第8話 神社
ブレーキの音、スタンドを立てる音、そして、自転車のキーをポケットに仕舞う気配。來果が神社へ行きたいと言ったのだ。メイド喫茶の仕事はいいのかよと聞いたら、たまには休むわよと言う。
空は濃い群青で、東に向かってゆるやかに赤いグラデーションになってゆく。
沙紀は自宅へ戻り、毛づくろいをすると言っていた。猫じゃらしを持ち帰り、キャットフードを買っていってやろう。うん、そうしよう、絶対にそうしよう。
(誰が猫だあああああ、と誰かが言ってます、)
しかも、こういうイヴェントなら必ず参加しそうな淳や、恭介っちも参加していないので、放課後デートみたいな雰囲気を醸し出す。とはいえ、SNS世代。息をするように共有する。干された烏賊のように薄型の現代機器を用いて、神社に來果さんと来ました。おお、デートだ、と絵文字が返って来る。それが神社前の街燈に飛び回る蛾とオーバーラップする。
すべての状況を把握した様子ではあったが、その表情には別の反応が含まれていた。今しがたまで平静だったのに、他人の意見で途端に我に返る。素晴しい芸術品であるべき裸体の彫刻を見て淫らな連想をするのと同じ―――だ。
え? デート?
デートっ!?
そして、バベルの塔は否が応でも―――興奮する(?)
しかし何だか変声期前の少年にでも戻ったような気がし―――た・・。
銀色の軌跡を描く
社会の歯車になれないけどバンジージャンプしようと思って、振動で発光するLEDを十個服につけてロックンロールオーディションだぜ(?)
そうだ、縁日にはもっと活況を呈して、大晦日には人がごった返してこんなに人がいるのかと気持ち悪くなる。けれど、神社の起源は古墳であるという説を理解するなら、それは一種の投網漁なのだ。そういう時に正しい解答を述べよ。
―――むかで
エジプト第四王朝のクフ王が建造したと言われるギザの大ピラミッドで、電磁波のエネルギーが三つの部屋に集中することが明らかになったという話を思い出した。夜の世界―――霊の世界・・・名伏し難い宇宙・・・・・・・・・。
「ところで下手糞で悪いけど―――怪談をしてもいいのか?」
「ちょっと待って、いきなりステーキすぎてわからないんだけど」
「大丈夫、怖くない、一緒に乗り越えていこうね」
「あの、久嗣君―――その笑顔、ムカツクからやめて」
「歩きながら、話すよ、やっぱりこういう神社の暗い道を歩きながら、怪談をするのは男の甲斐性というやつだよね。男はみんな通過儀礼に三つの怪談を覚える。俺は四千個は覚えているけどね(?)」
「ひ、引くわーっつ(?)」
「で、一つは、真夜中にトイレに入った恋人を退屈させないため、二つ目は、旅館で綺麗ねと言った瞬間のつれあいをハラハラドキドキさせるため、三つ目は年老いて熟年離婚を考える彼女に墓場を通りかかった時にすかさずカマすため」
「初耳だけど―――それを甲斐性とは言わないと思うし、
したら、蹴とばすかも知れないけど―――いいの?」
「雰囲気を盛り上げようかと思って、さ、マジメンゴ」
「あの、久嗣君、誤解してるかも知れないけど、神社って心霊スポットじゃないからね。あと、別に肝試しに来たわけじゃないからね」
「似て非なるもの―――おお、お前の背中にたぬきが三十匹も!」
「おお、そしてあなたの背中にきつねが三十匹も!」
「ぶんぶくちゃがまの怪(?)」
「おー、そして、シャラソウジュの怪(?)」
高台の神社、清々しい空気と厳かな雰囲気に包まれた歴史を感じる神社―――だ。
境内と俗界の境界を示すあの鳥居は、めじるし、だ。
古めかしい神社の多くは苔マニアの生息地でも―――ある・・。
一九世紀のアメリカやイギリスでは苔の採取が流行し、庭園に苔庭を作ることが広まった。蚯蚓もそうだが、苔も『風の谷のナウシカ』のように、土壌の生態系を維持し、自然災害などで乱れた生態系を救う役割も果たしている。
それは人と自然の共生の姿で、地球の毛布だ。苔には『セン類』『タイ類』『ツノゴケ類』の三つのグループがある。
北八ヶ岳、奥入瀬渓流、屋久島は、苔の三大聖地であり、苔寺として有名な西芳寺(京都府)の日本庭園も、一度は行っておきたいところだ。世界最大の苔は『ドウソニア・ロンギフォリア』で、全長六〇センチ。逆に一番小さなものは、『カゲロウゴケ』で、その葉は大きな細胞を持つものとしても有名だ。
“それ”はどんな舞台にもいるもので、
“それ”がいるから舞台がある。
心の中に潜む感情に何かが注ぎ込まれていく。
そんな中心でもなく外縁でもなく回転でもない“それ”とは何か。
アコデセワ呪物市場、それともウィンチェスター・ミステリーハウスだろうか。
ロールシャッハテストする。
学校の教室から見た夕方の廊下の闇が不意によぎる。
振り返ると、ドラえもんのヒカリゴケみたいな嘘寒い都市の夜景―――だ・・。
「こんな何もない小さな町でも、綺麗なものだよなあ」
「綺麗なのは、何もないと信じているからじゃない?」
「ところで女の子は、『きゃん、虫が恐いっ!』とか、
『命ある虫を殺しちゃダメ!』とか言うのが可愛らしいな」
「そのカマトト、可愛いの・・・?」
いつか正直になって、ずっと優しくなって、色んなことに踏ん切りをつけたら、見え方も変わり、もっと別の感情に気付くだろうか・・。
ねじれやもどかしさが、たくさんの執着を産む、ユニヴァースだ。
蒸留水めいた心の中には、見えない反対側のドアが―――ある・・。
灯入り模型都市のような遠景が、蛍みたいで綺麗だと思う。色んな思い出が浮かび、そのうす暗い影で万物を覆っている、都市の孤独。
“ケロイドの部分”なんだ。
“一生ふさがらない傷”なん、だ。
息の合わないリズムや、雰囲気や匂いの侵蝕。透明な感覚で、四角く区切られていて、それはもう映画みたいなスクリーン―――で。
・・・・・・なんだろう、
・・・・・・この胸を締め付けられるような気持ち・・。
エンディングを迎え、ゲームの画面にプレイヤーがいなくなっても電源は点いたまま、サウンドだけが聞こえ続けているような不思議な感触。ビスケットの缶に残り
いつか、百合や葵が咲いていると教えてくれた農家や、遠い昔の秘密基地のある野原が見える。本殿へ行く前に
「まず、そこで、水を飲むんだ」
「そうね、口をすすぐのよね」
「そして、ウォーター・ペットボトルに補給。WPと呼ぶ、緊急時のドリンコ。このドリンコはダイドードリンコという響きから採用されている。來果さん、応答せよ、応答せよ、WPドリンコは過不足ない状態か? どうぞー」
「久嗣君―――
作法にのっとって、
ととっ・・ととっ・・・水の音。
虫の鳴き声と、森林が多い場所特有の涼しい匂いがする。フィトン・チッド、甘くて優しい香りだ。夜空に流れ星がキラッと光った。まるで華やかな蝶の群れが聖なる儀式のように飛び立ち、羊の毛がコートが作ったみたいに・・・・・・。
それは生活力や、影響力の幻を溶かしている、揮発性。
流れ星なんか別に珍しいわけじゃない、ここは田舎だ。何年とか何十年で天体望遠鏡したくなるような流星群は別だ、その時期、人はみんな天体部に入る。そんなことはない。でも、そんなものだ。ロタ島や、フローレス島、モルディヴ―――。
星空が綺麗だっていうならそちらの方だろう。でも二人がそこにいるだけで、それは特別な魔法への仕掛け装置になり、楽園へと続くパスポートになる。
もちろん、トバしておく、絵の向こう側―――へ。
たとえば悲しみのない世界を探して、音の反射する先―――へ。
「ねえ、夜中にあなたに電話しても―――いい?」
「いいよ」
でもこんな時、人生というものがイージーモードか、ノーマルモードか、ハードモードだったか分かる。どうして遠い記憶を引き寄せようとするのだろ―――う、阿片に酔った遠いアジアの森の光景のように、見覚えのない人や、聞き覚えのない声なのに、その孤独が、老いぼれ犬のような眼を連れて来る。
(―――何かが半分残っている、)
耳元でロールプレイングゲームのレベルアップ音がして、
インヴェーダーに侵略されかかっているような―――恋。
(―――進行過程が内部の回転面に照射されて、
自意識という思想が自己と他者の間に存在し・・、)
一つ浮かぶたびに心の奥底が温まって。
それが心地よくて嬉しいはずなのに、それなのに―――。
不思議と悲しみも押し寄せて来る・・・・・・。
「(何か言おうとしていたことは覚えている・・)」
気が付くと、彼女の顔は息がかかりそうなくらい近くにあり、パターンを特定のコマンドに決定づけるみたいに、こちらを覗き込んでいた。検出する、天然のプラネタリウムの中、古風な幽雅な趣き、無感覚的な、神経的な、急傾斜、曲線、凸状、振動、白黒の映像を見、随伴する音響。古い絵画特有の感傷・・・。
永遠に、繰返さずにはおかない執拗さを持ってる。
セールスマン問題みたい―――だ。
水からあげた草がしおれるように、必要事項、適切な無知からくる不安。
―――【タイマーの設定時間】
十年後に開けるタイムカプセルの中身みたいに色んなことを忘れてしまう。瞳はラムネ壜のような透け方をして、やがて井戸のような暗くて深い瞳孔を黒曜石にする。
―――世相が対立項として俎上にのぼる。
「(本当のことなんてわからないよな・・)」
言葉をかけた―――いけど。
そのことを考えていると、泣きたいような気もする、け―――ど。夢の欠片を拾い集めてさ、また元のジグソーパズルに戻すんだよ、何処から始めたっていい、そう思うんだ・・吸い込む息が重く、幻を求めて満たされない渇きの存在も、分かる・・。
大きな音が頭を打ち、耳の底が抜けたような空白のあと。アルペツジオのような永遠の夜の風が吹く。
―――『
緊張のなくなった身体、骨のない軟体動物。その蜜の味、水蜜桃から滴り落ちる甘い雫、美しく熟れた果実。でもこの心の異常な軽やかさと虚しさは何だ。ただいたずらに流れていくことしかできない一筋の暗渠は何だ。
気が付くと、深海魚のようにぬめぬめとした身体が残されている。世迷言、荒唐無稽、まさに寝言ほどの価値もないことだったのだと思う。逃げ道のない袋小路、八方ふさがり、四面楚歌、世間体、人の眼、常識。
「「「―――いつか色んなことにきっちり決着が着いたら・・・。
*
いたずらに先の見えない、黒洞洞たる階段を降りた。來果と神社の階段を降りてゆく時に、突然、雨が降り始め、それが一分も経たずに豪雨に変わった。タイミングがすごく悪い、コンビニは遠く、コインランドリーのような場所もない。雨宿りをしようにもそんな場所がないし、自転車に乗り込んだ時点でびしょ濡れになっていた。そんな硝子になりたい、白い張りつめが、あって・・・・・・。
夕暮れと日没の街はすぐに、宇宙空間と同然の場所になってしまう。コントラバスを解剖した、離島のような印象の通りから―――。
「その嫌じゃなかったら、俺の家でシャワーでも浴びてく?」
野次馬的な好奇心は、もぎ忘れた柿の実ぐらいには熟しきっている。とはいえ、朝に自宅まで来ていたので、誘いやすいみたいなところはあった。もちろん雨宿りがてらではあるが、このままじゃ風邪を引く。服を着替え、うちの乾燥機付きの洗濯機にでもかけたらいいんじゃないか、と。三十分見てもらえれば、絶対乾く。
また、母親だけではなく沙紀もいる。けして、二人きりになるとかいうラブコメの密室の孤島的シチュエーションでもない。実際、夜同然だから何見えるものでもないが、街燈では見えてはいけないものが見えてしまう類のブラジャーが透けて見え、馥郁と匂う茸が今を限りと群がり生えてしまう。
蛇には食べて下さいと置いてあるように見えるらしい農家の鶏小屋の卵のような状態の、無防備な彼女を、メイド喫茶のある自宅まで帰らせるというのは、やっぱり危険だ。物理的距離というのは、心理的な恐怖というのを倍増する。仮にその責任を問われない立場でも、他人の不幸を覗き込みたがるほど悪趣味のつもりはない。
母親や沙紀だって、送っていけと言うだろう。
そんな、ステインドグラスや、プレハラアトが、あって。
二人の間には、ぷつりと弦が切れそうなヴァイオリンのような響きが、あった。
精彩な様々な情報を読み取っている。
[脳波、眼電図、筋電図、呼吸運動のポリグラフを、
記録するみたいに]
―――だのに、このやましさは、何だろうというのが、俺の言葉足らずである。咽喉元を熱さが急行列車のように過ぎ―――る・・。
「お願いしても―――その・・・い、いいかな?」
〇・一秒を彷徨う、彼女の制服が透けて恥ずかしそうにしているのは、陽気な、それとも深刻な類のからかい?
濡れた毛先がうなじにかかっている。
モスキート音を鳴らしながら、少し躊躇いつつ、小さくこくりと頷いた。
何故急にぎこちなくなる。というが、俺が始めているのかも知れない。鳥居の向こうの藪や枯れた木立や、小石のはりついた坂道を何となく見る。
感情が通過するまでの時間―――と・・。
いつまでも心に刻まれた―――の、レンズに入る光だ・・。
「じゃあ、行こう」
深海の植物群の一形式を模倣するように、日向の上にふと影を落とす鳥のような月明かりにも似た街燈の安らぎに接近―――する・・。
自転車を漕ぎながら、夜の街はスリープモード、俯瞰した梟たちは無数の蟻の巣穴へ、夜の擬態。ビー玉みたいな心臓でもエイトビートが跳ねて、雨の中で不意に振り返った輪郭はフレームアウトしそうに見える。言葉や、イマアジュや、観念の中で、夜に見えるものは暗い海の底の暖流と寒流の人知れぬ重なり合い。車のエンジンやビルの空調の音、工事の騒音、人々のざわめき、雑踏の音。
道路ではヘッドライトが次々にテールランプに変わる、闇を切り裂いているんだ、貧者の一燈、モーゼの道を開くこともなしに、メビウスの環のように、表と裏がわからないモードへ急速潜航。灰皿や自動販売機もあり、電話ボックスもある。ペディグリーチャムの空き缶に水が溜まっている路地裏。
再開発や区画整理されていない地域、
時代の隙間に取り残された昭和の風景・・。
隠れ家的な店も存在する、つげ義春のように追い出された人だけが知っている、いかがわしい雰囲気。新都社や、ヒューマンバグ大学。梶井基次郎。
十字路や、三叉路、二車線道路、一本道。喧騒や嬌声とは無縁の、重々しく古びた家並みが続く。歯科医や小児科などの開業医、潰れたガソリンスタンドが駐車場になっている。ねえ―――ねえ・・・。
自己肯定感の高い人間ばっかりじゃな―――いんだ、といって劣等感にまみれているわけでもない、傍若無人になりたいわけでもな―――い。様々なすみわけがある、小うるさい心得や禁忌がある。ただ、バイアスかかりまくりのこの一瞬の指南書は、現実的条件により歯止めがかからなくなる。
雷鳴は、一秒間に約三四〇メートル進む。電磁波である光の一秒間に進む距離は約三〇万キロメートル。落雷時の電圧は二〇〇万~十億ボルト、
その電流は千~二〇万、時に五〇万アンペアにも達する。
雷を見ながら自転車で走って楽しいなんて本当にどうかしているが、でもこの雨の夜は違った、謎の充実感と娯楽感をもたらす芝居小屋。この不思議な爽快感は來果と共有されていて、自宅に辿り着くまでずっと続いた。來果は笑っていた。俺も笑っていた。滑るかも知れないのにスピードを上げた、自由だった。鳥だった。魚かも知れない。何と言うか、馬鹿だった。でも一人じゃなかった。はかない瞬時の蜃気楼、有頂天の溺愛、そしていつかの永遠の空虚。
最弱音となるまでの短い時間を感じながら、その濡れた太腿のある色っぽい後ろ姿を記憶して、その身体の量感のなかに、自分を引き込んでやまない迷路がある・・。
着いた早々、インターフォンを押し、母親を呼び寄せるつもりが、用意のいいことに、沙紀がバスタオル二つ持って出てきた。ギンガムチェックのブラウスに、オレンジのハイウエストショーパンを合わせていてガーリーなスタイルだ。
「あ、沙紀ちゃん、すごく可愛い服着てるね」
と、雨にずぶ濡れでも、褒めることは忘れない、いい子。
でも反応を見る限り、これ割とガチに言ってるのかも知れない。
「そんなことはいいから、來果さん、
早くお風呂入って、もう準備してるから。
服も準備してるからね」
ちょっと待て、順序というものがある。これがもし沙紀がいなければ、インターフォンを鳴らしただけで來果さんがいるとは気付かないだろう。バスタオル持ってきて、風呂は沸いていない、シャワーで済ませることになる。ぐだぐだ、である。それが沙紀という存在がいるだけで、予定調和が働く。明らかに何も言っていないので不自然に思われそうなものだが、來果さんはLINEでも送ったと解釈したのだろうか、すんなりと家へ入って風呂場に入った。母親が雨に降られて寒かったでしょう、と世話焼きの声がする。
[欠けている](って、)・・
[虧けている](って、)・・・
《体温の蒸発と、剥製の唇と、妖艶な香水》
《無音の津波と、樹木の隙間と、古代の氷河》
「沙紀、すまないけど、來果さんの服を乾燥にかけてくれるか?」
「いいの?」
「ちょっと何言ってるかわからないが、いいの、って何だ」
「雨によって來果さんの様々なものがしみこんだ―――制服・・」
いちいち、やらしい言い方をするな。
あと、そういうのを何だ、嗅いだり、舐めたりせねばいけないのか?
「沙紀、頼む―――乾燥機にかけてくれ」
「アイアイサ」
チェッ、しこティッシュが、と何か小声で聞き捨てならないことを言ったが、耳元には、パッヘルベルのカノンが、かすかに残り。雨の音だ。一日は八六四〇〇秒、一年は三一五三六〇〇〇秒。挑戦も挫折もしないルサンチマン、その無駄な、万能感。どんどん根を張り、枝を拡げてゆく、一本の樹。内臓や筋肉や皮膚を圧迫し、いま、広い野原、見渡す限りのクローバー見ても。近道、遠回り。怠惰、それは締まりのない顔を連れて来る、沢山努力するということは失敗を積み重ねることで、世の中との折り合いもつかない。けれども・・・・・・。
いま―――は・・。
いま―――は・・。
こんな世界―――の、鳥の囀り・・。
知らなかった―――か、ら、
信じられなかった―――か、ら。
*
自分の部屋で身体中をバスタオルで水気を取って、頭を拭きながら、來果さんいつ上がるのかなと思っていると、ドアが開いた。沙紀だった。
色々ツッコミどころはあったけれど、アイスを口にくわえながらというのが、何だか腹が立つ。天使様と素直に言えていた時代は、遠い昔だ。
「どうする?」
「頼む、接続詞をつけてくれ、喧嘩売られてんのかと思う」
「雨は上がらないよ、それに暗い夜道だ、何かの犯罪事件に巻き込まれるかも知れない、交通事故に巻き込まれるかも知れない、ねえ、家に泊っていってもらう?」
不幸のチェーンメールの内容(?)
それは台風の進路の説明をしたあとに何故か各地の中継をするという意味のわからないニュース朝番組の謎構造である。危険に突入する報道カメラマンの精神。
「・・・・・・というか、それは俺じゃなくて、」
「・・・・・・違う、泊まれと言ったら泊まるよ、來果さんは。
これから訪れる未来は向日葵のように明るく、
まだ固く酸っぱい林檎のような娘を化石にする蜃気楼と陥穽、
広大な孤独に満ちた砂漠で、無秩序な地獄の挽肉器のような日々だろう」
―――何で急にそんな他人の数奇な運命調になる(?)
「―――沙紀、泊まっていってもらいなさい、あと両親は首を横に振るとは思わないが、一応話は通しておきなさい、あと俺を脅すのはやめなさい」
「わかったよー」
窓の向こうは幾重にも折り重なった深い濃霧の中のようにも見えた。雨は止まなかった。夜の湾曲線に少しの間、沈黙の絵の具が流れ―――た・・。
風呂に入った。窓には水滴が溜まっており、声は反響した。それはリバーヴ、と言う。スライム風呂、一〇万粒のぷよぷよボール、ドライアイス、ニベアクリームでお風呂、LUSHのバスボム全種類というYouTubeの企画を思い出す。
風呂には鏡や髭剃りや、頭皮マッサージブラシや、バススリッパ、ボディタオル、軽石、シャンプーハット、それからシャンプーにリンスにボディーソープがある。それからバスチェアーのようなものもある。
『性転換しても女湯入浴は罪になるのか?』とか・・。
『アニメの修学旅行回や、温泉回で、
女湯と男湯が入れ替わるのか?』とか・・・。
考えなければいけないことは、下らないことばかり―――だ。
ちゃぽん、と湯船につかると何だか変な気がした。
弓なりの魚と、波の後ろや前へと走る波・・・・・・。
ぴちゃん―――ぴちゃん・・・ぴちょ・・・・・・。
たんたんたんたん・・・・・・とぅっ・・・・・・。
ぴいたん―――ぴい”・・・・・・・。
―――
*
「(・・・・・・そういえば)」
天使だからということで何気なく処理してるけど、家賃はまあいいにしても食費とか、学費とか、どうするんだろうといま本当に何気なく思った。
家賃や食費はまあ居候させてくれるだろうなこの親は。でも沙紀の服はどうするんだろうと思っていたら、あれ、そういえばあいつさっきユニクロっぽい、あるいは、ファッションセンターしまむらっぽい、もしかしたら古着屋かも知れぬ服を着てたなと思う。もしかしたら俺の知らないファッションブランドなのかも知れない。油性ペンで書かれた可愛らしいPOPや、女の子文字というのが最も効果的に機能する場所であり、男性が尻込みするスポットだ。
大学でアパレル販売していた子がいて、それこそ、魔術師育成学校へ入学しましたみたいなものだった。きわめつけは、コーディネートを見せ合いながら、違う店で店内のレイアウトや、売れ筋の商品をチェックし、このようなマーキング行為を した後には、スタバでコーヒーを飲んでしまう。家に帰ればもちろんグラノーラだ。
資金源はやっぱり
(それは偽札を大量に刷るのと殆ど同じような意味合いである、)
あるいは、競馬のレースをあててくるとか、宝くじのスクラッチを一発あててくるとか、そういうことも十分に考えられる。いや、国やメディアに資産運用だ投資だといわれている、圧迫かけてくる時代だ。株は? FXは? AI投資もあるんですよってカネの話ばっかりする亡者どもだけど、まだ救いはある、聞きようによっては中身が生まれる、世知辛さは生まれるけど。
などと思って満足したのだけど・・・・・・。
・・・・・・あっ・・・・・・あれれ〜? おかしいぞ〜?
とか名探偵コナンがしゃしゃり出てきて、
「(來果さん、そういえば服ないな・・・・・・)」
母親はさすがに女子高生に服を貸すのを躊躇うだろう。自分の服を着せたくないとかではなく、來果さんは女子高生なのでちょっとこれは合わないのではないか、と。なので、きっと沙紀が貸したんだろうなと思いながら、服というものについて少し考えてみる。服ってもちろん『デザイン』と『着心地』と『人気』と『値段』の四要素が絶え間なく動いている。たとえば來果さんの私服をまだ見たことはないけど、人に見られる仕事をしているからプライヴェートの服装にも力を入れているだろう。メイド喫茶で働いていれば高給だと思うし、一緒に働いている仲間も女子力高そうであったし。ああいうのって地力というか、素養ないしは洗練というのが必要だ。
ぶっちゃけ、可愛いければ何着ても可愛いという向きはあるけれど、逆に、可愛くなくたって、服のセンスがいいだけで可愛いらしい女性に見えたりする。前述した、アパレル販売に努めて流行を知っている女子大生は、華やかだった。
ブランド名がすらすら出てきて、コーディネートをセンスよくアドバイスが出来るを、体現しているといっても過言ではない。ファッションって本当にすぐ変わる。敏感なアンテナを持っていないと、すぐに出遅れてしまう―――のだ・・。
とはいえ、そういうのってやっぱりお金なしに成立せず、いまはファッションレンタルなんていう月額サービスもあり、気に入ったら購入する仕組みだが、あれなんか本当によく出来ている。ファッションを職業にしているか興味がなければ、殆ど迷子になるしかないような世の中の服というもの。ちゃんとわかっている人がいるというのが不思議なくらい、色んな在り方がある。もちろん、冷静に、客観的に、俯瞰的にという意味だが、『自分に似合う』かというのも参戦し、それは『どんな場面』でというのも追加条項される。服ってこの六要素で大体説明できると思う。あわよくば、三十六色の色えんぴつにしようとする、それがファッションだ。
風呂上がり、ドライヤーをかけていかにもダサい、親に買ってもらったユニクロ服を見ながら、來果さんみたいな人と釣り合うのかなと考える。
大学でカッコいいファッションをしている男性といえば、必ず服のセンスの良さそうな女の子がついていたものだ。
そういえば、一時期ゆるふわという髪形に随分やられていた、不動産ポエムと並んで、ファッション雑誌はロッキンオン風にカタカナを並べて流行に敏感な人々をアジテートする。間違いなくその前線基地はファッションビルにある。何気なくキッチンへ入ったら、來果さんが、いた。グレーのペプラムタイトスカートに、黒の肩出しフリルニットを着ていた。スタイルの良さも相まって女子高生とは思われぬ佇まいで、何でこんな人うちにいるんだろうとカルチャーショックを受ける。後ろに立っていた沙紀に問答無用で足の脛を蹴られた。なんか反応が違い過ぎないかなー、と言ってくる。こほんこほん、と咳払いする。
悪気はないんだ沙紀、ただ、俺は猛烈に服ってすごいんだなと思っている。
「その―――似合うね」
似合うねと言いながら、俺の服ダサいだろと自虐的に言いそうになる。
「沙紀さん、ファッションセンスいいんですね」
沙紀が近づいてきて、男の子の可愛い+エロティックを抑える、制服ばっかりで見慣れていたはずの不意打ちの肩、と沙紀がやっぱりエロいことを言う。
しかし、この時ばかりは思った、
*
記憶が正しければ―――いや、つまり、記憶に残っていない夕食は大した料理が出なかったに違いないが、何故か、すき焼きだった。客人を迎える一番の御馳走、それはすき焼きだった。だが、それは來果だけではなく、沙紀もそうなのだろう。玉手箱を開けたら、何でか、ヘンゼルとグレーデルが出てきたような夕食の席。
父親は來果と沙紀を見て、明るい食卓だな、と言った。器量のよい女と同席すると鼻の下を伸ばすものだが、年齢が離れすぎているとそういう感想になるのかも知れない。沙紀はお酌をし、來果は料理の手伝いをした。そして俺はとあるプロニートのように椅子に座りながら、甲斐甲斐しくテーブルを拭いていた(?)
人というのは
大張り切りの母親は、一人の息子よりも、二人の血の繋がっていない娘達と楽しそうな会話をした。もう一人か二人、
こういう家族が珍しいのかどうかはわからないが、一定数は、すっぴんを見られたくないとか、おならなどを含む生理現象問題ないしは共感性羞恥問題とか、みなまで言わずともだが、お風呂やトイレに、他人が触れて欲しくないと思う人もいる。また、家族以外が家にいるというストレスとかで、こういうお泊りを拒否する人達もいる。騒音トラブルというのもある。
ぱたん、と部屋の扉を閉じると、
「トランプしよー、馬鹿ーっつ・・・」
と、ものの一分も経過せぬ内に沙紀と、來果が雪崩れ込んできた。ねじを巻いたらオルゴールが鳴る。しかし、沙紀の扱いを本当に考えなければいけないと思う。
でも、あの距離感の近さが、來果さんを楽にさせているというのも考慮する。思うに、天使なんていうのは全方位性の陽キャなんだな。ある種の軽さというのが人の心を軽くするというのも見逃しがたい事実だし、そんなフットワーク、俺にはどう考えてもありそうにはない。向かい合う、執拗な増水。
キャッチーなパスワードが、消えてしま―――う・・。
「久嗣君が、迷惑でなかったら」
無数の扉が同時に開くのを見ているような、抑えきれない興奮が、鼻からだけではなく、口から一緒に溢れてくるような気がした。トラブルシューティングが保険や、一般論、免罪符を求める。落ち葉の上に音もなく顔出す隠花植物。成熟、来るべき完成系、懐かしい雰囲気のまま、細胞が精鋭を引き連れ、うなだれた深層。俺は考えていた、またこんな風に夏の大三角形を二人で見たいな、と。花火の音に打ち寄せる波の音、それから人の気配に揺れる夜・・・・・。
随分と先にある、
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