第38話 亀酔い

 ガタンガタン、ガコンガコン。

 

 俺は両膝を抱いて丸まっていた。狭い暗所で揺られる。


 ガタンガタン、ガコンガコン。


 俺は今ダンボールの中に詰められていた。


 まさか郵便局員が配達物になる日が来るとはな。

 まるでドナドナの気持ちだ。

 博士発案のダンボールソルト区侵入大作戦である。


「その義手に僕の個人IDも仕込んであるから入区できるはずだ。僕はソルト政府には顔が利くのでね」


 とのことらしい。

 そんなわけで俺はダンボールに収まってシロヤギ郵便局から郵送された。

 小柄でよかったぜ。いや、良くねえけど。

 トラックから積み降ろされてベルトコンベアーで流される。X線で見られるんじゃなかろうか。そんな俺の心配は杞憂に終わった。

 このダンボールがどういう経路を辿っているのか正確にはわからないが、ソルト人に引き渡され、ソルトキャッスルのどこぞに運び込まれた。


 つーか頭がボーッとしてきた。

 酸欠状態だ。

 俺は持ち手穴に口を近づけて息をする。

 酸欠金魚の気分だった。

 生命維持ベルトがなければとっくの昔に失神していただろう。


 しかし、それももう限界だ!


 窒息しそうになった俺はダンボールから勢いよく飛び出した。


「すぅーはぁーッすぅーはぁーッ……!」


 久方ぶりに深呼吸する。

 ゆっくり目の焦点を結ぶと、そこは白い部屋だった。

 岩塩の大理石。ウォーターベッドのような天蓋クラゲベッド。他にもタカアシガニ机とタコ椅子。昆布カーテン。クリオネの群れが鈴なりになったシャンデリア。珊瑚の燭台。 

 目に入るものがすべて白い。まるでかまくらのようだ。白い蝋燭に青い火が灯っている。

 そんなだだっ広い部屋になんと見知った顔があった。


「ソルティライト?」


 実に70年ぶりの再会だ。

 しかし、ソルティライトの黒い複眼に感傷の色はひとつもなかった。


「誰? あなたは?」

「え?」


 あーそうか。

 まだこの時点では俺とソルティライトは会ってすらいないのか。


「えーっと、俺は……忍壁家守。月光時幸村の孫だ」


 俺は正直に話した。

 疑われて面倒事になるのはごめんだ。


「今度は俺が聞いていいか。ここはどこだ?」

「ソルトキャッスル。私の部屋」


 すげえ広さだ。

 腕っぷしの強さで忘れそうになるが、いちおうお姫様だもんな。

 博士の手引きがあったとはいえ、俺はダンボールで単身ソルトキャッスルに潜入したのだ。

 ソルティライトの足下にはカルシウムの殻を被ったサメがいた。


「よう、久しぶりじゃねえか、サメタマ。元気してっか?」

「おまえみたいな死んだトカゲの目は知らないしゃめ」

「釣れねえな。噛みついちまうぞ、コノヤロー」


 俺は青い獅子舞の大口を開いて、ガジガジとサメタマの頭蓋に噛みつく。


「なにするしゃめ!」

「獅子舞に噛まれるのは縁起がいいんだぜ? 噛みつくと神憑くでかかってんだよ」

「はあ? これだからチキュウ人は意味がわからないしゃめ」


 サメタマもまだ生きている。

 ふたりともまだ……。

 俺が柄にもなく感傷に浸っていると、ソルティライトは問う。


「目的はなに?」


 俺はその質問には答えず、代わりに別の問いを投げかけた。


「飛ぶんだろ? 2024年に」

「なぜそれを?」

「それに俺も連れて行ってくれ」


 これが博士の作戦プランB。

 この時代のソルティライトとともにカメシマ2000に乗って過去に戻る。


「過去に何をしに行くつもり?」


 ソルティライトを助けに行くなんて言えるわけがない。


「どうだ。ひとつ取り引きしないか?」

「取り引き?」

「俺もあんたらが何をしに行くか聞かねえ。だから俺にも聞かないでくれ」


 まあ俺はソルティライトたちの目的を知ってるんだけどな。博士を助けて桜痘ワクチンを作り、ソルト人の絶滅を防ぐという話だ。

 しかしサメタマAIによれば、それはソルティライトの本当の目的ではないらしいが。

 沈思黙考したあとソルティライトは一言だけ答えた。


「イエス。成立、取り引き」


 突如、光学迷彩が解けて岩塩の大理石の上にカメシマ2000が露わになった。

 すでにスタンバっていたとは……。

 これ以上にないベストタイミングだった。

 さっそくソルティライトは乗り込むが、サメタマは納得していない様子。


「こんな死んだトカゲの目をしたやつ、ほんとに連れて行ってダイジョウブしゃめ?」

「それが条件。タイムマシンの使用権限を譲り受けたことの」


 どうやら博士が話を通していたらしい。

 操縦席にソルティライト、俺とサメタマは後部座席に座った。サメタマはそっぽを向く。

 ソルティライトは四次元エンジンをかけて2024年8月15日に設定する。

 俺がソルティライトたちと出会った日だ。


「亀酔いに気を付けて」

「かめよい?」


 聞き返す俺を無視して、ソルティライトはタイムトラベルのスタートボタンを押した。

 カメシマの周囲の時空が歪む。

 そして次の瞬間には別次元へワープしていた。


 透明な甲羅の外は時計の海である。

 無数の時計が時を刻んでいる。あふれかえった時計は寄り集まり、とあるものを形作る。

 それは目が時計の巨大なクジラだった。


 しかし、俺はそれどころではない。

 ひどい吐き気を催した。胃酸がせり上がる。脳が揺れた。耳鳴りもする。


「ヴォエッ……!」

「しっかりするしゃめ!」


 サメタマに背中をヒレでさすられて、俺はかろうじて正気を保つ。

 虚ろな眼で甲羅の外を見るともうひとりの自分を見つけた。目をこすってみるが、どう見ても俺だった。郵政カブに跨がっている。どうやら幻覚も始まったらしい。


 ……いや違う。

 あれはあのときの俺だ。

 1回目タイムスリップした、あのときの。


「すまん、ソルティライト。あいつも連れて行ってくれ」


 俺がそう言うと、ソルティライトは逡巡しているようだった。

 まさにそのとき、時鯨が旋回した。

 そしてなんと郵政カブに向かって大口を開けて突っ込んでくるではないか。

 時間のないなかソルティライトは決断を下す。カメシマは時計の海に溺れかけている俺の前に躍り出た。カメシマのお尻から牽引ロープを放つ。郵政カブのハンドルに引っかけて誘導した。

 まさか過去の自分と一緒に過去に戻るとは、俺もヤキが回ったものだった。


 そのまま郵政カブを牽引するカメシマは時鯨に呑み込まれた。

 時鯨の口、胃袋、腸管を通り抜けて俺たちは過去に排泄される。

 道中、時計の針がひっかかり牽引ロープがちぎれたが、そんなことを気にする余裕もない。

 もみくちゃにされながらクジラの肛門からまぶしい外の世界がのぞいた。

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