納得の反応。
「まあ、確かにホンダ車で比較的新しいのなら練習でぶつけても部品もあるし、整備もしやすいよな。スポンサーから部品も譲ってもらえるかも」
佐伯は顎に手を当て、「なるほど。昔のホットハッチは確かにパワーや軽量が魅力だけど、古さゆえのリスクがある。新しいフィットRSなら壊れても修理が容易……。このレース、正直言ってブロー上等でチューニングすれば、そこそこ速いんじゃないか?」
亜実は静かに頷く。「はい。4WD勢やハイパワーカーが多いのは分かってるけど、私が乗り慣れたFFコンパクトで正確に走れば、少なくとも闘えるかもしれない。最速までは行かなくても、コンパクトカーで好タイムを出せれば部活の印象も変わるはずです」
こうしてラリー部「フィットRSをレース用に改造」する方針を固める。車検は切って、ラリークロス用にエンジンや足回りをチューンすることが決定された。
「これがぶっ壊れても平気なくらいカリカリに仕上げて、パワーと足回りを最適化しよう。正直、レース中に壊れるかもだけど……走り切れば注目は集まるはず」
メカニック担当の先輩が興奮気味に言う。亜実も躊躇なく「大丈夫、私が全力で乗る。もしブローしても悔いはない」と笑う。
部員たちは順繰りに作業に取り掛かる。吸排気の取り回しを変更し、コンピュータをいじり、サスセッティングもダート対応に最適化……。「市販コンパクトカーをどこまで速くできるか?」というワクワクが、部全体を盛り上げる。
佐伯が掲示板に日程表を貼る。「ラリークロスは次の週末。経営者や業界関係者たちのハイアマチュアレースだが、レベルは高いらしい。恐らくラリーで主流のランエボ、WRX、GRヤリスに、FRのRC Fが出る噂もあるとか……」
部員は「うわ、強敵ばっかだな……そこにフィットRSが混じるのか」と驚く。
しかし、亜実は逆に燃えていた。
「面白いじゃないですか。私がどこまで通用するか、試す良い機会かも」
顧問の佐伯は苦笑しつつ、「ただ、今回の目的は“ラリー部を守るため”でもある。無理せず完走を目指してくれ。対戦相手の中に、教育委員会絡みで部を潰そうとする輩がいるらしいという噂もあるし……」
亜実はきょとんとする。「本当ですか? そんな陰謀じみたこと……」
佐伯は深くは語らないが、心の中で(円城寺という男の話はまだ亜実に言わないほうがいいか)と思っているようだ。とにかく何か裏がありそうだが、“勝つか目立つかしないと部が危うい”のは確かだ。
ラリークロス当日へ向けて、夜遅くまでチーム一丸でチューニング作業が続く。フロントボンネットをカーボン製に変えて、スポット増し溶接を追加し、冷却系も補強。部室の中は活気に満ちているが、一方で不安も拭えない。
(正直、4WDターボ勢が相手じゃパワーで圧倒的に負ける。だけど、亜実が乗り慣れたFFで限界ギリギリを攻められれば……何かが起こるかもしれない)
そう感じる先輩や後輩が、互いに励まし合う。
亜実自身は帰り際に車両を眺め、「あれ、まだ市販車の面影があるけど、レース用のカリカリ仕様だね……壊してもいいなんて絶対思わないけど、絶対全力で走るよ」と決意を口にする。その目は静かな闘志に燃えていた。
ラリー部は部員や先生方も協力を惜しまない姿勢を見せ、学校全体が少しずつ彼女をバックアップし始めている。しかし、亜実はまだ知らない。このラリークロスに、教育委員会の委員長・円城寺潤がレクサスRC Fで出場し、“もし亜実が負ければラリー部廃部”という脅しをかけていることを。
フィットRSは準備完了に向けて急ピッチで仕上がっていく。タイヤや足回りもレース用にチューニングし、エンジンもレッドゾーンを大幅に上げた燃調セッティングにする。ぶっ壊れても上等、完走できれば奇跡的な速さを発揮するかもしれない——部員たちはそんな期待を胸に抱く。
ただし、この選択が彼女をどんな運命へ導くのかは、まだ誰も分からない。
夕方、部室を後にする亜実は、ガレージに鎮座するフィットRSを一瞥し、思わず微笑む。“ホンダのコンパクトカーなんてパワーが足りない”と揶揄する声もあるが、自分が一番慣れ親しんだタイプのマシンだ。軽量で小型の車体と高回転を絞り出すエンジン、これを武器に、4WDターボ軍団と真っ向勝負を挑むつもりだ。
(絶対に、負けたくない。もしこの勝負に負けて、ラリー部に打撃があったら……私はその責任を負わなきゃならないし、両親にもまた責められるかもしれない。だけど、私ならきっとやれる。)
心の中に小さな炎が灯る。強い風が吹けば消えてしまいそうな弱々しさもあるが、彼女は歯を食いしばり、歩みを進める。
“みんなで作り上げたフィットRS”が、ラリークロスの舞台でどんな走りを見せるのか——そして、そこに待ち受ける円城寺潤との対決は、亜実の運命を大きく変えることになる。
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