第12話 空っぽになる揺り籠

焦げ臭さが鼻をつく。煙を手で払いながら、シバはサヤの後ろを歩いていた。


「田村はどうなるの?」

 サヤは後ろも振り返らず聞いた。


「逮捕されると思います。それから色々と捜査が行われて、必要であれば警察監視下での治療も。最終的には裁判になって刑が決まります」

「他の村人たちも?」

「はい、恐らくは田村さんと同じかと」


 それからまたしばらく歩いた。


「祠に行くんですか?」

 シバが唐突に聞くと、サヤは「うん」と一言だけ答えた。


 より一層濃くなる煙と無人機の残骸を避けながら進むと、祠の場所に着いた。


 石の台座は焼け焦げており、黒ずんでいた。その上にあったはずの大きな瘤は跡形もなく消えている。しかし侵食されていたはずの木製の祠が完全な形に戻っていた。


 その祠は古びていて、所々に苔が生え、木材にもシミが浮かんでいた。先ほど大きな爆発があったはずだが、炎や衝撃波に晒された様子など微塵も感じられなかった。まるでそこに何百年もあったかのように佇んでおり、周りの状況との差にシバは異質さを憶えた。


 サヤは祠を前にして立つと振り返り、シバに語りかけた。


「あの小さな谷で食事しながら話したこと憶えてる?」


 シバが頷くとサヤが続ける。


「自分の力でこの束縛を解除できなかったのは本当。でもそれは私がもっと小さかった頃の話。何百年も経って、大きくなって気付いた。もう自分で殻を破ることができるんだって。でもそうしなかった」


 サヤは岩の台座に腰掛け、それから手を伸ばして祠に優しく触れた。


 祠から空に向かって、緑色に光る一本の糸が伸びる。シバはその様子を目で追った。その糸は20メートルほどの高さまで到達すると次に横方向へ枝分かれし、絡み合っては遠くまで伸びていく。シバが気付いたころには蜘蛛の巣のような糸による構造物が頭上に広がっていた。


「これが呪いの本体。でも私と村の人たちとの絆でもある」


 そう言うとサヤは祠と台座から離れ、広がった糸を見ながら後退る。それからシバの隣に立つと彼を見た。


「感想は?」

「とても……きれいです。それに何だか温かい」

「そうでしょ。暖かくて、柔らかくて、優しく包んでくれる。だからこそ手放せない」


 2人はしばらく沈黙したまま、上で広がる糸を見ていた。


「でもこれだと、どれが誰の糸だか」

 シバが言った。


「私には分かる。なんせこの束縛の中心だし」

 サヤはおどけた表情をシバに見せる。それから上にある糸の一本を指差した。


「あれは大野さんの糸、学校の教師をやってた。子供たちのためだって何とか外から知識を取り入れて、小さな学校を作って教えてた」


 サヤは次々と頭上の糸を指差す。


「あっちはサクラ、あれがタケル。初めて会ったのは2人がまだ8歳の時だった。高校生ぐらいになったら2人とも付き合ってて、成人した途端に結婚しててビックリした。あそこがショウジ、物静かな人だったけど褒められるとすごく嬉しそうな顔をする。手先が器用で機械修理やら扱い方で頼りにされてた。あっちのミヨコって子は幼いころに両親が亡くなって大変な思いをしてたけど、我慢強くて頭も良かった」


 サヤは少し遠くにある別の糸を指差す。シバをそれを目で追った。


「あれは巫女のトヨミ、カズハ、サチエ、ハズキ、それからサユリ。田村と結婚して巫女の役職を辞めたの。正直寂しかったけど、でも……とても幸せそうだった」


 サヤは糸から目線を外し、下を向いた。それから少し考え込むと口を開いた。


「みんな良い人で私のことを思ってくれてた。でも田村の言ってたことも嘘じゃないの。内心でこの束縛から逃れたい、私を疎ましく思っている面も確かにあった。私はそれを感じ取って……そして無視した。ほんと複雑だよね、人も神も」


 シバが口を開く。

「でもそれが思い出の本質のような気がします。白と黒が混ざり合ってて嫌だけど離したくない」


 サヤは小さく頷いた。それから何回が大げさに深呼吸をするとゆっくりと石の台座へもう一度近づいた。祠から上へ伸びる一本の糸に優しく触れると、指でなぞった。


「やることは簡単。私自身でこの糸を切れば良い。これで解放される。でもみんな……私のことを忘れる。あなたや部隊の人もね」


 シバは思わずサヤを見た、その横顔は憂いを帯びていた。しかし同時に覚悟を決めている顔にも見えた。


「ひどいよね。お父様はなぜこんな力を授けたんだろう」

「もし会うことがあったら、一発殴っても許されますよ」

 シバの返答にサヤは笑って頷いた。


 日が落ちかけていた。黄金掛かった夕焼けが周辺を照らす。その中でも緑色の光を放つ糸がハッキリと見えていた。サヤは夕日を見て、次に目の前の糸に目をやった。


 シバはゆっくり歩くとサヤの側に立った。お互いに顔を見合わせる。ふとサヤが気づいて、シバの左腕を指差した。

「それ……糸?」


シバが目をやると手首の部分から薄っすらと糸が伸びて、サヤの胸元、両鎖骨の中央辺りに届いていた。それは夕日に照らされてわずかに反射するのみでほとんど見えなかった。シバは左腕をグルグルと見回して糸の出どころを掴もうとするが見つけられない。サヤも同様に自分の胸元を触って糸を掴もうとするが感触は何もなかった。


「ごめんなさい、糸が。でもこんなの見たことない。体は大丈夫? どこか変になってたり――」

 サヤが尋ねる。


「ええ。特に問題ありません」

「そう。もしかしたら、これも束縛の力なのかも。このまま放置してたら、村の外の人まで」

「う~ん、根拠はないですが……何となく祠のものとは違うような」


 シバはもう一度、左手から伸びる糸を見回す。サヤは大きくため息をつくと祠とそこから伸びる緑の糸を見た。それからシバの方へ向く。


「でも良かった。悪化する前にこの呪いを終わらせることができる」


サヤは両手で自分の頬を軽く叩く。それから息を吸って、目を見開く。


「よし! いつまでもグズグズしてないで……やりますか」


サヤが祠の糸に手を伸ばす瞬間、シバがその肩に手を置く。サヤが顔を向けると、シバはその目を真っ直ぐ見て語りかけた。


「サヤさん、その……色々ありましたが、あなたの手助けができて光栄でした。一生の思い出です。忘れることなんてありません」


 サヤの目に涙が浮かび、あふれては頬を伝った。それから「ありがとう」と返事をすると祠から伸びる糸を掴んだ。


 それからサヤは大きく息を吸う。それから糸の握る手に力を入れる。体が目に見ない何かに包まれ温かい。周りの雑音が消え失せ、今まで出会った人たちとの思い出が頭の中を駆け巡る。サヤはその人たちを救いたいと願った。解放してあげたいと願った。糸が切れることを願った。


 ぷつんと、音がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る