年賀状

天川裕司

年賀状

タイトル:年賀状


俺は今年から、年賀状を書くのをやめた。

毎回コピーを年賀状設定にし、

年賀状用紙を買ってきて

それなりにインクも買ってきて、

毎年毎年同じ繰り返しをするのに

もう飽きたからである。


コピー印刷にそれほど精通して居ない俺は

1年経ったら年賀状の印刷の仕方も忘れる。


それにパソコンの指示を見ながらやっても

指示する方と俺との間の温度差があり、

指示内容が何を言ってるのかわからないまま

全然うまく印刷されないことも

果たしてあるものだ。


今年も年の瀬が迫ってきた。

とりあえず1枚ぐらい

年賀状書いてやろうかと思い

パソコン・コピー機に向かったが、

父親が使ってるパソコンで設定も違い、

裏面印刷が4分の1ほどしか

コピーされて出てこない。


「…なんだこりゃ?w」

他にする事は山ほどある。

自分がやってる本業と自宅ワークの両立で、

自分のパソコンとコピー印刷をふんだんに使い、

作品創作と、

これまでに書き溜めてきた膨大な量の作品を

1つ1つ校訂しながら綴ってゆく製本作業と、

それらを全部1人でしなきゃならないんだ。


俺のコピー機はすでにインク切れで

使えなかったから

父親のパソコン・コピー機を使ったのだ。

つまりそれだけ俺のコピー機は使用頻度が高く

その消耗も早い。


はっきり言って、これだけ毎日

膨大な量の仕事をしていると、

少しでもオーバーワークは避けたい。

つまり意味の無い事はしたくない。

俺の中で、年賀状を書く事は

意味の無いことになっていた。


「なんで日本人って年賀状とか書くんだろ?いつから始まった習慣?日本人だけじゃねぇのかなぁ、こんな事してんの」


アメリカやヨーロッパでは

無いような習慣に思え、

それより何より製本作業に必要な

インク代に加算してさらに

年賀状のインク代が掛かるのと、

年賀状はがきを毎年買わなきゃならない

その葉書代のお金がもったいない。

そのお金も貯金に回せば少しは足しになる。


そこまでを考えて俺は今年

年賀状を書くのをやめ、

とりあえず来たら返してやろうと、

年末まで…いや年始まで、静かに過ごしていた。


(年始)


そして年を越したその暁に、

年賀状が1枚だけ来た。


「へぇ珍しいなぁ。いつもならもっとたくさん来てたのに」

って言ってもこれまで来てたのは数枚。

それでも1枚と言う事はこれまでに1度もなく、

最低でも10枚前後は来ていた。


その1枚だけ来た年賀状の差出人は、

「あ、高校ん時の…♪」

鈴木って俺の友達だった。


「へぇ懐かしいなぁ。あいつ何してんのかな今」


高校のとき仲が良かった友達で、

プライベートでも

それなりによく遊んだりしていたヤツ。


でもそれから数日後、電話が鳴った。


「え?!…ウソだろそれ」

その年賀状を送ってくれた鈴木が、

年賀状を送った翌日頃に亡くなっていたと言う。


「……なんで…」

たった1枚だけ来たって言う時点で

もうおかしかったのか。


それから少し考えた。


そう言えば聞いたことがある。

年賀状を出すのは、普段会わない人。

会えない人。

親しい間柄でも会えない人に出すもので、

久しぶりに会った時に挨拶しやすくするため、

その後の交流をまたスムーズにするために

年賀状を送り、自分の近況や相手の近況を

伝え合うのに用いるのが本来だった…


「…会わない人、会えない人…」

そこが妙に引っかかり、やっぱり、

「て事はあいつ、もう会えないから俺に年賀状送ってくれたんか…?」

それしか考えられない状況になっていた。


他から誰も年賀状が来なかった今年。

その他の奴らとはみんな会うことができた。

あいつだけだったんだ会えなかったのは。


動画はこちら(^^♪

https://www.youtube.com/watch?v=aBINOQBBvhM

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年賀状 天川裕司 @tenkawayuji

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