N43札幌の空の下で<冬> 

@kitamitio

第1話 1『Xが怖い酷い』



「道産子太郎と花子のジジババ放談」が出来なくなってしまいました。花子さんの都合が悪くなってしまったので、しばらく間が空いてしまいました。今日からは私太郎一人が「放談」することになってしまいましたが、今まで以上に真剣に日本を考える頭をなくさずに進めていきたいと思っていますので、どうかよろしくお願いいたします。


12月に入り冬まじかというよりもう冬なんですが、12月3日時点でまだ札幌は根雪になっていません。予報では明日から雪が続くということなので今日が最後の雪のない道路なのかもしれません。もうすでにひと月以上前にタイヤ交換してしまったこちらとしては早く雪に覆われた道路になってくれないとタイヤがすり減ってちょっと気が気ではないところでもあります。


ところで今日の話題なのですが、『Xが怖い酷い』という話です。


ツイッターと呼ばれていたころには全く触れていなかった世界なのですが、Xと呼ばれるようになって初めてのぞき見してみたのですが、もうびっくり。

そこはもう<攻撃><攻撃><攻撃>の世界だったのです。

どうしてこんなにも厳しい言葉でダイレクトに相手を責めることができるのだろうと感心(?)してしまうほどでした。でも、それを見終わってもちっとも幸福には思えませんし、後味の悪さだけが残る世界になっていました。


Xの世界は自分の考えを述べる、主張する世界なのだからそれでいいのだ、ということらしいのですが、あまりにも短絡的過ぎる発言が多くてショックでした。<炎上する>というのもようやく意味が分かりました。これは言われた方は穏やかならぬ気持ちで過ごすことになりますよね。


もしこのような「罵詈雑言」に近い言葉で指摘されたら本当に恐怖を覚える怖い世界だと改めて思ってしまいました。


最近では、選挙に絡んでこのようなSNSをうまく利用したものが勝つというようなことも言われていますし、テレビや新聞のことを「オールドメディア」などと蔑んで言う人たちも増えてしまいました。逆にテレビや新聞も読まないSNS主流派のことを馬鹿にする立場の人たちも出てきました。

私は老人らしくテレビと新聞が情報収集の中心になっていますが最近は時間の余裕もあるのでSNSも結構参考にしています。そんな中でXの「異常なまでの過激さ」に驚いているのです。


オーストラリアで16歳以下の子供にSNS禁止令が法制化されました。

詳しくはメディアで確認してもらうことにして、私はこの法案に大賛成です。もう今から十年以上前にLINEが子供たちの中ではやり始めたころ、LINEによる仲間外れやいじめ事件が多発しました。

私は中学校のPTA集会の中で「LINEを禁止にしましょう」と発言して他の保護者に失笑されたことがあります。


もうそのころから中学生くらいになるとスマホは必需品になってしまっていたのですね。子供たち以上に親御さんの方がLINEなどのSNSに頼りきりだったのです。当然のように子供に対してスマホの使い方の制限なんかできない家庭がほとんどでした。「みんな持ってるから」という子供たちの主張に親はみんな負けていました。


そして、その結果が今……。ひどい状態で子供たちの精神を破壊しようとしている場面をたくさん見てきました。Xと同じような<攻撃的な言葉>で子供たちはやり取りしているわけですから、傷を受けないはずはありません。


物事の一面だけでその人を全否定してしまう風潮が恐ろしい。人の評価としてそれが当たり前になってしまっている世界が恐ろしい。一人の人間の評価というのはそれではいけない。人は間違いを犯す。他人よりも劣っている部分がある。それがごく普通の状態であって、その一つを取り上げてすべてを否定してしまうと、この世のだれもが存在できなくなってしまう。


また、自分と違う考えの人を全否定しているのがXの世界で、逆の立場になれば自分が全否定されてしまう。

それは全く正しくない。自分と違う人間がいるのが当たり前で、考え方も外見も違うことが正常なことなのだとわかっているはずなのに、閉ざされた言語世界ではこうやって飛躍してしまう。そして時には命にかかわる事態にまでなってしまうのです。


現在の日本を考えても、小学生からスマホを所持しえいるのが普通になってくると、オーストラリアのような対策に踏み出す必要性があるのではないかと考えています。Xのことばかりを述べてしまいましたが、それはSNSと呼ばれるメディアの代表として取り上げているにすぎません。他の目でいアであっても同じです。もちろんそこにはオールドメディアと呼ばれているものも含みます。


アメリカでは異常なほどの対立構造を作って、国民が分断されている様子を選挙報道を通じて目にしました。これは日本の中でも随分と似た構造になってきています。なにより「相手を攻撃するのが正しいやり方だ」とする考え方で物事が進み始めていると感じているのです。


どうしても、人々の考え方が狭い範囲で感情に訴えるような風潮になってきているようで悲しくなってしまいます。先日は学校給食で「いただきます」を言わないように決定したという小学校のニュースが話題になっていました。保護者のクレームに学校側が対応できなくなったからなのだそうですが、ここまでくると何が正しいことなのかを子供たちに教えられなくなってしまいます。SNSの件とは別ですが人々の考え方がなにか「怖く酷い」方向へ振れてきていそうで本当に怖いと感じています。


私たちはやはり、言葉を使って人との関係を作ってきました。他と良好な関係を維持する。それが日本人が長い間苦労して築き上げてきた歴史なのだと思います。そのための言葉は決して<攻撃>一辺倒のものではありませんでした。日本人特有の丁寧な言葉遣いと中庸を認める態度が中心だったはずです。


私たちの何世代も前から、何百年も前から培ってきた日本人の良さとしての正しい言葉を使ったコミュニケーションの取り方を意識しなければならないのではないか、と今さらながら考えてしまった。そんな札幌の真冬まじかの12月3日でした。


*皆さんは、私などよりはるかに早い段階からSNSなどの世界で活躍していたのでしょうが、どんなふうにお考えなんでしょうね。

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