第7話

 実践の経験はないが、何度も読み返しているため、内容の一切は頭に入っている。 

 

 無地のハンカチ、スケッチブックを用意して、そこにサラサラと円を描く。


 五芒星の中心に栗色の髪の毛を置いて、必要なもう一つを探すと稲田の毛髪もすぐに見つかった。


 謂れのない侮辱を受けて、このまま、あんな不届な奴らが何もなかったかのように振る舞って生きるなんて、我慢できない。


 せめてもの抵抗で、何らかしらの打撃を与えたい。それが仮令、慰め程度のものであっても。


 その想いに突き動かされた。


 形代とした2人の頭髪に手を翳す。


 月の光を覆い隠す、暗雲をイメージしながら、シオンは呪を唱えた。


「世界を司る、5人の精霊に乞い願う。我らに仇なす者共の魂を、邪気に蝕まれし黒き穴へと誘い給へーー」


 少しでも冷静になれば、自分がどれくらい滑稽な真似をしているかわかるだろうに、この時の白音には自身を俯瞰する余裕はなかった。


 ただ、怒りと憎悪、目に見えぬ力を制御する純粋かつ膨大なエネルギーが全身を支配していた。


 掌に熱が集まったかと思うと、室内の空気が変わった気がした。


 透明な質量が生まれて、2人の毛を乗せた紙がふわりと浮き上がる。


 呪を発動させた結果、どうなるのかはシオン自身も知らなかった。


 なにしろ、本気で誰かを呪うのは初めてだ。


 初めは空に浮くのを呆然と見上げていたが、次第にくるくると回り出し、周りの空間が引っ張られるように捩れるのが見て取れて、狼狽した。


「えっ? うそ。どうなってるの……」


 回転がどんどん加速して、その中心が黒く渦巻き始める。


 捩れに引き込まれるような酩酊感が生まれて、たまらず膝の横に手を突く。


 遊園地のコーヒーカップに乗ってひたすらひたすら回転しているような、高速移動と眩暈のセットだ。


 ぐるぐる回って、気持ち悪い。


 これが、呪いの代償なのか?


 横のみだった回転に、突如として縦回転が加わる。


 シオンの身体はぶわっと宙に投げ出された。


「わぁっ! 何ーー!?」


 天地がひっくり返り、天井にぶつかる、と咄嗟に身体を縮めたが、衝撃はない。


 しかし、足元にはブラックホールのような黒い渦が半径を広げ、シオンを呑み込まんと闇色の焔を迸らせた。


 その渦の中心に、吸い込まれるように落ちていく。


(ええっ? ウソ……)


 恐怖を感じるよりも早く。


 あっという間に、それこそ、瞬き程度の一瞬で、シオンは闇に吸い込まれ、その先へと突き抜けた。


「きゃあ……!」


 その間は10秒にも満たない。しかし、明暗の差に眼が眩む。


 身体が宙に放り出されている心許なさに変わりはなかったが、闇を抜けた途端、今度は引っ張られるようにして落下した。


 ドサッ





***




 ーーと。それが、ここまでの成り行きだった。


 今さっきまで自分の部屋で最低男らに呪いを掛ける、不健全な活動をしていたのに、いったい全体何が起こったのか。


「待っていたぞ。双翼の乙女」


 何事かを話しかけられ、シオンはふとその人物に目を向けた。


 輝くばかりの銀髪と青い瞳。口元には微笑が浮かんでいる。


 声は玲瓏として、聞いた者を瞬時に虜にするような、心地よい響きを孕んでいた。


 ーー見るからに非現実的な絶世の美男子に、白音は抱かれていた。


 左脇と両膝の裏に腕を回され、側体は男性の正面に引き寄せられている。


 その距離感に、白音は自分が「お姫様抱っこ」をされていることに遅ればせながら気づいた。


 すると落下した身体を、この人は受け止めてくれたのか。


 ……というか、この人はそもそも、人なのか?


 そんな初歩過ぎる疑問が浮かぶほど、この男性の美しさは人間離れしていた。


 ひょっとして私は、死んでしまったのだろうか。他人を呪った代償で。


 「俺の名はヴァイス・シュニー・エルデガリアだ。貴女の名は? 双翼の乙女」


 この質問で、ますます混乱が深まった。


 だって言葉が通じる。すこぶる流暢な日本語だ。


「私、は、鈴森白音スズモリシオンです……」


 とりあえず、訊かれた通りに答えてみた。


 だが、疑問は解決しない。


 人だったとしても、シオンの既知の人間とはかなりの乖離があるのに、この風貌で日本人であるはずがない。


 外人さんだとしても、軽く毛先にカールがかったショートヘアは艶めくほどの銀髪だ。


 完全な銀髪は地球上にはいないだろうと聞いている。つまり、やっぱり人間ではなさそうだ。


「シオンか。良い名だ。それに、この黒檀の瞳と髪……」


 抑揚のない呟きながら、美青年に褒められてドッキンと胸が跳ねる。


 ついでに頭髪から頬を指先でなぞられて、かぁあ~と耳まで熱くなった。


 死後の世界で、人外の生き物に撫でられて、とても頬を染めていられる状況ではないのに。


「あ、あの、何を……! ここは、貴方は一体?」


 あわあわと動揺しながら、控え目に胸を押す。


 手に触れたのは白いシャツだった。シワひとつないが、手触りはコットンのようだ。


 ヴァイスと名乗る男性の服装は、シオンの知る限りでは中世ヨーロッパのあたりの人が着ているようなデザインのものだった。


 ゆったりと余裕のあるローブを羽織り、胸元には大ぶりの貴石を嵌め込んだブローチが輝いている。


 貴石の部分にルーン文字らしき文字が刻まれているように見えた。


「降ろしてあげたらどうだ、ヴァイス。困惑しているだろう」


 ヴァイスの容姿に目が釘付けで気づかなかったのだが、近くにも誰かいたようだ。


 すぐ傍から、別の声がした。


 シオンはそちらに視線を移す。


「わわっ」


 思わず声が漏れそうになる。


 ヴァイスの後方に立っていた人物もまた、目を見張るような美貌の持ち主だった。


 そちらは陽の光の加護を受けた金色の髪に翠玉の瞳。


 涼しげなヴァイスの容姿と対比するかのような色合いで、甘く整った顔立ちをしている。


 眉根を寄せ、呆れつつも安堵したような、複雑な表情を浮かべている。


「それもそうか。済まない。気づかなかった」


 ヴァイスはシオンをそっと降ろすと、その人物に譲るべく距離を取った。









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