かぎりなく白い結婚

ペンのひと.

かぎりなく白い結婚

「あなたが愛されることはありません。なぜならこれからあなたがお嫁ぎになる旦那様は、すでにこの世の方ではないからです」


 馬車の対座で、影の薄い従者がそう言った。


 それでわたしはすぐに「ああ、これは夢なんだわ」と思った。


 たまにあるのだ。

 眠る前に読んだ恋愛作品に影響されて、こういう不思議な異世界の夢を見ることが。


 白々と初冬のもやに煙る林道。

 かすかにほの見える辺境の小城をめがけ、わたしは馬車に揺られている。

 季節外れの薄いドレスを身にまとって。


「わたしが愛されることはない?」


 おうむ返しにわたしがつぶやくと、さっきの言葉をくり返して対座の従者が辛抱強くうなずいた。


「そうです。あなたが愛されることはありません。なぜならこれからあなたがお嫁ぎになる旦那様は、すでにこの世の方ではないからです」


「そうなの……。それはつまり――白い結婚、ってことかしら?」


 愛されることはない。

 嫁ぎ先の旦那様は、すでにこの世の方ではない。

 その表現はあたかも、愛のない政略結婚――いわゆる「白い結婚」を遠回しに告げるよう。


 わたしの問いかけに、従者は顔色ひとつ変えずこたえる。


「白い結婚……ですか。ええ、お望みなら、そうおっしゃられるのもよいかもしれません。いずれにせよ、すでに辺境伯領に入りました。お仕えできるのは城の玄関ホールまでです。どうぞ、ご自愛を」


 その瞳にはもう、わたしが映っているようには見えなかった。



        ♢



 城の中は、ひっそりと静まりかえっていた。


 ホールに吊られたシャンデリアには白々と灯がともり、それなりに広い城内はすみずみまで手入れが行き届いているようだ。


 でも、執事や侍女、使用人の姿すらどこにもない。

 この辺境の小城に、わたしをあたたかく迎え入れてくれる人物は誰もいないのだ。

 だってこれは、白い結婚なんだから。


 わたしは手持ちぶさたになり、しばらく気の向くままに城の中を探検することにした。


 急ぎの応接室やクローク、休憩室などがあるグラウンドフロアから、ギャラリーや遊戯室の設けられた一階、そして書斎、執務室、屋内テラスやダイニングルームといくつかの寝室が並ぶ二階、三階まで順ぐりに見て回る。

 まるで大好きな中世ラブロマンスの世界へ入り込んだようで、少し胸がときめく。


 そろそろひと通り歩いたかなと思っていると、ダイニング用の広間からとてもいい匂いが廊下を渡ってきた。

 食欲を誘う晩餐の香りだ。


 誘い込まれるようにわたしはダイニングルームへ向かう。

 長テーブルに並べられたフルコースのディナー料理。

 磨き抜かれたカトラリー。

 おなかが鳴って、誰もいない晩餐の席に着く。


 フォークとナイフを手に取って、前菜の一口目をパクリと頬張ったとき。

 わたしはテーブルの向かい席に、いつのまにか誰かが座っていることに気付く。


 もちろんそれは、わたしの旦那様だ。



        ♢



 華美な装飾のない辺境伯然とした男性服から、その人がわたしの旦那様であることはひと目でわかった。


 たしかに旦那様は、この世の人ではないように見えた。


 短めに切り整えられた細い銀髪も、涼やかな半眼の目もとも、襟首や袖口にのぞく筋肉をおおう美しい肌も、そのすべてが淡くすき透っている。

 その幽玄なはかなさが、彼の魂の半分がもうこの世ではないどこかへ運ばれてしまったことを伝えていた。

 

 でも、弱々しいというのではない。

 しなやかな身体のシルエットはむしろ頼もしく、こちらを安心させてくれる何かを宿していて……。


 晩餐の席で旦那様は音ひとつたてず、テーブルに並ぶ料理を落ち着いた動作でゆっくり口へ運んでいく。

 ものを飲み込むとき、ほんの一瞬だけ眉根を寄せ、キュッと薄い唇を横に引く。


 その仕草が、なぜかわたしの胸を懐かしさで不意に締めつける。

 こちらのまなざしに気付いて、旦那様が静かに顔をあげた。


「――――、――――――――――」


 淡い唇を開いて、旦那様が何かをわたしに告げようとする。

 でもわたしには、彼の声が聞こえない。

 すき透った瞳でまっすぐこちらを見つめる彼のその言葉を、聞きとることができない。


 距離があるはずなのに、彼の瞳だけが真近に見える。

 それからわたしはハッと息をのむ。

 その澄んだ瞳のどこにも、わたしの姿が映っていないことに気付いて。


 ゾクリと背筋が寒くなって、わたしは広間を飛び出す。

 廊下を走り抜け、階段を駆け下り、一目散に城の外へ。


 ――城外はいつのまにか、白々とした雪景色になっている。

 夜空は吹雪。

 凍てつく空気中を、ダイヤモンドダストがきらきらと舞っている。


 辺境の雪原にポツンと立ちつくし、わたしはさとる。


 わたしはもう死んだんだ。

 誰の瞳にも映ってない。

 この世に、この世界に、わたしはもういちゃいけない。

 

 氷の涙が頬をつたい、雪の上に音もなく落ちて宝石に変わる。

 しゃがみ込んで拾おうとするけれど、一粒の輝きだってわたしはすくいとれない。

 かきわけてもかきわけても降りしきる雪に、宝石は見るみる埋もれていってしまう。


「待って、ダメよ、やだ……いかないで! お願いっ――」


 だだをこねる幼女みたいに、気付けば嗚咽が口から漏れ、どうこくになる。



 でもやがて、しゃくりあげるわたしの肩を、誰かがそっと抱き寄せてくれる。


 静かで、あたたかで。

 包み込むように優しくて。

 そばにいてくれるぬくもり。

 そのぬくもりにおでこを擦りつけて、いつかの懐かしいあなたの声を、やっとわたしは聞きとる。


 思い出す。

 胸が張り裂けてしまうような愛おしさで、だから思い出す。

 そう、もうずっと前に、あなたが死んでしまったことも。

 わたしがあなたを、まだどうしようもなく――愛しているんだということも。


 抱かれていたい。

 このままあなたにもたれて、真っ白にとけてしまいたい。

 あなたとひとつになりたい。

 永遠の愛を、誓い合って――。



 夢ならどうか覚めないで。

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