油断

 霊魂崇拝れいこんすうはいの儀。それは死者の魂を浄化し、冥界に送る儀である。


 死という必然にやってくる寿命に、人間は初め悲観的であった。なぜ死ななければならないのか。その答えを説いたのが、転生論。

 人は死を通行料に冥界、そして楽園へ逝ける。楽園とは、現世で味わえぬほどの幸福を得られる場所。その場所は、順番に現世に生命を成す為の待機場だと人は教えられている。その橋渡しをするのが葬祭そうさいの神、ニフティだった。


 人が死を迎えると、その心臓をニフティが飲み込む。ひと月かけて数多あまたの心臓を飲み込み続けると、ニフティの身体はだんだんと影に飲み込まれるように、黒く変化する。

 その頃になると陽の光を受け付けられない身体になる為、霊魂崇拝の儀が近づくにつれてニフティは真っ黒いローブでその身を隠すのだ。


 真四角の部屋。右奥にゲブとヌト、それに続くようにアンクら兄妹神が並ぶ。左奥にジェロス、それからオシリス、イシス、セト。

 カラシリスと呼ばれる、帯を締めて着る半透明のワンピースのようなものを皆が羽織り、皆が片膝をついている。


「ニフティ、それからネフティス。前に出よ」


 ゲブの一言で、ローブをまとったふたりが前に出る。ジェロスがオシリスたち四神を生んだ時から、懐胎の儀だけでなくこの霊魂崇拝の儀も、ニフティとネフティスで役割を分担していた。


 ふたりが中央の壁に向き直ると、そこには壁と一体化するように扉があった。

 開かれた目玉がふたつ。目玉は左目が月、右目が太陽を表し、それがまさしく冥界へと繋がる『天空の扉』なのである。

 ゲブは立ち上がると、両手を掲げて顎を上げた。

 

「創造主ラーよ。その扉を開き給え」

 

 すると扉が開かれ、ふたりは中へと進んでいく。白い光に包まれふたりの姿が見えなくなると、ダンっ! と扉が閉まると共に扉の目も閉じた。

 それまで片膝をついてこうべを垂れていたその場の全員が顔を上げる。


「何度やっても息が詰まりますな、この儀は」


 ジェロスが面倒臭そうに言えば、セトが一つ咳払いをして話を変えた。


「父上。ふたりが戻るまでしばし時間がございます。本日はこの儀以外にも、何かご報告があると聞いていましたが」

「おお、そうであった。ニフティとネフティスにはそなたらから伝えてもらうとして」


 ゲブは改めて皆に向き直る。


「こたびこの神殿に、新たな家族を迎えることとなった。入れ」


 ジェロスは目をひん剥き、立ち上がる。だがそんなことはお構いなしに、部屋の入り口から続々と足音が響いた。


「左からニザール、ダアド、キキだ」


 ニザールは一歩前に出るとひざまずく。


「我が名はニザール。この度神殿にお招きいただけたこと、大変光栄にございまする。本日よりジェロス様の身の回りのことを世話するようにと、ゲブ様から申し使っております。どんな雑用でもこなします故、なんなりと」

「なっ……」


 ジェロスは狼狽うろたえ、唇を震わせてゲブを見ている。続けてダアドとキキが自らの紹介をするも、ジェロスの耳にその声は届かなかった。


「ニザールはジェロス、それからダアドはヌトにつける。そして、キキは我の世話係として本日よりここで暮らすことに決めた」

あるじ、これは一体」


 前のめりになるジェロスを止めると、イシスが落ち着いた声色で代わりに訊いた。


「父上。ダアド殿とキキ殿は女性、しかしニザール殿は男性です。母上の世話を男性に任せるというのは如何いかがなものかと」


 イシスの言葉に、ゲブは頬杖をつきながら答える。


「毎夜毎夜そとに出かける手間が省けて、良いではないか。ニザールは端正な顔立ちであるし、そなたもこれで文句なかろう? なあイシスよ、もうジェロスの件で我の元に来るのは金輪際やめよ」


 吐き捨てるように言えば、ゲブは次の瞬間にはもうキキの方に顔を向け談笑していた。

 時が止まる。笑顔を向け合うゲブとキキの顔がスローモーションに歪み、今までジェロスの中に張り詰めていた糸が、ブチっと音を立てて切れ落ちた。


「神というものはほんに、ほんに傲慢でございますな」

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