卒業生

スミンズ

卒業生

   1


 高校卒業の直前、たまたま教室で隣の席だった女子と、やり残したことについて語り合った。恋愛は出来なかったとか、結局将来の夢なんてものを見つけられなかったとか。


 その流れで、やはり高校生のうちにセックスは経験したいよね、とかしょうもない話になって……。


 僕は、別に好きでも嫌いでもない女子と初めてのセックスをした。


   2


 たまに、夢を見る。


 女の裸に身体を埋めて、必死に腰を振る夢を。けれどもその夢はとても歪で、現実味に欠けていた。


 それはそうだ。


 セックスは愚か、異性の身体を見るという出来事さえ、あの一件から無いのだ。彼女を作ることもなく、ましてやセフレなんて居ない。そういうのを作るという勇気が湧いてこない。だからといって風俗に行くということもない。


 結局僕は流れというものに乗っかってしか生きていけない人間なのだ。だからあの時、話の流れでセックスをした。


 ああそうだ。僕はそんな人間なんだ。


 あの時の女子の裸を思い出す。名前は河合真生かわい まおと言った。


 好きという訳では無かったが、可愛かったし、肌は物凄く透明で乳房ちぶさもしっかりとしたものが二つ付いていた。声も可愛く、交尾中に「篠田くん」と言われるときは、正直ゾクリとした。


 ……そう、思い出しておかずとするには申し分のない素材だった。だが、あの出来事からもう10年近い時間が経過した。記憶はもうかなり掠れていて、もはや使い物にならなくなっていた。


 結局、僕はスマホを片手に、何枚かのティッシュをもう片方に取ると、アパートの角部屋でひとり、いつものようにオナニーをした。


   3


 ここ最近、歓楽街がある駅の改札を出ると、もっぱら『立ちんぼ』と呼ばれる若い女で溢れかえっている。要するにそれだけ『若い女』の需要があるということである。


 やはり異性との交尾というのは麻薬のようなものだな、なんて思いながら売春婦の群れを交わしながら歩く。法律に触れてしまったとしても、求める者がいる。そしてそれを提供してお金を儲けるものがいる。


 だが待てよ、と僕は思考を巡らす。


 異性の交尾とは麻薬のような物である。これに僕は否定できない。実際、河合真生との交尾はとても刺激的だった。あれに溺れてしまうという気持ちは分からなくもない。


 だが、それは男だけの話なんだろうか?女だって、きっとそれを気持ちいいと感じる人がいる。勿論、好みの男からかけ離れていたり、不潔な奴には欲情できないだろうけれども……。


 ならば、立ちんぼって一体、金を儲けるという名目以外に、どんなことを思っているのだろうか?まさか無心に金のことだけを思っているわけじゃないだろ。きっとイケメンに買われたら嬉しく感じるんだろうし、不潔な奴に買われたら萎えるんだろうし、そこをどうコントロールしてるんだろう。


 いや、そもそもコントロールしてるんだろうか?買う方と同じでは無いのだろうか?


 そんなこと、僕が考えたってわかりっこない。


 僕は駅前の細い路地を歩いていく。四方八方が待ちんぼで返っている。


 僕はその中の1人を指名して、ホテルへと向かうことにした。


   4


 彼女の名は倉敷結花くらしき ゆいかと言うらしい。顔は整っていて、スタイルも良い。


 倉敷はホテルの部屋に入ると、まずは一言、ポツリと言った。


 「2万円」


 いきなりのことで呆然としたが、それが『彼女の値段』だと言うことに気がついて、ポケットに突っ込んでいた財布を取り出すと、渋沢栄一のお札を2枚渡した。


 すると倉敷はコクリと頷き、またそれが合図だったかのように羽織っていた上着を脱ぎ始めた。


 「待った!!」僕は思わず下着姿になりかけの女体に掌を振りかざして言う。


 すると倉敷は上着を羽織り直すと不思議そうな顔をしていた。それはそうだ。立ちんぼに金を払う男は大抵性欲のリミットスイッチを搭載していない者たちばかりだろう。いきなり服を脱ぎ始める光景だって、そんな男たちにとっては当たり前であるのも承知だ。だが僕にとって女の裸は当たり前でないのだ。僕は倉敷を真っ直ぐ観て口を開く。


 「立ちんぼって楽しいか?」


 僕は一番気になっていたことを訊ねる。すると倉敷はゆっくりと首を傾げると、人差し指を口元に当てて呟くように言う。


 「楽しい、というよりもらくなんだよね」


 「楽?」


 すると倉敷は頷く。


 「今、私はあなたから2万円を貰った。プレイ時間で言えば平均1、2時間。時給で言えば1、2万が入って来る」


 「けれどもキャッチをする時間もあるよね」


 「いいや。自分で言うのもなんだけども、そこそこスタイルも良いし顔も悪くないから、その時間は僅かだよ」


 すると倉敷は静かに自分の両手でくびれ、乳房となぞるように触っていく。言うようにしまっているところはしまっているし、出てるところはしっかりとでていた。


 「そうなんだ。大体1日に何人の相手をするの?」


 「3人くらい。週4日くらいでね」


 「一ヶ月4週間として……、大体月収100万弱か。物凄いな」僕はなんだか情けなくなって思わず溜息をついた。


 「でもね、流れで生きる人間にとっては、それでも足りないくらいなんだよ」


 そう言うと倉敷は下を向く。


 「流れで生きて行く……ね」僕は思わず苦笑する。


 「そう。欲しいものを買って、行きたいところに行って、やってみたいことをする。そんな欲望を全て叶えるためには結局お金が必要なんだよ」


 「そうかな……」


 僕は、ふとあの時の女を思い出す。


 なんとなくやってみたいから、そんな思いでなんとなく隣の席の男で処女を捨てた女を。あれは若気の至りと言って片付けてもしょうがない出来事だっただろう。だがあそこでは結局お金なんてものは発生しなかった。なんとなくで生きている人間でさえ、お金をかけずにやりたいことをやることができた。


 だが歳を重ねるにつれて、人間にはそれぞれの経験によって価値が付随してくる。それでいて互いを高めてくれる、所謂意気投合する相手と出会う機会が少なくなる。


 だからこそ、なんとなくで生きてきた人間には、追加で価値を付随させることができずに、結局お金によって価値を無理やり追加するしかなくなるのだ。


 「……倉敷さん」僕は静かに尋ねかける。


 「なに?」


 「夢みたいなのって見つかった?」


 僕の質問に彼女は目を僕の方へ向けてきた。そして、何かを確信したような顔をする。


 「まだ、見つかってないよ……。篠田くん」


 あの頃の面影のある顔で呟いた。


 「でも、やりたいことがたくさんあるんでしょ」


 「うん。けども、全部ぼんやりとしてて」


 「あの時みたいに、流れに流されてしまうんだろ」


 すると河合さんは頷くこともなく言葉を返してきた。


 「そう言う篠田くんは?」


 「似たようなものだよ。でも、ここ最近は後輩が出来て……。色々と教えたりしたら応えてくれるのを見て、自分の価値はこうやって作ることができるんだなって気がついてさ」


 僕は少し恥ずかしげに言うと、河合さんはまた下を向きながら言う。


 「篠田くんって、変わったんだね」


 僕は目を閉じて、応えた。


 「なあ、立ちんぼって、辛くないの?」


 「……怖い思いをすることはあるかも」


 僕は小さく震える彼女の肩に静かに手をかけた。


 「卒業しようよ。これからだって、まだ十分間に合うはずだよ」


 僕がそう言うと、河合さんはコクリと頷いた。それは、流されて生きてきたと思えないほど素直な反応で、正直拍子抜けした。


   5 Side,河合真生


 私は、篠田くんに夢は見つかっていない、流されて生きていると応えた。ただ、唯一流されずに自分の気持ちをストレートに出したことがある。それは他でもない。篠田くんセックスをしたい、という気持ちだった。だから、篠田くんがいう、流れでセックスしたというのは私には当てはまらない。


 それは無事に果たせた。だが、その後ろに隠れている「好き」という気持ちを有耶無耶にした挙句、そのセックスというものに縛られて篠田くんを忘れていった。


 そんな自分がとても怖かった。


 だからこそ、流されて生きて、自分を殺す必要があった。篠田くんは忘れてしまって良いんだ。そういう思いで。


 そんなさなかで、篠田くんは突然私の目の前に現れた。彼は私を買うと言った。その目はなんだか、昔と変わらず素朴で、純粋だった。これはきっと私のことに気づいた上で、セックスではなく、何かを私から聞き出したがっているんだろうと瞬時に分かった。


 篠田くんは自分は流されて生きていると豪語してるが実はそんなことはない。何か疑問があれば知りたがる。そんな人間だった。だからこそ、私の誘ったセックスに乗っかってきたんだろうし。当の本人は少し後悔してそうなのがちょっと癪で、それでいて篠田くんらしくもある。


 事実、揺すぶるためにホテルで上着を何も言わずに脱ぎだしたら、必死な形相で止めに入ってきた。立ちんぼを買った男の行動としては前代未聞な行動であるが、実に篠田くんらしい行動でもあると思った。


 篠田くんは、結局優しい人間なんだ。後輩について話していたときのあの顔は本当に幸せそうだった。そんな優しさに、本人が気がついていないというのが一番悲しいけれども。


 だからあえて、そんな篠田くんに私は「変わったんだね」という言葉を送った。本当は昔から何も変わっていないのに。ただ、篠田くん自身が昔と違って今、少しでも優しい人間になれてると思ってもらえればそれで本望だった。


 それに、変わってないよ、と言ったら篠田くん、変に落ち込んでしまいそうだし……。


 それよりも、篠田くん。いきなり女性の肩に手を置くのは禁止だよ。本当に、人の気も知らないでさ……。


 久しぶりに女性らしい感情が蠢いたような気がした。私はだから、篠田くんの言った通り、卒業をしようと思う。


 今の自分自身から。

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卒業生 スミンズ @sakou

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