第41話 白鯨

 両脇の細いサイドケーブルを手すり代わりにする。たわんだメインケーブルの上を丸太渡りのようにして歩く。

 ビュービューと強風が吹き荒れる。唐草模様のマントがはためいた。

 バランスを崩せば東京湾に真っ逆さまだろう。

 しかも人工心臓移植装置を携帯しているためバランスをとるのが非常に難しい。

 俺が主塔の頂上に着く頃には佳境だった。

 触手コアマタを露出したソルティライトがシロヤギと組み合っている。その奥にはヤモリがいた。

 にゅっと顔を出して主塔を見回すと、俺の目の前にガムテープで手足を縛られたばっちゃんが見えた。俺はシロヤギの隙を見計らい、ばっちゃんを救出しようと試みる。ソルティライトは俺の存在に気づいていたが黙っていた。

 俺は手を伸ばしてあとちょっとでばっちゃんに触れようとした――まさにそのとき、


「何者だ、おまえ?」


 と、もうひとりのヤモリが見とがめた。


 余計なこと言うんじゃねえよ!


 俺は内心怒りながら、言葉の代わりにカチカチと金色の臼歯を鳴らした。


「また貴様か」


 そこで芋づる式にシロヤギも気づく。首が180度回る。俺と目が合った。

 しかし、ソルティライトとシロヤギは組み合っている。今がチャンスだ。俺はソルティライトに目配せしてから構わずばっちゃんに手を伸ばした。


「おい、ばっちゃんに何する気だ!」


 かつてのヤモリが強風のなか主塔を走ってきた。

 しかしそれよりも早く、シロヤギが動く。

 大事な人質を取られてはたまらないので当然だ。

 組み合ったソルティライトのコアマタを引き剥がすと、シロヤギはダブルガンの銃口を俺に向けた。間髪入れずに発射する。

 俺は反射的に左手を突き出していた。

 ダブルガンの電撃砲はその水色の義手の手のひらに吸い込まれていった。


「あははっ」


 乾いた笑い声しか出ない俺。


「なんじゃと?」


 シロヤギは度肝を抜かれていた。

 すかさず跳ね飛ばされていたソルティライトは二本のコアマタでシロヤギを捕縛しようとする。だがシロヤギの人工眼球は可視光域が広くフレームレートも高い。ソルティライトの常人離れした攻撃を軽くさばいた。

 その隙に俺はばっちゃんを縛っているガムテープを外した。


「この野郎」


 すると前置きもなく俺に過去のヤモリが殴りかかってきた。左フック、右フック、左ローキック。

 しかし、俺は見覚えのある教科書通りの攻撃を見事に回避する。

 ヤモリは訝しむような視線を俺に向けた。

 続けて柔道、空手、ボクシング、MMAといろんな種目で畳みかけてきたが、正直、自分の攻撃を読み切ることはたやすかった。何を考えているのかが手に取るようにわかる。

 鏡を見ながらダンスレッスンをしているようなものだ。

 かといって、それは相手も同じことだ。

 俺が反撃すれば俺の正体を自分に見破られる可能性がある。

 それに右手の人工心臓移植装置を傷つけるわけにもいかない。

 膠着状態に陥っていると、そこでシロヤギの発射したレールガンの流れ弾がこちらに飛んできた。俺の肩をかすめる。反射的に俺は倒れ込んだ。

 その瞬間を見逃さず、ヤモリはばっちゃんを起こして肩を組み、主塔の中腹へ引き返していく。

 まずい。

 それはいつか別アングルで見た光景だった。

 途中でばっちゃんは目を醒ました。


「ん? 今どがんなっとっと?」

「いいから俺を信じて歩け」


 ヤモリが振り返ると同時に俺は立ちあがった。

 ヤモリとばっちゃんはシロヤギを押さえ込んでいるソルティライトの横を刺激しないように通る。俺はヤモリのすぐ後を追いかけた。しかし、その道中でソルティライトに突き飛ばされたシロヤギの下敷きとなってしまう。

 俺、シロヤギ、ソルティライトの3人はもつれ合いながら三つ巴の状態となる。

 といっても三つ巴と思っているのはシロヤギだけだった。

 俺はソルティライトとアイコンタクトを交わしたのち手を組む。二人がかりでシロヤギを押さえ込んだ。俺がシロヤギの右腕を押さえ、ソルティライトは左腕を押さえて、さらに二本のコアマタでそれぞれ一本ずつ足を押さえ込んだ。

 シロヤギは俺とソルティライトがまさか繋がっているとは気づかず油断したのだろう。

 このままシロヤギを押さえ込めればばっちゃんは助かるはずだ。

 ヤモリの下へ博士がカメシマ2000を主塔の上に緊急着陸させた。


「地震発生まで時間がない。急ぎたまえ」

「急ぐしゃめ!」


 サポート役のサメタマもヒレを振って誘導している。

 とそこでシロヤギが雄叫びを上げた。


「邪魔じゃ邪魔じゃ邪魔じゃ邪魔じゃ邪魔じゃ邪魔じゃ!」


 俺とソルティライトを持ち上げてシロヤギはその場で回転すると遠心力を利用して振り払った。

 それから急停止する。

 ダブルガンの銃口はピタッとヤモリに合わせられていた。


「あぶない!」


 ばっちゃんがヤモリを突き飛ばした。

 引き換えにばっちゃんの心臓が撃ち抜かれていた。まるで借景のように向こうの風景がのぞけるほどの風穴が胸に空いている。血の気の引いたヤモリの絶望した顔がのぞいていた。


「嘘だろ……ばっちゃん」


 ヤモリは消え入りそうな声で言った。

 博士がカメシマを降りてばっちゃんに駆け寄る。


 結局こうなってしまった。

 避けられない運命だとでもいうように。

 これが神の望みであるように。


「主ノウ・ライフに代わり、死を届けさせてもらう。ノウメン」


 続けてシロヤギはダブルガンを博士に向ける。

 トリガーが今まさに引かれようとした。

 次の瞬間、そのときは来た。


 地球の寝返り。大地の伸び。海のあくび。

 それらすべて、人間にとっては天災だった。

 2024年8月31日23時58分、太平洋大震災発生。

 最悪のタイミングか、絶好のタイミングか、神は知ってか知らずか。

 日本列島に激震が走った。


 何度体験しても慣れない揺れだった。シロヤギはダブルガンを取り落とす。主塔の中腹は真っ二つに割れる。そこであろうことか俺は人工心臓移植装置を手放してしまった。人工心臓は滑って主塔の監視カメラに引っかかり止まった。

 俺はホッと一息吐く。

 しかし別のところでは心臓を失くしたばっちゃんが主塔から滑り落ちようとしていた。

 そこで俺の横の宇宙人が動いた。


「ソルティーネット」


 突如、レインボーブリッジの主塔から下の道路にかけて、巨大な蜘蛛の巣が張られた。ばっちゃんはその白い糸に絡められてミノムシのようにぶら下がった。

 さらにガタン! と主塔が急激にV字に傾く。

 俺はそれをあらかじめ知っていたので身構えることができた。鉄骨に掴まり事なきを得た。

 対岸のヤモリと博士は落下していたが、俺は焦らない。

 なぜならカメシマ2000に乗ったサメタマが助けに来ることを知っているからだ。

 そんなサメタマに回収されたヤモリに蜘蛛の巣の中心で宇宙人は言う。


「行って。未来へ」

「ソルティライト、おまえは?」

「待ってる。ずっと」


 ソルティライトはいつものように倒置法でそう言った。

 その間にシロヤギは形態変形トランスフォームしていた。

 奴を止めたいのはやまやまだったが傾斜がきつくてそれどころではなかった。俺は自分が落下しないようにするのが精一杯だ。シロヤギは山岳をかける山羊のように四つ足で主塔を駆ける。

 そしてジャンプした。


「黙って行かせるわけがなかろう」


 指先一本がカメシマの甲羅に引っかかる。

 シロヤギは左手で体を支えてもう一方の右手で近場の博士とサメタマを掴み、問答無用で外へ放り投げた。博士はソルティーネットに引っかかり、サメタマは東京湾に落ちていった。

 シロヤギはその手でヤモリの左腕を掴んで離さない。


「ジ・エンドじゃよ、ヤーモーリーく~ん」


 そう言ってシロヤギはループタイを緩めて胸元を晒す。

 チッチッチッ、とタイマーが時を刻んでいる。


「たった今、わしの心臓コアに埋め込まれている爆弾のスイッチを入れた」


 それに構わず、ヤモリは突如カメシマを急発進させた。

 一本の蜘蛛の糸――ソルティーネットに向かって。


「馬鹿が。ウルツァイト窒素ホウ素合金のわしの腕が切れるとでも?」

「知ったこっちゃねえよ。ただな、人間なめんなよ」


 ヤモリはシロヤギに掴まれた左腕を引くのではなく、逆にめいっぱい伸ばした。


「……な、何をする気じゃ?」

「ロボットにはできねえことだよ」


 ヤモリは速度を緩めずに角度を微調整する。そしてレインボーブリッジにピンと張られたソルティーネットめがけて突っ込んだ。煌めく糸に左腕を通す。

 刹那、スパッと自切した。


「墜ちろッ……!」


 その自切されたヤモリの左腕を掴んでいたシロヤギも当然落ちていく。さすがのシロヤギも空は飛べない。そのままレインボーブリッジに落ちていった。

 次の瞬間、ヤモリを乗せたカメシマ2000は立ち消えた。

 あとにはダイヤモンドダストのような時間の結晶が瞬いている。


「さて、俺の仕事はこれからだ」


 正直ここまではばっちゃんを助けることができたらラッキー程度のことだった。

 この状況になることはわかっていた。

 一度経験したから。

 このあとソルティライトがばっちゃんと一緒に塩漬け睡眠で仮死状態になるはずだ。

 45度に傾くV字の主塔で俺は必死に踏ん張っていた。

 人工心臓移植装置は主塔の監視カメラに引っかかっている。今にも東京湾に落っこちてしまいそうだ。その地点まですべり台を滑るように慎重に向かう。俺は人工心臓移植装置に手を伸ばす。

 あと20センチのところで俺は気づく。

 シロヤギが折れた鉄骨の先端にぶら下がっていた。自重で鉄骨が曲がっている。シロヤギの心臓のタイマーがチッチッチッと寸分の狂いなく鳴っていた。

 そうだ。

 未来の博士の話によればシロヤギの自爆によってレインボーブリッジは崩落したのだ。

 俺は心のどこかではやく東京湾に落ちろと願っていた。

 当然だろう。ここで自爆されれば俺もろとも吹っ飛んでしまう。

 だからはやく東京湾に沈んでくれ。

 どのみちレインボーブリッジは崩落するだろうがここで爆発されるよりもマシのはずだ。

 とそこで監視カメラに引っかかっていた人工心臓のメタルケースが主塔の振動によって横に動き始めていた。


 このままではズレ落ちてしまう。

 はやく回収しなくては……。

 俺はめいっぱい左手を伸ばした。


「届けえ!」


 横目にはいやでもシロヤギが映り込む。

 シロヤギのしわくちゃの手は冷たい鉄骨にかろうじてかかっていた。

 このままでは埒が明かないと判断を下したシロヤギは鉄骨に這い上がろうとした。すると自重が鉄骨の一点にかかる。ついには鉄骨はへし折れてしまった。そのままシロヤギは東京湾に落ちていく。


 次の瞬間、大爆発が起こった。


 白鯨の潮吹きのように海水が跳ね上がる。レインボーブリッジが軋みをあげて、唯一吊り橋を繋ぎ止めていたソルティーネットははち切れる。レインボーブリッジは背骨を抜かれた白鯨のように崩落した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る