第12話 山


 小高いといっても、丘ではなく山なのだ。立ち入ったことはないが、辺りは見るからに深い森である。草原へと向かう道も基本的に一本とはいえ、当然獣道だ。

 咽返るような緑の薫りと、土の匂い。厭がる目覚めと眠りにしがみつこうとする瞬き。そんなものが無秩序な道の上で、追憶の彼方から籾切りに、紛れてくる。

 久しぶりに友達活動はお休みし、やり直し前にもたまに登っていた山に登ろうと、沙紀にも、両親にも何も言わず来た。

 運動不足解消には淳がいるが、一人になりたいという気持ちには昔の俺のやり方に頼るしかない。俺はこうやって山に登るのが好きだった。

 動くたびに体温は上がった。額に汗が滲み、流れ落ちて土へと沁み込んでいった。

春先とはいえ、アポロンが休息しているような陽気な気候である、息を切らせながら登り続ける。斜線を描いて、縦の線をくずさず、物さびた樹木の幹の下までも輝かせる。真っ直ぐな道だから歩き去っていく後ろ姿と、登っていく後ろ姿が見える。といって、いまは人っ子いない。古代ならこういう道をして、怪物の背骨とでも呼称しただろう―――か。

 でも俺だってこの真っ直ぐな道から、ひょいと逸れれば、エミール・ノルデの『生者の仮面Ⅲ』や、オットー・ラップの『事物を超えた心の劣化』や、オディロン・ルドンの『笑う蜘蛛』を垣間見ることになるだろ―――う・・。

 イギリスのロンドンにある蝋人形だらけのマダムタッソー館・・。

 無理矢理にはめこんだ額縁構図をしてみる。

 病んだ紫陽花のような日輪が狂っていた。色硝子の破片を降り落としているようだった、なごやかなそよ風を無風とする陽の光に切り取られ、ゆっくりと継ぎ目もなく過ぎてゆく日常における時間の錘。都市はまるで・・・・・・。

 不快感の多い構図コンポジション・ウィズ・アー・ロット・オブ・ディスカムフォット

 鳥の翼のように影を落とす雲の流れが綺麗だった。

 雲の影が落ちると青い酔った焔を覗き込んでいるような気がする。道が細くなり、木立が頭上に覆い被さってくる。呼んでもないのに、狸が出て来てはすぐに立ち去った。何処かで聞こえているものの、一向にその姿を見せず、鳴くことをやめない小鳥の声。名前の知らない高山植物の花。香りと色と音とが互いに応えあうように、

その微かな響きのを、遠くの雷鳴を聞くように感知する。

 牛がのさばりでたようなナイフの刃の岩稜。倒影とうえい―――直線ちょくせんよりも曲線きょくせん憂鬱ゆううつ木陰こかげんだ模様もよう・・。

 汗がひどくて眼を開けていられない。

 勿忘草の風・・・、薔薇色の風―――ゴブラン織り・・緑の焔・・。

 聖玻璃色の風―――その芯・・漆黒のしずまりの青波・・。

 やがて周囲の光景が唐突に開けて天然の大広間が見えてくる。汗だくの肌が陽射しに濡れてゆく、馴染んでゆく。流れ落ちる汗に眼を閉じたまま、しばらく真っ直ぐに歩いて立ち止まった。ここには風が流れている、両足に絡む草の生命力のようなものを感じる。揚羽蝶あげはちょう―――だった・・。


 「はぁ・・・はぁ・・・やっと着いた―――」


 空気は音楽のように軽やかに澄み渡っていて、クライマーズハイかも知れないが見るものすべてが美しい。触手のように、分裂する、草の海は膝までの深さで、形式はつねに形式以上のものとして、増殖する。鍵穴のように痩せた自由を見つけるのだろう。光はいつか、力強く重なり、湧き昇って底光りする眼に思われてきた。

 強烈な現実乖離との可逆的関係を結びながら、

 予行の―――​地平をさまざまに遍歴しうる、

 軌跡の―――曲折、意識の逆望遠鏡・・・、

 虚実、主従の二面世界は、対立するというよりも裏表​。​​その完全無欠な幻影、生命の完全な定義のように胸の内におとなう・・。

 そこに夜の名残の影を見た。この閉塞した回路に、小鳥に催眠術をかけている大蛇の魔力のような、旅情を見る。引き返した頭上に、大きな鴉が飛び立つのが見え、そしてそこに、來果ゆきかがいた。パステルカラーのパープルのトップスに、ベージュのフレアスカートを合わせたコーディネートで、フェミニン感たっぷりだ。上空をゆっくりと流れる雲は、平地で見た時よりも少しだけ大きく感じた。


 「んーっ、はぁ~・・・」

 

 まったく驚いていないのはランナーズハイのせいなんだろ―――う。

 一つ大きく伸びをすると、汗が引いていくのがわかった。が、フェイスタオルと、ポカリスウェットを持っていた來果は、近付いてきて俺に渡してくれる。お疲れ様でした、と。俺はサンキュと言ってフェイスタオルで顔を拭き、ポカリスウェットを開けて一口飲む。


 「沙紀さきに聞いたのか?」

 「、それにそろそろ、わたしに聞きたいことがあるんじゃないかと思いました。といっても、わたしもさっき知ったぐらいですけど、、天使だったんですね、あんなに可愛らしいのに」

 ―――図書室で考えていたことは全部外れかも知れない。といって、当たっていようがいまいが、本当のところはどうでもよかった。

 それにしても、彼女は汗一つ掻いていない。いつ来たのかはわからないが、それでも、ずっと待っていたという風にも見えなかった。周辺の木々は波のような音を立てていた。朝露に濡れた草と、時折吹く風は、熱した肌を冷ましてくれる。

 「、というからには、沙紀以外にも天使がいるのか?」

 「天使ではありませんね」

 細かいところは違うのかも知れない。俺だって沙紀が何しているか本当のところはよくわかっていない。沙紀は天使と自称しているだけで、死神かも知れないし・・。

 「そうか、それに、見たところ、まるで今来たような感じにも見えるが―――」

 「ええ、沙紀さんからメッセージをいただいて、すぐに来ました。ほら、ここに、がいます」

 後藤は、いつのまにか俺の背後にいた。気配がなく、周囲には一応眼をやっていたが、來果以外見えなかった。突然現れたのだ。それこそ、空間を切り裂いて出てきたのかも知れない。後藤はいつもとは大きく違っていた。、と黒い翼が見え、三角の尻尾に、頭上に耳のようなものが見えた。それを人は悪魔と呼ぶのだろうと思った。ただ、その黒い翼をどうやって服を破らずに出し、その尻尾もパンツをどのようにケンシロウせずにいられるのか気になった。

 察してくださいなの―――か・・。

 「―――後藤、いいのか、俺にそんな姿を見せて・・」

 そう言うと、二人は笑った。やっぱり間抜けなことを言ったらしい。

 「わたしは、久嗣君を気に入っているよ、いつ見せてもよかった、ただ、こういう機会があるのは知っていたから、待っていたのよ」

 と後藤がいつもの調子で言う。ただ、後藤の蚊の鳴くような声や、園芸部での甲斐甲斐しい様子を見ているので、何か誰かに着せられたコスプレ感が凄い。場合によっては、ハロウィンに地味キャラが張り切りすぎたようなコスプレ感が正しいかも知れない。けれども、これでようやく、謎が解けた気がした。

 しかし聞きたくなるのは、やっぱり間抜けなことだ。

 「でもサボテンネタはジョークなんだろ?」

 「ううん、あれも本当」

 じゃあ、俺を植えたいというのも、本当なのかも知れない、と思いながら、來果の顔をジッと見つめる。後藤の声が背後でした。

 「二人で話したいこともあるだろうから、わたしは一足先に戻るね」

 と言ったので振り向くと、眼の前から姿を消した。悪魔というよりも、堕天使の方が近いイメージだなと思った。沙紀がこの場にいたらでと言いたいところだ。天使より悪魔がいいなんてそれは変だと思う―――けど・・。

 「―――來果は、人生をやり直しているんだな」

 「ごめん、ずっと黙ってて。

 わたしは久嗣君がやり直しているのを最初から知っていたけど」

 

 、と思う。初めて会った―――、あの入学式の中庭のシーンは明らかに狙いをつけていた。後藤なら全部教えてくれるだろう。悪魔だしな。沙紀は、情報を小出しにしてやっぱり肝心なことを教えない。


 「結局、このやり直しって一体何なんだろうな。どうして俺や來果は選ばれたんだろう―――それについては、分かるか?」


 來果は眼を落して、首を振った。彼女もやっぱり考えたことはあるのだろう。くろしろにするとはいえないまでも―――人間にんげん活動かつどうはすべて欲望よくぼうたすことである、という意見いけんもある。っているというのは紆余曲折うよきょくせつ複雑怪奇ふくざつかいきのさてしも千万里せんまんりじみたひとこころ回路かいろ


 「それは、わたしも本当に知らない。ゆっちゃんに聞いたけど、それは教えられないと言われた。ただ、ゆっちゃんがそう言う場合は、本当に何かある場合も考えられるけど、その真逆で、何にもない、気まぐれという可能性もある。あくまでも、やり直した人生をよりよく生きさせるための謎かも知れない。いつ終わるかわからないって思えたら、人って真剣に生きる。毎日のこの一瞬一瞬を後悔しないようにして生きようとする」

 それを楽観的ということも出来なかった。沙紀や後藤を見ていると、案外的外れじゃないかも知れないと思えて来る。ただ謎は謎で、本当のところは分からない。まあ、こんな風にやり直しされなくったって、人生に謎は付き物だが。神様はいるのか、どうして自分達は人間なのか、何故生きねばならないのか、そんなの誰かが教えてくれるわけじゃないし、どんな本を読んでも納得できるものじゃない。自分自身で考えなければならないこと、それが哲学というもので、真理の欠片だ。

 「ところで、後藤は來果に見返りを求めなかったのか・・・?」

 魂と引き換えに、なんていかにも悪魔の紋切り型の台詞だが―――。

 「ううん、何もない、人生をやり直したいか、それだけだった」

 それは俺と殆ど同じようなシチュエーションと言えるかも知れない。でも馬鹿な台詞かも知れない。だって悪魔というイメージに固執しすぎている。天使に何か見返りを求められたのかなんて、どう考えても変な台詞だ。

 まあ、気になってはいたけれど、そんなの別にどうだっていいことだ。それは最初から考えてもわからないというのは何となく理解できたからだ。そんなことを聞いても、まともな答えが返って来るはずがない。

 「その、結構、嫌な質問をするけど―――ある程度は知ってるんだ、それでも來果の口から教えて欲しい、どうして自殺したんだ?」

 來果は俺からポカリスウェットを奪って、飲む。間接キスだったが、そういうネタを持ち出すタイミングではない。おそらく緊張から咽喉が渇いたのだろ―――う・・。

 とはいえ、そんな状態の來果に喋らせるわけにはいかない。肩に手を置いて、

 「話したくなかったらいいんだ。いまの態度だけで、嫌な思い出だっていうのは何となく分かる。重要なのは過去じゃなくて、どんな形であれ、その過去を乗り越えた先にある現在だ。あるいはその過程だ。そしていまの來果は、俺や、淳や、俊介っちや、沙紀や、後藤がとても信頼している人間だ」

 「ううん、聞いて欲しいの」

 手をと握って来た。 

 「でも取り乱したら、また抱き締めてくれると嬉しい」

 「うん、ただ、汗臭かったら、ごめん」

 「え、久嗣君そんなこと気にしてるの?」

 顔を見合わせて笑った。そのままの顔で、溜息を吐くみたいに話した。

 「・・・・・・辻井小夜子さんがわたしにしていたイジメというのは、本当に些細なものだったわ。別に上履き隠されるとか、シンナーや麻薬をやらされるとか、眼に見える暴力を受けるという類のものではなかったから」

 個人的に、そこは引っ掛かっていた。思うに、あの鞄を窓から投げる事件というのは、辻井小夜子がやった数少ない、分かり易い、イジメだったのではないかという気がする。だって、素行不良で悪い噂の絶えない辻井小夜子のような人間が、簡単に尻尾を掴ませるようなことはしない。

 そしてそれを沙紀は知っていたのだろう、今度のことを逃すと、邪魔なものを除外することが難しくなる、と。しかしまあ、天使の沙紀だけではなく、悪魔の後藤までいる。どっちみち、心を入れ替えられない人間には破滅エンドしかないのだろう。

 ただ、そんなことはどうでもいいことだ。

 ただ、彼女はもう一度その体験をし、深く傷ついていたことだけは分かる。もしかしたら、人生をやり直すことで、自分を変えることで、色んな状況を変えられるみたいに、俺もそう思ったみたいに、來果は考えていたんじゃないだろう―――か。

 そう考えると辻褄が合う。結論から言えば、失敗したわけだ。

 「わたしと辻井小夜子さんって、運が悪いよね、三年間ずっと同じクラスだったんだ。やり直す前も文芸部に入っていたんだけど、今みたいに久嗣君や、淳君や、俊介君や、沙紀ちゃんがいるわけじゃなくて、殆ど、わたし一人だけの場所だったんだ。彼女とは教室では毎日つまらない嫌がらせを受けていたけど、ある日、文芸部に入って来て、溜まり場にされて、どんどんエスカレートして・・・・・・」


 聞かなくても大体のストーリーは呑み込めた。つまり学校にいる間中、つまらない嫌がらせが行われていたわけだ。三年間も。そしてその救済措置は一つもなかった、と。何処にでもある話かも知れない。奇跡なんて起きやしない人は沢山いる。

 その向きでは、成長する、努力するなんて虫唾が走るほど嫌な言葉だ。

 一度ついた嫌な感じというのは拭っても拭っても、けして取り切れない汚れがあるから、ともすれば、意識が遅れがちに思われ出した、のう視覚情報しかくじょうほうを送る器官が物語を確かめてい―――く。

 発酵し、感情は循環し、環状のもと自負や不安や懈怠など、様々な性質が潜んでいる心理の廻廊で構図を覚え、カタルシスの浄化作用と気付く。

 來果は少し人間が怖くなっていたんじゃないだろうか、そんな來果のことを想うと、目尻から涙が溢れて来るのを抑えられなかった。やり直す前の人生の何の起伏もない、ただ、色んなものから逃げ続けていただけの自分が恥ずかしかった。

 あの日の自分は、生きていても死んでいても変わらん奴の顔だ。外国のコマーシャルよりつまらない話だ。​脳内は煮え立って、引力の方向は変わる。​私利私欲で傾き、嫉妬が渦巻く蟻地獄。カルマを積んで生の苦しみは大きい百兆年・・・・・・。


 じると眼蓋まぶたねつがこもって苦しくなった。 

 プロメテウスはゼウスに無断で、火を大茴香おおういきょうの茎の中に隠して、人間に与えた、というギリシア神話を思い出す。また、滅茶苦茶な話もある。ソドムは男性同性愛者の町、ゴモラは女性同性愛者の町だった。主は、これらの罪深い人々を滅ぼそうと決め硫黄の火を降らせた。


 ―――おそろしきつみちまた


 久嗣君ひさじくんと言って、頬に両手を当てられた。同病相憐れむという奴とは言えない、彼女はけして自分のような人間ではないことを知っている。家族思いで、メイド喫茶で働いていて、勉強では努力の仕方をよく知っていて・・・・・・。

 その時、自分がそこにいたら彼女が傷つかなくて済んだのにと思うと、本当にとりつ返しのつかないことをしてしまったような気がした。


 「でも、わたしだって分かっていたの、高校を卒業すれば、こんなことから降りられるって。でも、夕方、きれいな夕焼けを見ていて吸い込まれるように思ったの、もういいかな、人生、ここで終わりにしてもいいかなって―――心の迷いっていうのかな、長い間抱えていた、隙間っていうのかな、そういうものが一気に溢れて、飛んだの、すごく気持ちよくて、でも地面に当たるまで本当に一瞬だった」

 それが自殺じさつ動機どうきなんだろうな、と思った。価値って何​だ?​

理由って何​だ?​ 微妙に他人の願望が入り混じった人工的な印象のも​の。​

 「誰だってそういう気持ちになるさ、たんにちょっと、タイミングが悪かっただけさ。学校だって、クラスメートだってみんな思っていたさ、見て見ぬふりしていた人間のせいだって。何もしない人間は屑なんだって、分かってたさ」


 電車で倒れた人がいても見て見ぬ振りをする人が大勢いる。道を尋ねても、誰も教えてくれないなんてことはザラにある。でも來果は枝の上にいた猫を助けられるような奴だ。優しい人間が傷つくようなこの社会の方がおかしいんだ。

 もちろんそういう時でも、助けを求める声が必要なんだと俺達の社会は言う。小さな声を聞き逃さないというような綺麗ごとを述べる。

 そういう、薄っぺらい人間の屑の世迷言のせいで人が死んでゆくのだ。氷山が語る時刻、世界が世界であることを止める時刻、そしてそのことを貪り食った膨大な無駄な時間を、知っている、気付いてしま―――う、人は誰しも、未熟で、愚かで、中身のない空っぽであること―――を。

 だって―――言葉を、

 信じていない人だけが本当の言葉を操っている・・・。

 世界の波打ち際ザー・ショーズ・オブ・ザー・ワールド、この水平の場所で、本当のことなんかただの一つもない。可能性のシミュレーションにすぎない、

いま起こっているすべてのことが繰り返されるなら、それは世界中全部で行われているバグだって決めつける。


 らがない人間にんげんむねおくなんかない、

 ―――らいだから言葉ことばはもっと真相しんそうせまる。


 「―――でもね、一つだけ、そんなやり直す前のわたしの人生にも一つだけ、よかったことがあるの。久嗣君、わたしはずっとあなたのことが好きだった」

 ヒューッ、とか言った來果の照れ隠しが、むしろ逆効果で、本人もわざとではないのだろうけど余計恥ずかしさを増幅した。初めて名前をノートに書き記した・・。

 甘い春の空気を胸いっぱいに吸い込む―――。

 顔を上げていなければ、お互いトマトであることを隠せないだろう。というか、いま告白しなかった? 告白された?

 いや、どうしよう、ここは便乗型手法で、実は俺もとか言うべきなのか、、彼女はそうでも、俺達はまだ一か月すらも経っていないような関係に過ぎない。そんないきなりステーキな間柄ができるのは、陽キャだけだ(?)

 「―――でも接点とか、なかったよな」

 やわらかく潤んだような甘い眼をした、彼女から俺は眼が離せない。

 「あったよ、わたしがどうして文芸部に入ったと思うの、久嗣君が図書室によく本を読みに来ていたからだよ。久嗣君って、一人でいても全然平気そうだったし、誰とも距離を置いていてだったんだ」

 人の見え方ってすごいな、と思う。

 「、拗ねてただけだよ、世の中に。

 なんだったら、中二病だったんだ」

 「でも、メイド喫茶で働いて、それなりに色んな人を見てきたわたしには、久嗣君がとても優しい人だってちゃんとわかったよ。それに、辻井小夜子さんの嫌がらせの時に何度か、久嗣君に助けてもらったことがある。ほら、いつかみたいにふざけて当たってきたら、久嗣君がお前ちゃんと謝れって言ってくれたよ、みんなはそんなの絶対にしないのに、それがね、すごく嬉しかったの」

 そんなことあったかなとは思うが、多分辻井小夜子じゃなかったら言ったのだろう。というか、辻井小夜子は自分からは絶対にやらないタイプだ。

 「一応、ありがとうとは言っておくよ。

 でも俺だってそんな大層な奴じゃない」

 「でもやり直しの今回はちゃんと守ってくれた―――その、返事はゆっくりでいいんだ。いつ終わるかわからない、もう一度の人生だもん、最後の最後でもいい、その時答えを聞かせてくれてもいいの」

 一応、妥協しておく。

 「いい加減なことなら、いつでも言っていいんだ。でも俺は大学四年生までの記憶があり、もちろん、來果の知らなくていいことまで沢山知っている。お子様ランチじゃないんだ、そんな気軽に答えられるものじゃない。好きとか愛しているなんて、そんな簡単には言えない」

 そう言うと、來果がやっぱりトマトになった。

 ってお前、こくってんじゃん。なんか回りくどく言ってるようだけど、めっちゃ、こくってんじゃん。

 どこからか迷い出して落ち着く場所を見出しかねて呼吸する、息苦しく。そして、景色や会話、キャラクターは意味をなくしてしまう。そしてこんな、とするような問い掛け、一体何度目だろう。その都度、鯨の中のピノキオだとか、無人島にいるロビンソンクルーソーだとか。水潴みずたまりに、ちょうど雨が描き出す小さな波紋のように玩具おもちゃみたいだと思っている自分じぶんこころこえさえもなにか―――。


 ―――わすれることに意味いみがあった、というのはどうだろうと考えていた。

 だからくろしろになった、と。

 ぼうっとしている二人のように浮かび流れてくる世界の意味。

 道理ことわりの意味、次の瞬間、砕け散る―――くだる・・・。

 などと、思っているところへ、沙紀と後藤が現れた。

 水差し名人の沙紀とは違い、後藤はちょっと申し訳なさそうな顔をしていた。


 「いっておくけど、お子様ランチだから、、お前のこと好きだぜ、とりあえず、身を任せろよ、の腕の中にな」と沙紀。

 頭につみたての葉っぱをのせたたぬきのように勝手に少女漫画脳の台詞に変えられていた。來果が、膝を落としてグハッと喀血していた(?)

 「わひゃー、押しキャラが悶絶する」と顔を抑えて後藤。

 

 「ああ、そういえばもうすぐ、食料班の淳君と、恭介君来るからね。うちの町のスーパー開いていないから、隣町のスーパーまで買い出し。実はあらかじめ話しておいたんだよね、今日は現地集合ピクニックなんだよねー」と沙紀。

 そういえば、沙紀はリュックサックを背負っている。カセットコンロや、鍋でも入っているのだろうか。

 「そういうことは、あらかじめ言え」


 結局、やり直しに関する一番肝心な謎は残ったけれど、日々は続いてゆく。その清冽せいれつ動悸どうき変奏へんそう刹那せつなの感動のきよらかさにぎ倒される日常。数億年前の樹脂の中で微動だにしない昆虫を人知れず憶った。覚悟が人生を強くするとは信じてるんだ、夢も希望もない、あるのは夜しかない、待ち受けているのは地獄だ、それでもたった一つ賭けれるものは自分自身だと。​駄目だとか思った瞬間に全部が真っ暗闇になる、​そんなのギロチン台に首を置いているのと同じだ。

 のような愛に征服される闘争、

 ​それは​《語りえぬ“じる”》ということだろう―――か。

 それは《語り終えた“ひらく”》ということだろう―――か。

 “風景ふうけい”という状態がある、

 來果と後藤が甲斐甲斐しく、調理の舞台のセッティングし、沙紀は何故か数人分は眠れそうなテントを作り始めた。手持無沙汰の俺はさっき後藤から、あの公園の木の上にいた子猫と猫じゃらしで遊んでいる、どうもあの後、後藤が飼い始めたらしい。名前は、というらしい。中二病である。

 ちなみにデウちゃんが後藤の呼び方で推奨されていて、デウマキが沙紀の呼び方、來果は、と呼ぶ。不意に耳を澄ませると遠くで、淳と恭介っちが呼ぶ声が聞こえて来る。それにしても―――なつだ。






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愛を探す物語 かもめ7440 @kamome7440

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