第2話 不穏な噂


 事の起こりは数ヶ月前にさかのぼりました。殿下が宮殿の王室関係者以外立ち入りを許可されていないはずの通路で、あるご令嬢と出会ったそうです。その方の名はシャーロット=マーズロウ男爵令嬢。初めての宮殿で道に迷った彼女は、知らずに侵入してしまい衛兵に囚われそうになっていたそうです。たまたま殿下が通りかかり、無事戻ることができたのだとか。


 わたくしはその話に開いた口が塞がりませんでした。


 ── 胡散うさん臭すぎますわ。マーズロウ男爵といえば、隣国である大国エバーレストとの国境門を抱える領地を治めておられるお方……。


 エバーレスト王国は我がヘイデルバーク王国と隣接する大国です。我が国には目立った産業がなく、豊かな水源をもとにワインや小麦などの農産物を生産しております。対するエバーレストは豊富な鉱山資源を有しており、我が国はそこで産出する鉱石を宝石に加工する下請けのような仕事もしておりました。長い冬の時期、農家は手仕事として宝石研磨の仕事を請け負ったりもしているのです。


 そして王妃様は、そのエバーレストからお輿入れされたお方です。豊かな金の髪に明るい緑色の瞳の美しいお方で、レイノルド殿下は王妃様の容貌を受け継いでおられます。国王陛下は鋭く青い瞳に珊瑚色の髪をしておられるのです。


 王妃様はエバーレストの流行をいち早くヘイデルバークにも取り入れられ、常に我が国の流行の最先端を担っておられます。そのためマーズロウ男爵とも懇意にしておられました。


 ── その御令嬢が、宮殿で迷子? 


 誰にも咎められずに王室専用通路に迷い込むことなど可能なはずがありません。


 シャーロット嬢は殿下の親切に感動し、後日御礼にお伺いしたいと約束を交わしたそうです。そこからお二人はお忍びで時折お会いになっているということらしいのですが……。


 間違いなく裏で何か動いているに違いありません。先ほどのミストリア侯爵夫人の態度にも納得がいきました。ミストリア侯爵領はマーズロウ男爵領と隣接しています。男爵が力を持つことには警戒しておられるのです。領地は侯爵領の方が大きいのですが、男爵領は交易の要ともいえる地。侮れない力を持っています。


 それに王妃様は大変誇り高いお方で、ヘイデルバークを田舎者の国と少し見下しておられるところがあります。わたくしのこともあまりお好きではないようです。当初はエバーレストとの縁組を推しておられたとも聞いております。


「間違いなく王妃様の差し金ですわね……ですが、これで納得がいきましたわ」


 わたくしはもうすぐ十七歳になります。ヘイデルバークでは成人の年齢です。成人すると同時に殿下の正式な婚約者としてお披露目されることが決まっております。聖堂にて婚前契約書を交わした後、謁見式と舞踏会でお披露目されるのです。どちらも近隣の国の代表と国中の貴族が参加して盛大に行われます。


 お披露目の舞踏会用のドレスは婚約者が贈るもの。その際に婚約の証として身につける宝石を先日受け取りに行き、そこで殿下がこっそりと髪留めを買っておられるのを目にしました。


 ── 王妃様にでも贈るのだろうと思っておりましたが、そういうことでしたか……。


「……で、サラ、どうするんだ? 」

「どうするとおっしゃいますと?」

「このまま見過ごすのか?」

「それこそまさかですわ。ですが、証拠は押さえておく必要がございますわね。お願いできまして?」

「そう言うだろうと思って今までのレイノルドと令嬢の記録も残してある」

「さすがですわね」


 わたくしが微笑むと御義兄様は目を逸らしてしまわれました。

 

 すぐさまわたくしは国王陛下への面会を願い出ました。




 翌日、わたくしは国王陛下の執務室に通されました。陛下はわたくしの顔を見るなり、


「レイノルドのことだな?」


 とおっしゃられました。わたくしの耳に入るくらいですから当然陛下もご存知ですわよね。


「あれは母親の言いなりなところがある。もう少し深く考えれば自ずと答えがわかるだろうに。サラ、そなたには先に目を通してもらおう。あれには当日渡し、その場で署名させる」


 そう言って一枚の書類を渡されました。


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