第2話

「おめえさんよぉ、いつになったら出世すんだ?」


 藪から棒にそう言い出したのは、行きつけの鍛冶屋『ブラッドスミス』の店長、ブラッドだ。今日も今日とて、つるつると光り輝く頭を撫でながら、泣く子も黙る強面に笑みを浮かべている。


「出世ぇ……できたらいいんですけどね」

「相変わらず弱気だねぇ」


 手渡した短剣を引き抜くと、ブラッドは口を窄める。


「ったく……おめえさん相手じゃ儲からんな、本当に」

「うぐっ……遠回しに『剣が泣いてる』とか言わなくていいんですよ……」

「剣が泣いてるぜ、リディスよ」

「直球に言えとも言ってないですけどっ!」


 泣いたばかりの短剣を鞘に納め、カウンターに置くブラッド。メンテナンスとも言えないメンテナンスを終えた短剣を手に取り、腰に差す。


 いつも通り、良い腕だ。一目見ただけで刃こぼれを確認し、適切な処置をする。つまるところ、今回はろくに刃こぼれもしていないっていうことだ。


 それも当然。何せ、前回見てもらってから短剣を抜いたのは、三日前のスライム狩りの一度だけ。それも結局、攻撃が命中せずに逃げ帰ってしまったのだから。刃こぼれしているはずがない。


「天下の勇者様がそんなんでどうすんだよ。ご先祖様も泣いてるぜ?」

「いやだって、天下の勇者様、2000人以上いますし……それだけいたら、僕みたいな雑魚がいたっておかしくないと言いますか何と言いますか……」

「卑屈だねぇ」


 勇者。それは数百年前に魔王を討伐した勇者アルドレアの血を継ぐ者たち。勇者アルドレアと同じ特徴を持ち、同じ力を使うことができる。


……のだが、女たらしであったことで有名な勇者アルドレアの血を継ぐ者は世界各地にいる。現在、協会が確認しているのは2435名。その中で付けられた、業績や戦闘能力から評価される序列で、僕は驚異の2432位。しかも、2433位から2435位は、ここ三年ほどで生まれたばかりの幼い子供だということで……つまり、実質最下位だ。


 いや、泣きたくなる。本当に。ご先祖様が泣くより前に、僕が泣いている。


「僕はほら……平穏な毎日が送れたらそれでいいんですよ。勇者、2000人以上いますし。それ以外に戦える人だって沢山いるんで。多分、外の魔物とか僕以外の人類で倒してくれると思います」

「向上心がねえなぁ。男ならいざって時に戦えねえとダセえぞ、リディス」


 無精髭をさすりながら、ブラッドはそう言った。


 とは言うものの、現代において『いざって時』なんてものはそれほど聞いたことがない。小さな村なんかじゃいざ知らず、大きな町が魔物に攻め落とされた、だなんて話も聞いたことがない。


「いざって時って……魔王が復活するわけでもなし、そんな時あります?」

「女子供を守る時だろ。あと年寄りを守る時」

「女子供でも僕より強いですよ。この前なんか近所の七歳の女の子に腕相撲で負けましたよ、僕」

「……ダメだこりゃ……」


 何だか、酷く呆れられているような気がする。恐らく気のせいではないのだろうけど、僕は僕として生きられればそれで満足だ。


「ま……おめえさんにも分かる日が来んだろ。力は手にしておいて損はねえ、ってことがな」

「分かりますかねぇ。こんな平和な世界で」

「さてな。そりゃおめえさん次第ってとこだ」


 カウンターに申し訳程度のメンテナンス代を置き、『儲からねえが心配になるからまた来いよ』だなどと言っているブラッドに手を振って、店を後にする。空を見上げると、何だか雨が降り出しそうな曇り空だった。


 嫌な天気だ。装備が痛むから、雨は好きではない。


「……今日はもう帰ろう」


 そう、小さく呟いて歩き出す。普段なら人通りのないブラッドスミス前の薄暗い路地に、今日は珍しく来客があった。フードを深く被った、小さな人影。まだ小さな子供だろう。


 人影はこちらに真っ直ぐと歩いてくる。ブラッドスミスの客だろうか? 体が当たらないよう、広めに距離を取ってすれ違う。



「……ふむ。見つけたぞ、勇者よ」



 不意に、背後からそんな声が聞こえた。女の子の声だった。


「……え? あ、僕?」


 咄嗟に振り向いた。目の前にあったのは、フードを取り、こちらをじっと見つめる、幼い女の子の姿だった。


 黒い髪に、黒い瞳。珍しい色だ。今まで見たことがない。何てったって、黒髪黒眼は『魔王の象徴』ともされる、忌避される色だったから。


「えっと……ごめんね。僕、確かに勇者ではあるんだけど……序列2432位の最底辺勇者だから、困り事なら他を当たった方がいいよ」


 勇者というのは、今や幅広い世代から頼りにされる『便利屋』的な一面を持つ者たちだ。こうして突然、誰かから頼み事をされることも少なくはない。魔物の討伐から、光の力を使った夜間の照明役まで……勇者の用途は様々だ。


 てっきり、この女の子もそうだと思っていた。だが、どうやら違ったらしい。彼女は首を傾げ、頭に疑問符を浮かべながら、口を開いた。


「ふむ? 序列? よく分からんが……貴様は勇者で間違いなかろう?」

「えー……っと……」


 間違いない。確かに、序列2432位の実質最下位、最底辺であるとはいえ、僕は勇者の一人だ。なのだが……微妙に、認識の齟齬があるように思えてならない。会話が絶妙に噛み合わない感じ、と言えば分かりやすいだろうか。


 どこかで会ったことがあるのだろうか。そう考え、何度思い返しても見覚えがない。完全な初対面だ。


 少女は何だか小馬鹿にしたような笑みを浮かべると、腕を組む。僕より背が低いはずなのに、何だか見下ろされているような……いや、見下されている気分だ。


「ふん、我の姿を見ても思い出せんか、勇者よ。どうやら我同様、貴様も記憶に欠損があるようだな」

「ごめん、ちょっと何言ってるか分かんないんだけど……君は?」


 名前を問うと、途端に、彼女は俯いた。何やら聞きづらいことを聞いたのだろうかと心配になったのも束の間。俯いた彼女から、小さな笑い声が聞こえる。


 小さな笑い声は、やがて高らかな笑い声へ。少女は右手で顔を覆いながら天を仰いだ。


「くく……ふはははは! よくぞ聞いてくれたっ!」


 そうして、今度は、左手を翼に見立ててはためかせ、体をのけ反らせて決めポーズをとる。



「我が名は!! 今ここに再び命を得た、偉大なる闇の魔王なりっ!!!」



 ひゅぅぅ、と、そよ風が吹き抜ける音が聞こえた。妙な静寂が、場を支配する。決めポーズの姿勢のまま、エフェトと名乗った少女は動かない。


「……あー、おままごとの相手が欲しいってことかな……?」

「何がおままごとかっ!! 魔王を愚弄する気かっ!!」


 決めポーズが解除された。少女の顔が赤い。今の部分は拍手でもしたら良かったのだろうか?


「いや、ほら……そういう設定かなって……」

「設定とかではない!! ふざけておるのかっ!!」


 地団駄を踏む、エフェトと名乗る少女。まるで駄々をこねる子供だが……まさか本当に魔王というわけでもないだろう。大方、勇者の冒険譚に影響された可愛らしい子供といったところだろうか。偶然、勇者の特徴を持つ僕を見かけて、気分が高揚してしまったんだろう。


 何というか、こう……悪い子ではないんだが、少々、見てて恥ずかしい気分になるというか……見ているこっちの背中がむず痒くなるような、そんな女の子だ。


 ふーっ、ふーっ、と、まるで怒った猫のように興奮する少女は、ゆっくりと息を整え、再び小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「……ふんっ。理解できんようなら見せてやろう。我が闇の力の片鱗に触れれば、おままごとなどと言っていられなくなるだろう……!」


 少女は右手を前に突き出し、僕の方へと向けた。今度はそれを、天高く掲げる。


 その手に、周囲から黒い何かが纏わりついていく。何かこの世のものではないような、異常な力を感じた。


「こ、これはっ……!」


 勇者が扱うのは光の力。そして、かつて勇者に討伐された魔王が扱っていたのは、闇の力であったとされている。魔王亡き今、闇の力を扱うことができる人間……いや、生命体はこの世に存在しないはずだ。


 だが、どうだろう。彼女が扱っているのは、そんな闇の力のようにも見える。実物を見たことはない。だが、何となく……勇者としての直感のようなものが、あれはだと言っている。


「ふははははっ! とくと味わうがいい! 我が暗黒滅神波ダークネス・ディザスターを!!」


 少女は再び手を前に突き出した。咄嗟のことに理解が追いつかない。このままでは何か良くないことが起きる。そう思った。



……思っただけだ。何も起きなかったから。


「……」

「……」


 少女の手に集まっていた黒い何かは、『ぷすん』と音を立てて、小さな煙になって消えてしまった。気まずい沈黙が流れる。少女は行き場のなくなった右手で顔を覆う。ほんのりと頬が赤く染まっているのが見えた。恥ずかしかったのか。


「……ふ、ふむ。まあ、そんな日もある」

「ええ……」


 一気に、警戒心が解れた。先ほどまでの張り詰めていた空気が嘘のようだ。


「と、とにかくっ! 勇者よ、貴様との約束を果たす時がっ……!!!」


 上擦った声で叫ぶ少女。しかし、そんな少女の言葉は、予期せぬによって遮られてしまった。


 何かを察知したのか、言葉の途中で身を翻す少女。直後、目の前に閃光が降り注ぐ。


「な、何だっ……!?」


 閃光の正体は、光の槍のようなものだった。鋭く尖った光が数本、地面に突き刺さっている。丁度、先ほどまで少女が立っていた場所だ。


 閃光……閃だ。それ即ち、勇者にしか扱えない力。どこかに、今、あの女の子に攻撃を仕掛けた勇者がいる。



 彼らは、思いの外あっさりと、姿を現した。


「……初撃は外すなと言っただろう、クソ無能め」

「す、すみません、すみませんっ!」


 足音と共に、彼女の背後から人影が現れる。長身の男と、同じくらい背の高い女。女は何度も何度も頭を下げ、謝っているようだった。


 どちらも、白銀の髪に白銀の瞳という、勇者の特徴を有していた。やっぱり、勇者だ。それも、男の方には見覚えがある。この町にいる勇者の中で、最も序列が高い男……。



「……まあいい。丁度、そこに手頃な壁がいるからな」



 序列435位、ティード。魔物や犯罪者を極限まで甚振ってから殺すのが大好きな、クソドS野郎だ。

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序列2432位から始める勇者奮闘記 お茶漬け @shiona99

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