第6話

 マットレスに顔を押し当てて、でも今さっきまさにここで繰り広げられようとしていた行為を思い出し、顔を上げる。


 忌々しくて、力任せにマットレスと布団を殴りつける。


(信じらんない!! アイツら、人の家で勝手にやりたい放題! あの男、あんなにクズだとは思わなかった! 二股掛けた挙句、人ん家に女連れ込むなんて!)


 ボスッ、ボスッと、殴りつけると罪のない布団たちから埃が舞う。


「最低、最悪、クズ! バカ!」


 怒りに任せて罵詈雑言を喚き散らした。


 心移りしたのならまだしも、初めから何とも思っていなかったと宣言されるなんて。


 ショックは元より、全く気づかなかった自分にも腹が立つ。


(あの女もあの女よ。私だって、二股だなんて知らなかった! なんて言い草。信じらんない! それに人ん家で盛っておきながらあの態度、どんな神経してんの!!)


 シオンは萌香の顔を思い出して、怒りに身を震わせた。


 美人の部類に入るのだろうが、自分のほうが上だと信じて疑わない図々しさと、他人を見下す性根が顔に出ていた。


 腹黒さを隠しもしないで、それでも可愛く振る舞えるのだからたいしたものだ。


「クソ馬鹿野郎っ! 二人とも地獄に堕ちろーー!!」


 がむしゃらに拳をぶつけながら、怨嗟の声を撒き散らす。


 泣くのも悔しい。だから勝手に流れ出る涙までが忌々しかった。


「ーーっ、ぅう……、ひっく」


 シオンは嗚咽を漏らしながら、しばらく布団に顔を押し付けていた。


 それから、どのくらいの時間が経過しただろう。


 ようやく顔を上げると、部屋を見渡した。


 六畳一間の狭い空間には、ひっくり返った鞄からこぼれた中身が散乱し、弾かれた枕が転がっていた。


 洟を啜りながら、見るともなしにその光景を眺める。


 その時、白い枕カバーの上に、一筋の煌めく薄茶色の糸が視界に浮き上がった。


 寄って見るまでもなく、その物体の正体がわかる。


(あの女の髪ーー)


 シオンは黒髪だ。


 緩くカーブを描いた細く長い糸は、あの女のものに相違ない。


 興奮で頭の奥が痺れていたシオンの知覚は曖昧だった。


 だが、そうと意識したら、再び憎悪に火が灯り、ぶわっと全身が総毛立つ。


 気づけば取り返しのつかない決意が口から溢れていた。


「呪ってやる……2人とも。呪ってやる」


 自分が発したとは思えない、暗く掠れた声に驚きもしなかった。


 普段なら発想もできない、馬鹿げた方法だ。


 だが、今はそれがとてつもなく優れたアイディアに思えた。


 自分に残された、唯一の報復手段だと。


 確かに稲田の行いは倫理にもとる。


 だが、騒ぎ立てたところで、所詮は口約束の恋人関係だ。


 同情を引くくらいはできても、醜聞が世間に残るのはごくわずかな間だけ。


 萌香の主張したように、稲田らにはほとんど痛手にならない。


 シオンは迷いなく押し入れの戸を全開にすると、その最奥から一冊の古びた本を引っ張り出した。


 それは四六版サイズの、黒い表紙の厚い本で、手触りの良い布地のそれは、年季が入ってくたびれている。


 シオンがまだ小学生だった頃、古書の出店で偶然に見つけた本だ。


 『真夜語り』


 著者名はなく、タイトルだけが達筆な手書き文字で綴られている。


 中身は、よくあるオカルト本だ。


 もう何度も目を通したページをパラパラとめくると、目的の項へ辿り着く。


 人を呪わば穴二つーーとの文言が目次の前に注意書きとして記されている。


 これは、相手を害しようと呪いを用いれば、自分も報いを受けるだろうと、読者を戒めるためのものだ。


 自らを危険に晒すかもしれない。だが今回ばかりは、どうでも良かった。

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