第42話 奇跡の手
俺は目を開ける。
そして、気づけば――俺はシロヤギの手を握っていた。
つい今しがた見た光景は妙にリアルな幻覚だった。
いや、違う。
あれは本当にあった出来事だ。
デジャヴとでもいうのだろうか。
しかし今現在、この世界線ではまだシロヤギは自爆しておらず、レインボーブリッジは崩落していなかった。
頭ではわかっている。
しかし、俺の心は違う答えを導いていた。
シロヤギの代わりに人工心臓移植装置がポチャンと東京湾に沈んでいく。
「……どうしてじゃ?」
シロヤギは本当に理解できないという表情を浮かべている。
「いったいなぜじゃ、どういう――」
「知らねえよ……! 勝手に体が動いちまったんだよ!」
俺は何に対してなのかわからない怒りをパワーに変える。右手で編目状の足場を掴み、もう一方の左手ではシロヤギの左手を掴んでいた。義手が悲鳴をあげる。
皮肉なものだ。
つい先ほど左手を自切するほどの覚悟で突き落としたはずなのに……。
いざ目の前で落ちようとしている元局長を放っておけなかった。
いちおう警察大学校を中退してフラフラしていた俺を拾ってもらった恩もある。
そこに打算があったとしてもだ。
青い獅子舞のがま口からシロヤギを見下ろす。
シロヤギと目が合った。
「なんじゃ、きみじゃったか」
どこか納得したようなシロヤギ。
すげえ癪に障る。
「手を離すほうが身の為じゃ。自爆に巻き込まれたいのか?」
「解除すれば二人とも助かるだろ……!」
「それはできん相談じゃな。時限爆弾を解除するためには
この時代に来た意味も忘れることになる、と。
依然として自爆心臓は止まらない。チッチッチッ。寸分の狂いもない鼓動は鳴り止まない。
もし鼓動が止まるときがあるとすれば、それは爆発するときだ。
心臓を縁取る赤い光の目盛りが少なくなっている。
残された時間は少ないことを示していた。
「なぜじゃ?」
シロヤギは目を伏せる。
「いくら考えてもわからん。なぜこの状況でわしを助けるんじゃ?」
「さあ、なんでだろうな」
たぶん、それは……俺が人間だからだ。
どうしようもなく人間なんだ。
「合理的とかじゃねえんだ。お世話になった人を見捨てることなんてできねえ。人種とか種族とか関係ねえよ! 助けたいから助けるんだ!」
「わしと同機種のアンドロイドはいくらでもいるが?」
「うるせえ! あんたはあんたしかいねえよ!」
心底ムカつくけどな!
第三の就職氷河期のなか俺を雇ってくれたのはあんただろうが!
「ただ今のあんたは生きている! それが現実だ! 生きたいから生きるんじゃねえ! 生きているから生きるんだ!」
「ふたつはどう違う?」
「死にたいから死ぬんじゃなくて死んでいるから死ぬってことだ。状態があれば心はあとからついてくるってことだ」
もっと遠くの未来で差別を受けたアンドロイドに感情が宿ったのもそういうことだろ。
「だから、これ以上自分を人質にすんじゃねえ!」
だいたい心臓に自爆装置が埋め込まれてるなんておかしいだろ。
だったら嫌だ。おかしい。って、言っていいんだよ。
生きてんだから。
素直になれよ。
「ヤモリ……くん」
俺の義手を掴むシロヤギの左手の握力が強くなった気がした。
よし、ここだ!
「気合い入れて掴まっとけよ!」
そう言った次の瞬間、俺はシロヤギを思いっきり引っ張り上げた。
しかし、力を込めて踏ん張った刹那――義手がスパークする。
停電中のレインボーブリッジに閃光が迸った。目が眩むと同時に、俺の義手とシロヤギの手が離れた。磁石の同極を合わせたように弾かれた。
主塔の上にふたりとも転がる。
「なにが起こったんだ?」
まさか俺とシロヤギの心と体が入れ替わってたりしてたら許さねえぞ。
「なんじゃ、これは……わしの手じゃない。これはヤモリくんの手じゃ。もしかして、わしら――」
「入れ替わってねえから!」
しかし、シロヤギが勘違いしたのも無理はない。
なぜならシロヤギが右手に持っていたのは切断されていた俺の本物の左腕だったからだ。
先ほど未来に飛び立ったヤモリの左腕であり、70年前に自切した俺の左腕でもある。切断面から流れる血は赤黒く酸化して固まり始めていた。
シロヤギは律儀にも左腕を持ち主に返却してくる。
「いるかのう?」
「今さらいらねえよ!」
俺はついつい売り言葉に買い言葉でそう返してしまった。
「そうか」
すると、シロヤギはポイッと俺の左腕を海に投げ捨ててしまう。
俺は主塔からガバッと身を乗り出してレインボーブリッジの下をのぞき込む。
下の東京湾ではサメが円を描いていた。
「俺の腕がァ……!」
自切したときよりも目の前でゴミのように捨てられるほうが精神的ダメージでけえよ。
「おめえに人の心はねえのかよ!」
「アンドロイドじゃからのう」
そうだった。
言葉の綾など通じるはずもない。
シロヤギと普通に会話していて、ふと気づく。
自分の左腕に気を取られて忘れていたが、シロヤギの自爆心臓のタイマーは停止していた。
「つーか、あんたの心臓のタイマー止まってねえか?」
「じゃのう」
「なんで……起爆してねえんだ?」
「わしにもわからん」
まさかアンドロイドに善の心が宿って自爆を制御したとでも?
そんなお涙頂戴のご都合主義が起こるだろうか?
シロヤギは自身の左手のひらを穴が空くほど見る。
「ただあのとき、ヤモリくんと手を繋いだとき……」
「なんだよ?」
「いいや、なんでもないわい」
シロヤギは何かを呑み込むように左手のひらを握り込んだ。
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