下
「部活の作品がさ、そろそろ追い込みの時期なんだよね」
小野は申し訳なさそうに頭を掻きながら、元の席に座って手元の機器を覗き込んだ。彼の机の上には、昔のテレビのミニチュアに両腕が生えたような機械。一体何に使うものなのだろう。
「それ何? 画面みたいなのが光ってるけど」
「これは8ミリフィルムの編集機。左のリールから右のリールにフィルムの帯が渡してあって、この真ん中の部分を通過すると上の画面にフィルムの絵柄が映るんだ。右のリールを巻き取れば映像が進んで、左を巻けば巻き戻る」
「へぇ、こんなの初めて見た」
「僕も映画研究部に入るまでは見たことがなかったよ。それでね、このスプライサーって道具を使ってフィルムを切ったり繋げたりして、一本の映像に仕上げるんだ」
目の前の機器を嬉しそうに説明をする彼は、まるでお気に入りの玩具を自慢する小さな子供のようだった。どう見ても地味で面倒な作業としか思えないのだが、彼にとってはこれが楽しくてたまらないのだろう。
編集作業をしている間、明かりは手元は懐中電灯だけ。教室の照明を点けてしまうと、明るすぎて編集機の画面が見えなくなってしまうらしい。机の上には何本もの細いフィルムが整然と並んでいて、うっかりくしゃみでもしようものなら大変なお叱りを受けそうだ。
「映画研究部──。だから『シェーン』とか好きなんだ」
そう呟いた途端、小野がひどく眉を寄せて振り返った。自分の失態に気づいて耳が熱くなる。暗くて顔色が伝わらないのがせめてもの救いだ。
「清水さん、『シェーン』観たことあるの?」
「ああ、うん、たまたまね。ラストシーンが切なくて、よく覚えてる」
「『シェーン、カムバーック!』って叫びが山々にこだまして、余韻がいつまでも残るんだよね。清水さんも映画好きだったんだ」
そう言って目を輝かせる小野は、普段の落ち着いた雰囲気が嘘のように無邪気で可愛らしく見えた。なるほど、いつもはあまり感情を表さず澄ましているが、素顔は案外こっちの顔なのかもしれない。
「もっと映画の話をしたいんだけど、今日はこれを片づけないと」
彼が作業を急いでいる手元のフィルムは、一週間後の学園祭で上映する予定らしい。学園祭では部員全員で製作した8ミリ映画の他に、個人で製作したショートフィルムも数本添えるのだそうだ。今夜作業をしているフィルムは彼の個人作品で、撮影から編集、録音まですべて彼一人でこなしているのだという。
「スマホを使えば、撮るのも編集も簡単なのにね」
健気に作業を進める彼の前で、つい不躾な感想をこぼしてしまった。しかし彼は気に留める様子もなく、むしろ同意するかのように小さく頷いた。
「撮り直しや修正が楽だし、画質だってスマホのほうが断然良いよね。でも僕は、フィルムでしか出せない雰囲気が好きなんだ。デジタルの映像ってすごくリアルだけど、そこにストーリーを持ち込むと何だかシラけちゃって。映画を観ることで現実から飛び出そうとしているのに、画面でも現実を見せられちゃってる、みたいな。まあ、今はフィルム風に撮られたデジタル式映画撮影が圧倒的主流なんだけど……」
会話をしながらも、手元はてきぱきと作業を続けている。彼の隣の席に腰掛けて横顔を眺めていると、その目は真剣そのもので、初めて見る凛々しい表情にいつしか釘付けになっていた。
なぜだろう。胸がぎゅっと締めつけられるようだ。それに鼓動も、試合のときみたいにひどく激しくなっている。これはもしかすると、思っていたより相当ヤバいかもしれない。
そんな私の焦燥をよそに小野は小さく溜め息をつくと、ほんの少しだけ口角を上げて遠慮がちに呟いた。
「あのさ、ほぼ出来上がったから、ちょっと観てみる?」
私の返事を待たずに椅子を横へずらした彼は、自分のすぐ隣を人差し指で差している。椅子を並べて一緒に編集機の映像を観ようということらしい。私は嫌な予感を抱きつつも、言われるままに椅子を移動して彼の隣に座った。遠慮してとっとと帰ればいいものを、私の思考回路はこのときすでに熱暴走によって焼き切れていたのかもしれない。
小野がゆっくりと右のリールを回すと、編集機の画面に屋外の風景が映し出された。雨の街並み。水たまりの波紋。そして、雨粒に頭を揺らす草むらの葉っぱたち──。
「ずっと雨だね。寂しい風景ばかり」
「そう? 僕はこの映像の背景に、ショパンの『子犬のワルツ』を流そうと思ってる。子犬が駆け回っているような明るくて軽やかな曲調だけど、きっと合うと思うよ」
彼は手を止めてスマホを取り出すと、手早く操作をしたあと机の上に置いた。すぐに軽快なピアノ曲が流れ始める。『子犬のワルツ』だ。
フィルムを最初まで巻き戻して、曲を聴きながらもう一度映像を観る。さっきまでの陰鬱な雨の映像に、思いもよらない変化が現れた。
「無音のときと比べてどう?」
「うん、すごく面白い。雨がどこかに落ちると音が出て、それが集まって曲になってるみたい。さっきと違って雨なのに楽しい雰囲気」
何の変哲もない雨の日の風景が、彼にはこのように見えている。私にはない発想、思考、感性──。ヤバい。これは本格的にヤバい。私の本能がはっきりとそう告げている。
いつからか私は、編集機の中の小さな世界にすっかり見入っていた。我に返って辺りに意識を向けると、そういえばさっきからやけに肩が温かい。私が編集機に近寄ったため、私の肩と小野の肩がくっついているのだ。ヤバい、ヤバいって。でも慌てて離れると絶対変な空気に……。
そのとき突然、木の葉を揺らす雨の映像だった画面が一転した。映し出された景色には見覚えがある。というより、とてもよく知っている場所だ。次の瞬間、私はあまりの出来事に目を覆いたくなった。画面には体育館のいつもの風景。その景色の中でどたばたと動き回っているのは、どう見ても練習に精を出しているバスケ部員。いや、これは部員というより──。
「あ、あのさ、ドリブルのリズムが雨粒みたいに聞こえたから、それで入れてみたんだ。それに子犬が嬉しそうに跳ね回る姿と、その、清水さんが、すごく重なるなって……」
私はすかさず立ち上がって自分の席に向かった。そう、弁当箱だ。机の中から取り出して、リュックに詰めて、あれ、えっと、リュックどこ? あー、私のバカチン。一旦戻んなきゃじゃん。
おそるおそる振り向くと、小野の寂しそうな視線が私の背中にすがりついている。ヤバいヤバいヤバい! こっち見んな、そんな目をするな! まるで私が悪者みたいじゃん。私は悪くない。変なものを見せたあんたが悪い! このバカチンはいつの間に練習の映像なんか、うーうー、胸が苦しい。もう心臓が飛び出そう。足が震える。まともに顔を見れん──。
そっぽを向いたまま小野の側に戻り、素早くリュックを摑み上げて駆け出した。目指すは教室の扉。絶対に振り返ってはいけない。
「ごめん、清水さん待って!」
不意に『シェーン』のラストシーンが脳裡に浮かんで、私の逃げ足にひどく絡みついた。早く声が届かないところまで離れないと、去ると決めたシェーンの覚悟が鈍ってしまう。
「清水さんってすごいよね。明るくて人気者でバスケも上手くて、しかもたまに『バカチン!』とか言って面白いし。だから地味な僕のことなんて眼中にもないと思うけど……」
いいのか? そこは普通マイナスじゃないのか? 父の口癖がうつってしまって、ずっと気にしていたんだぞ。私はバカチンだから、褒めたらもっと言うかもしれないぞ?
「もう一回だけ、僕とフィルムを観てくれない? 今ならきっと自分で言えると思うから……」
その必要はない。シェーンの心臓は今の言葉だけで充分撃ち抜かれた。これ以上、何を言う気? 二度も撃ち抜くようなバカチンなら、シェーンはあなたのもとを去るどころか、もう絶対、死ぬまで、離さない──。
雨の音色 塚本正巳 @tkmt_masami
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます