第40話 心臓ウーパーイーツ

 夏休み最終日。

 ばっちゃんが誘拐される日。

 そして、太平洋大震災が発生する日だ。

 ついにこの日がきた。

 俺は博士たちとは入れ違いで飛鳥神社に足を運んでいた。苔むした石灯籠の陰からのぞく。

 とある和室を監視する。

 ばっちゃんに添い寝しているヤモリを発見。

 ちょうどヤモリが十六夜小学校に向かうところだった。


 それと入れ替わるかたちで、境内に翅の生えたカメシマが着陸した。

 こっちはカメシマ3000のほうだ。俺が乗って過去に飛ぶはずだった機種である。

 俺の代わりにカメシマから降りたのは言わずもがな、シロヤギだった。

 白いあごひげをしごいている。一直線にばっちゃんの寝室に向かった。

 瞬間的に俺は頭に血が昇るのを感じた。


「あの野郎、ここでぶっ殺してやんよ」


 しかし、心の中の博士がたしなめる。

 冷静になれ。

 まずは最悪を想定し、次に最善を尽くしたまえ。


「ああ、そうだな」


 俺は独り言を呟いた。

 空車となったカメシマ3000に忍び寄り車内を物色する。

 甲羅ドアは開けっぱなしだった。


「だれしゃめ?」


 突如モニターが起動してサメタマAIが尋ねた。

 俺は人差し指を唇に当てる。


「シーッ!」

「しゃめ?」


 そして俺は後部座席の人工心臓移植装置を回収した。それから境内を歩き、ばっちゃんの寝室に向かう。道中、縁側の軒下に人工心臓を隠す。無作法だが安全靴を履いたまま縁側に上がる。

 障子に沿いながら寝室に近付き、のぞき込むと案の定シロヤギがいた。ばっちゃんが眠る蚊帳の前で仁王立ちしている。その手にはガムテープが握られていた。

 俺は悟られないように息を殺す。

 それから覚悟を決めてシロヤギの背後に襲いかかった。


「――ッ!」


 背後から組み付き、首を絞めてチョークスリーパーを極める。


 そこで気づいたが、アンドロイド相手に首を絞めて意味はあるのだろうか?


 俺がそう思い至ったときにはシロヤギは背中を丸めていた。そして強靱な脚力で垂直跳びする。俺の後頭部と背中は天井に激突した。老朽化の進んだ天井に穴が空き、部屋の豆電球が一瞬消えた。

 思わず、俺は手を離してしまう。


「な、なんばしよっと?」


 そのタイミングでさすがにばっちゃんも飛び起きた。

 しかし、俺とシロヤギはばっちゃんの蚊帳の周囲をぐるぐる回って間合いをはかる。

 互いから目を離さない。

 先に動いたのはシロヤギだった。

 奴は跳躍すると慣性を利用して天井に足を着き、張り付く。蚊帳の上をすり抜けてこちらに向かって飛び蹴りを繰り出してきた。

 相変わらず人間業じゃねえ。

 俺は畳を転がり、間一髪かわす。俺の代わりに飛び蹴りを受けた畳がえぐれていた。

 さらに追撃を仕掛けてくるシロヤギ。俺は縁側に一度出てシャーッと障子を引く。

 シロヤギとの間に障壁を作った。


「こんな薄いドアでプライバシーを守れると思っているのじゃから滑稽じゃのう、人間は」


 しかしお構いなしにシロヤギは蹄のような掌底を繰り出してくる。俺は障子を右に左にスライドさせてシロヤギの掌底を避ける。そのたびにバスッバスッ! と障子が突き破られた。いくつも穴が空く。ついにはシロヤギは障子の枠ごと突き倒す。穴からのびた冷たい手に青い獅子舞の喉が捉えられた。首を絞められたまま俺は体を持ち上げられる。

 途轍もない怪力だ。

 青い獅子舞の仮面が赤く染まってしまうほどに苦しい。

 息ができない。

 俺は泡を吹いて白目を剥いてしまう。


「や、やめんしゃい!」


 ばっちゃんの今にも泣き出しそうな声が木霊した。

 その次の瞬間、縁側を猛スピードで駆ける獣がいた。俺の足下をすり抜けてそのままシロヤギの足首に噛みつく。

 それはパンDだった。


「な、なんじゃ!」


 意外にもシロヤギは猫一匹に取り乱していた。


「シッシッ! あっちいくのじゃ!」


 もしかしたらアンドロイドに猫の行動データはインストールされていないのかもしれない。

 シロヤギが足を振っても噛みついたまま離れないパンD。

 しびれを切らしたシロヤギは俺の首からパッと両手を離した。

 俺は体感半日ぶりに肺を空気で満たしたが、うまく呼吸ができずにその場でうずくまることしかできない。

 それからシロヤギはパンDの首根っこを掴むと躊躇なく放り投げた。パンDは蚊帳に爪を立てて掴まり、ビリリリーッと引き裂く。


「手こずらせおって」


 引き裂かれた蚊帳に這入り、シロヤギはばっちゃんを肩に担いでとんずらする。


「待ち、やがれ……!」


 うずくまったままの俺は悪足掻きとわかっていながらシロヤギの足を掴む。しかし簡単に振り払われた。

 そのままシロヤギは飛鳥神社の境内の闇に溶けていってしまった。

 力なく空を撫でる俺の手をサメ肌のような舌が舐める。そのパンDの頭を撫でてから俺は自身の喉をさする。手形がついてそうだ。

 するとドタドタと廊下を伝って足音が響いた。


「なんの騒ぎ? 恋のから騒ぎ?」


 遅れて韻を踏みながらグラサン神主が駆けつける。

 俺は縁側から飛び降りて軒下の人工心臓移植装置を回収すると尻尾を巻いて逃げた。


「ちょっ、待てよ! ちよこれいと、グリコ!」


 神主の声を振り切って飛鳥神社の境内を突っ切る。


「さて、これからどうしたもんか」


 シロヤギはカメシマ3000に乗ってレインボーブリッジに向かったはずだ。

 予想通り、カメシマ3000は跡形もなく消えていた。

 そこで俺は駐輪場に目が留まる。

 懐かしの郵政カブだ。

 しかし、郵政カブを使いたくなる気持ちをグッとこらえる。

 この郵政カブは過去のヤモリが乗るはずだ。

 俺は仕方なくその隣のオンボロ自転車に跨がった。荷台にはウーパーイーツのバッグ。そこに人工心臓を詰め込んでギコギコと走る。接触の悪いライトがチカチカ点滅する。この時代の裏道をつかった最短ルートは頭に入っている。

 バイトした甲斐があったぜ。

 夜道をノーブレーキで駆け抜けた。

 レインボーブリッジに到着すると自転車を歩道に乗り捨てる。歩道から関係者以外立ち入り禁止の柵を乗り越えた。メインケーブルの固定されたアンカレッジに足を踏み入れる。主塔内部のエレベーターは鍵がかかっており使用不可。

 俺はライトアップされた主塔を見上げた。


「ヤモリの名は伊達じゃねえぜ」


 俺は意を決して極太のメインケーブルに足をかけた。

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