第3話 悪役令嬢になるために

「婚前契約書でございますか?」


 言われた通りに目を通すと、終わりの方に驚くべき文言が書いてありました。


「陛下、これは?」

「保険のつもりであったがな。私はサラを信用している。最近の政策、全てそなたによるものであろう?」

「とんでもございません。陛下が撒かれた種を刈り取っているにすぎませんわ」

「だが、レイノルドはそれすらしておらぬのだろう」

「……」


 わたくしは答えず微笑みました。


「やはりサラは聡い。この件、そなたの好きにせよ」

「よろしいのですか?」

「そなたに後の覚悟があるのならば」


 ── わたくしの覚悟……。もしも、わたくしに選べるのなら……?


 答えは既に決まっておりました。


「陛下、わたくし悪役令嬢を演じさせていただきますわ!」


 陛下は笑って許してくださいました。


 退室しようとすると御義兄様が呼ばれました。


「そなた、アルベルトと申したな」

「はい」

「そなたに頼みがある」


 わたくしには陛下のお言葉は聞こえませんでしたが、御義兄様はただ一言、


「御意に」


 とだけ答えておられました。殿下の執務室に向かいながら聞いてみましたが、


「別にどうということでもない」


 とはぐらかされてしまいました。




「父上とは何の話だったのだ?」


 執務室に入るなり殿下が尋ねられました。平静を装っておられますが、ペンを持つ手がせわしなく動いています。わたくしは自然な動作を心がけながら自分の執務机に向かい、優雅に腰を下ろすと答えました。


「昨日のお茶会で気になる話を聞いたものですから、ご報告をして参りました」

「私には報告しないのか?」

「わたくしこそレイノルドから聞いておらず困惑したのですけれど?」

「何のことだ?」


 軽く首をかしげてこちらを見る殿下の様子を注意深く観察しながら答えました。


「マーズロウ男爵令嬢をご存知ですよね?」

「無論知っている。シャーロット嬢のことだろう」

「では、そのシャーロット様が王室専用通路に不法侵入されていたにも関わらずお咎めがなかった、という噂をご存知ですか?」 


 すると殿下はため息を吐いて答えました。


「それは噂ではない、ただの誤解だからな。シャーロット嬢はマーズロウ男爵と共に母上に挨拶に来られたのだ。彼女は婚約披露の舞踏会がデビュタントになる。その前に母上のところに来られた際、誤って通路に入ってしまっただけだ。衛兵に咎めれていたところに私がたまたま通りかかり、事情を聞いて彼女を母上のもとに案内したのだ。些細なことゆえサラにも伝えていなかった」

「お話を伺っておりましたらそのようにご説明したのですが。申し訳ありません、わたくしシャーロット嬢のことを存じ上げませんので何も答えられなくて……」

「知らぬと? 母上から彼女を茶会に招待するようにと言われなかったのか?」

「お聞きしました。ですが、今開いているお茶会は伯爵家以上の方しかお招きしておりません。シャーロット嬢だけ特別扱いするのは難しいとお答えしました。男爵令嬢までお招きすると人数が多くなりすぎますので」

「だが、マーズロウ男爵領はエバーレストとの国境を守る重要な領地ではないか」

「存じております。ですが、国境を守る男爵領はマーズロウ家だけではございません」

「……そう言われるとそうだな」


 殿下は、少し考え込んでおられるようです。


「他にも何か気になることがございますか?」

「いや、今はいい」


 そのまま殿下は仕事に戻られました。


 この時はまだ、お二人の関係が進んでいる様子はございませんでした。夜、御義兄様からいただいた資料を確認しましたが、定期的にお会いにはなっているようですがそれほど深い話をされている様子はございません。ただ、シャーロット嬢がわたくしの主催しているお茶会にお出になりたいと殿下に零しておられたのは確かなようです。殿下は「母上に相談してみるといい」とお答えになっていました。


 その後の顛末てんまつはわたくしが殿下にお話しした通りです。王妃様も、それ以上強くはお出になりませんでした。

 



 婚約披露まで残り一月足らずとなりました。この頃になると殿下は週に一度はシャーロット嬢とお会いになっておりました。そしてわたくしと殿下とのやり取りは反対にどんどん事務的に。儀式を控え、その準備にも時間を取られるようになり、ますます忙しくなっていることも理由の一つです。殿下とプライベートなお話をする時間はほとんどございません。日々忙しく、夕食から就寝の間にも仕事をこなさねばなりません。





「なぜ、お前がそこまでする必要があるのだ、サラ?」


 夜遅くまで書類を読んでいたわたくしに御義兄様が咎めるように言いました。


「わたくしの仕事は殿下をサポートすることですから」

「その殿下の部屋の灯りはもうずいぶん前に消えているが?」

「……ですが、この案件も早く決済しなければ間に合わなくなりますもの」

「サラ、お前のやっていることはサポートではない。ただの身代わりだ。いい加減目を覚ませ。本来ならば王太子であるレイノルドがするべきことをお前がしているのだぞ」


 その言葉にわたくしは書類を置くと、御義兄様と向き合いました。


「もちろん存じておりますわ。ですが、だからと言って政務を止めてしまえば国政に影響が出てしまいます。それはわたくしの今後の計画に支障がありますもの。それよりも……」


 わたくしは胸の内を御義兄様に明かすことにいたしました。

 



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