第5話

 シオンの弱気を悟って、稲田は開き直った。


 足に当たっていた鞄をオマケとばかりに蹴り飛ばす。


「そういうことだから、シオンとは別れる。これで、終わりだ」


 まるで居直り強盗だ。


 このままゴリ押しするつもりらしい。


 萌香ニヤニヤと笑みを浮かべている。


 白音はキッと萌香を睨みつけた。


「怖~い。こんな野蛮な女とこれ以上一緒にいたら、何されるかわかったもんじゃないわ。聡、行こ」


 しかし萌香はシオンの睨みなど、そよ風ほどにも感じないようだ。


 稲田の手を引くと、出て行こうとする。


「待って!」


 シオンは咄嗟に叫んでいた。


「ああ、これ以上なんだよ?」と稲田は不機嫌そうに振り返る。


 今までの優しさは薄っぺらい仮面のように剥がれた。


 シオンに優しくすれば萌香の不況を買うからか。


 でももう、方法は何でも良かった。


 どうにかして一矢報いたい。このまま行かせてなるものか。


「稲田さんに、私を悪く言う資格があるの!? 最低すぎる。せめて、謝ってよ! でなきゃ……仕事先でバラしてやる。稲田さんに、二股されたって」


「はぁ~? 好きにすればぁ? でもさ、わかってる? 聡を寝取ろうとしたビッチはアンタなのよ。被害者は。私と聡は同僚で、付き合ってるのも会社公認だし、アンタがどんな主張したって痛い女扱いされるだけよ。そりゃ聡もちょっとは居心地悪くなるだろうけど、圧倒的に不利な立場はアンタだよ」


 決死の覚悟で放った切り札は、あっさり無効にされてしまった。


 稲田の腕に手を絡ませながら、萌香は必死のシオンをせせら笑う。


「萌香の言う通り、慣れない虚勢はやめとけよ」


「そうそう、モテない女が必死になったらサムイだけ。引き際が大切よ」


 わなわなと、震える唇を噛み締めた。


 また、涙がこぼれそうだが、誤魔化すように瞬きを繰り返す。


「今度こそ、じゃあね。もう二度と会わないけど」


 くすくすと、シオンを見下すわざとらしい笑い声を上げながら、萌香が背を向ける。


「待って!」


 もう一度叫んだが、今度は二人とも反応すら示さない。


「鍵……、返してよ」


 悔しくて堪らないのに、他の言葉が思いつかなかった。


 ポツリと呟くと、ようやく玄関で靴を履きながら稲田が足を止めた。


 はぁ、と溜息をつき、ポケットに手を突っ込む。


 おもむろに放られた鍵が、チャリンとフローリングに転がった。


 転がった鍵に目を向けると、バタンと扉が閉まる。


「くうっ……」


 2人が出て行ったとわかっても、シオンはしばらくその場から動けなかった。


 怒りなんて言葉では表現しきれない、ドス黒い感情がずるずると身の内から這い上がってくる。


 今までシオンが稲田に捧げた時間や想いは何だったのか。


 それを踏み躙られた挙句、ぞんざいに扱われたのだと思うと屈辱で震えが止まらない。


「ーーっぅぅ、ぅぁあああああっ!!」


 それは、愛しさや未練が尾を引きずるなんて、生優しい感情ではなかった。


 全身の力を振り絞るようにして咆哮を上げると、ベッドに突進する。

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