第7話 漏洩

 男にとって、ここ数日間は最悪であった。ご近所同士で殺し合いはするし、知り合いが化け物になって、しまいには銃を持った軍人風情の怪しい奴らと宿を共にする。もうこれ以上はないだろうと男は思った。


 古びた山小屋を背に、草をかき分ける。少し遠目に離れるとズボンのチャックを降ろして用を足した。その間、キョロキョロと見回すが辺りは月明かりに照らされて青白く輝いていた。男がチャックを上げて帰ろうとした時、かすかに人の吐息を首筋に感じた。とっさに振り返るが誰もいない。恐怖が瞬時に全身を駆け巡り、身を隠すためその場にしゃがみ込む。


 背の高い草木の間から目を凝らす。しかし周りの風景は変わらず穏やかだった。しばらく身を潜めていると月が雲に隠れて辺りを闇が包む。暗闇が不安を掻き立てる。男は息を呑み、身震いした。荒くなった呼吸を何とか落ち着けるとおぼつかない足で小屋へ帰ろうとした。


 最初の一歩目、何か柔らかいものを踏んだ。目を向けるが暗がりでよく分からない。もっとよく見る。するとそれはわずかに動いて光の当たり方が変わった。


 赤褐色で細長い肉塊だった。男は「ひっ!」と声を上げ、後ろに逃げようとするがもうすでに手遅れだった。その肉塊が跳ねると男の右足にきつく巻き付く。次に凄まじい力で足を引っ張られると男は地面に倒れ、そのまま草の中を引きずられた。硬い土や石ころが体を痛めつけ、低木の枝が顔をひっかく。


 引っ張られた先にて男は首根っこを押さえられた。そして見たくなかったものを見た。


「やっと、みつけたぁ」

 目の前には顔が半分焼けた人の顔があった。金髪の髪色と比較的無事なもう半分の顔からそれが村の工場で働いていた青年だと男は気付いた。ただ人の姿を残していたのは頭部だけだった。首と胴体は醜く膨れ上がり、ブヨブヨとした肉を垂らしている。体の右側は本来の腕の他にも大小様々な手が脇腹や肩から複数本生えており、そのうちの1つが男の首を掴んでいた。


「おまえ省吾か!? やめ――」

「お前もホヨ様に抱きしめてもらえぇ」


 かつて人間だった省吾は自分の膨れた体をまさぐり、一本のうねる触手をえぐり出すと、それをそのまま男の口に押し込むと首から手を話した。触手はつるりと喉を通る。男は白目を剥きながら地面をのたうち回り、やがて動かなくなった。しばらくすると痙攣しながら立ち上がる。


 省吾は男をじっくりと観察した。鼻や耳、目頭の隙間から細い触手が見えると笑みを浮かべた。


「うぅむ。すぐには馴染まないか……。おい、他に仲間はいるのか?」

 省吾の質問に反応し、男の頭部が激しく揺れ、それから口を開いた。


「山小屋。いっぱいぃぃぃぃぃ」

 男は左腕だけをビシッと動かし、真っ直ぐ山小屋を指差す。


「そうかそうか。銃を持ってるよそ者はいたか? 軍隊みたいなやつらだ」

「山小屋。いるぅぅぅぅ」

 男はまたビシッと山小屋を指差した。


「そのよそ者どもは何か言ってたかぁ?」

「禁足地いぃぃ。ホコラッ!」

「ああ、やっぱり狙いはそれかぁ」


 省吾は細長い三本の腕で金髪の頭を掻きむしると、男の肩に一本だけ手を置く。


「おい新人! 初めての仕事だぁ、よそ者が祠に向かってることを田村村長に伝えろ。いいなぁ?」

「はぁぁぁぁぁぁいぇー」

「分かったら、走れぇ!」


 活を入れると、男は酔っ払ったようにふらつきながら歩き出し、次第に姿勢を正しては速度を早めて走り出した。

 森を駆ける男の背中が見えなくなると省吾はその膨れた巨体をゆっくりと揺らして体の向きを変えると遠目にある山小屋を見据えた。

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