動乱

「なんだと」

「母上!」


 イシスの制御も聞かず、ジェロスは続ける。


あるじがそのおつもりなら、遠慮はしませぬ。ニザール殿、我について参れ。ここでは息ができぬ」

「母上!」


 去って行くジェロスとニザールを止めるイシスを、今度はゲブが制した。


「よい、放っておけ。ジェロスこそ傲慢。自分が特別な人間だと勘違いしておるのだ。人間は我ら神が生み出すいわば子供。愛でることはあっても、それは真の愛とは遠いもの。我が妻はヌトただ一人、そなたはそれを分かっておろうな、キキ」

「もちろんでございます」


 キキは穏やかな声で答える。


「ヌトよ。ジェロスはそなたを敵視していたゆえ仲良くできなんだが、ダアドはそのあたり教養も高く、そなたのよき話し相手になろうぞ」

「大変嬉しゅうございます。お心遣い、感謝致します」


 ヌトは丁寧に頭を下げると、ダアドと一緒に部屋を後にした。


「話は以上だ。そなたたちはニフティとネフティスが戻るまで、部屋にれ。儀の結果は追って伝えよ」


 ゲブとキキも去り、部屋に残された六神の間に、沈黙が流れる。


「ふっ。とうとう決裂か。まあ元々無理があったんだよ、人間が一人でこの神殿に住むなんて」

「黙れマウト。お前の身勝手な意見など、今は誰も求めていない」

「笑えるな。父上はまたあのキキとかいう人間との間に、神をこさえるかもしれない。そうなれば、そなたたちはますます立場を無くす——うぅっ!」


 アンクがマウトの手首を掴んだ。ギシギシと骨が軋む音が、無音の部屋にしっかりと響く。


「いい加減にしろ」


 アンクの冷たい声に、流石のマウトも口を閉じた。


「貴様とて、例外ではないぞ」

「ああ?」


 セトの視線が、マウトを捕らえる。


「父上はもしかしたら、混血の神に何かしらの希望を抱いているのかもしれない」

「混血? お前らに我らをしのぐ呪力などない」

「そうかな。父上が自らの部屋に通す神の子はアンク様、シエル様、そして我とイシスだけだ。貴様は父上とふたりきりで話したことすらないだろう」


 マウトがセトを睨みつけると、セトは口角を上げた。


「ずっと気にしているのだろう。同じ寿命を司る立場として、なぜ古参の貴様ではなく我なのか、と。そもそもおかしいとは思わないか? そなたたち四神さえいれば、人間を生み出すことは事足りる。わざわざ同じ役割を担う我らを創り出す必要がどこにある? 父上はそなたたち四神に足りない何かを、我らに求めたのだ。アンク様の生命と魂を生み出す呪力に、我が寿命をつけたとて、人間は完成する。マウト神。貴様だけが特別なんていうことはないのだ」


 次の瞬間、マウトは一歩前に出ると、左手の親指と中指を合わせる。その場にいた全員がマウトから一歩距離を取ると同時に、セトが左手の人差し指と中指を揃えて立てた。


「やんのかテメェ」

「貴様にだけは負ける気がせぬ」


 マウトが指を弾くと、紫色の雫がとてつもない速さでセトに向かう。セトはそれを呪力の壁でガードすると、人差し指を曲げ蛇をいくつも出す。その蛇が空中をうねる中、アンクが声を上げた。


「止めないか! 仮にもまだニフティとネフティスが儀の最中なのだぞ! 場をわきまえよ!」


 と、同刻。天空の扉が開く。


 真っ白な光の空間から現れたニフティの頬は痩せこけ、意識を失うようにフッと目を閉じると、慌てて駆け寄るアンクにもたれ掛かった。


「今宵はニフティ、そしてネフティスを労い回復させる大事な夜だ。これ以上の争いは禁ずる!」


 アンクはそう言い残して、ニフティと共に姿を消した。


「覚えていろ、セト……我に楯突いたこと、必ず後悔させてやろうぞ」


 マウトも消え、シエルは申し訳なさそうに深く頭を下げると、部屋を出て行った。


 壁にこびりついたマウトの攻撃の跡にイシスが触れれば、紫色の染みがスッと消える。


「蛇をしまえ」

「はい」

「馬鹿者」

「……申し訳ございませぬ」


 イシスはセトを一瞥すると、ネフティスに声をかけた。


「ご苦労であった。ニフティ様は疲労困憊のご様子だったが、そなたは体力があるな。儀を重ねる度、凛々しゅうなりおる」

「ありがとう存じます」

「それでも疲れたであろう。部屋で手当てだ」


 イシスがネフティスと共にその場を去ると、セトはじっと前を見据えるオシリスの横顔を睨みつけた。


「そなたさえものが申せたら、我らはこんなにも惨めにならずに済んだものを」


 セトが消え、オシリスはたったひとり。まだ不穏な空気が見え隠れするその部屋には、時計もないのに刻々と時が刻まれる音がする。


ドクンっ、ドクンっ、


 オシリスはゆっくりと、天空の扉に顔を向ける。その瞳がほんの少し揺れたことは、誰も知らない。

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