第31話 ヤモリの尻尾切り
最悪のタイミングか、絶好のタイミングか、神は知ってか知らずか。
この日、日本列島に激震が走った。
レインボーブリッジの主塔は不安定な高所である。その場の誰も立っていられなかった。どころか宙に浮かぶほど揺れた。
シロヤギはダブルガンを取り落とす。
バキッギシッギギギギギィー!
と、吊り橋が軋み、不協和音が鳴り響く。
ブチブチと吊り橋を吊っているケーブルが寸断された。地球の鳴動が全身に伝わる。そしてついにはパッカーンと主塔は割れた。鳥居で言えば上辺の真ん中がV字に割れるかたちである。つまり中心に向かって主塔の上辺は傾き始めていた。
激震は1分ほど続いた。
俺は付近の鉄骨に掴まりなんとか耐える。割れた主塔の真下にはレインボーブリッジがのぞく。首都高速11号台場線はひび割れて陥没し、ゆりかもめのレールが剥き出しになっていた。顔を上げると大都会の夜景がパッと消えた。停電したのだろう。加えて俺の三半規管がイカれたのか、今にも吐きそうだった。
このままでは主塔どころか、レインボーブリッジが崩落するだろう。
心臓を失くしたばっちゃんが滑り落ちようとしていた。近くには博士もいた。
俺と博士はほとんど同時に手を伸ばした。
「ばっちゃん!」
「ヒバカリ!」
しかしばっちゃんの指先に触れたのみでギリギリ手が届かない。
そのままばっちゃんは主塔から滑り落ちていく。
すべてがスローモーションに見えた。
俺が諦めかけたそのとき、無感情な声が聞こえた。
「ソルティーネット」
突如、レインボーブリッジの主塔から下の道路にかけて、なんと巨大な蜘蛛の巣が張られたではないか。ばっちゃんはその白い糸に絡めとられてミノムシのようにぶら下がった。
こんな芸当ができるのはひとりしかいない。
蜘蛛の巣の中心にはソルティライトが陣取っていた。口から白い糸を吐いて吊り橋の崩落を食い止めている。
なんという強度の糸だろう。
まさかこんなセーフティネットを隠し持っていたとは……宇宙人は底が知れない。
俺が安堵したのも束の間、ガタン! と主塔が急激に傾く。あえなく俺と博士は落下した。
大地震のときにこんな場所にいたのが運の尽きである。
当然といえば当然の結果だ。
ソルティーネットの隙間に落ちていくと、今度はUFOのような乗り物が高速で接近した。停電した夜空をふたつの目のヘッドライトが泳ぐ。
カメシマだ。
サメタマがスイステ5のコントローラーを操作してプロゲーマー顔負けの運転捌きで幅寄せしたのだ。落下する俺と博士を難なく回収した。カメシマの乗り込み口である甲羅は開いている。その中からレインボーブリッジを空撮ヘリのように見下ろす。
蜘蛛の巣の中心にソルティライトが見えた。
彼女は踏ん張りながら口を開く。
「行って。未来へ」
「ソルティライト、おまえは?」
「待ってる。ずっと」
ソルティライトはいつものように倒置法でそう言った。
この状況でソルティライトは連れていけない。
俺と博士とサメタマで未来に戻り、立て直すしかない。
俺がそう腹を決めたところで、不測の事態が起こる。
「黙って行かせるわけがなかろう」
シロヤギは
山岳をかける山羊のように四つ足で主塔を駆ける。そしてジャンプした。指先の一本がカメシマの甲羅に引っかかる。しかしアンドロイドにはそれで充分だった。
自重を軽々持ち上げて上半身だけ乗り込むとカメシマが傾いた。シロヤギは片手で体を支えて、もう一方の手で近場の博士とサメタマを掴み、問答無用で外へ放り投げた。
「未来へ飛べ! ヤモリ!」
空中で博士は叫びながらレインボーブリッジに落ちていった。
一方、サメタマは「水こわいしゃめ~!」と、言いながら東京湾にポチャンと落ちた。
操縦席に乗り込む俺の左腕を冷たい手が掴んだ。およそ人間の握力ではない。
「離しやがれ、このブリキ野郎」
俺はカメシマを操縦して振り落とそうとするが、シロヤギはカメシマの甲羅の縁に片手だけでぶら下がり落ちない。
「ジ・エンドじゃよ、ヤーモーリーく~ん」
そう言ってシロヤギがループタイを緩めて胸元を晒す。
「たった今、わしの
たしかに剥き出しになった心臓のタイマーがチッチッチッと時を刻んでいる。
「タイムマシンもろとも自爆するつもりかよ」
俺は天を仰ぐ。
それから東京23区を見下ろした。
巨大ビルの窓が割れて、スカイツリーがポッキリ折れていた。
あんな一瞬で街が壊れてしまう。まるで怪獣が襲来したようだ。理解が追いつかない。頭がおかしくなりそうだ。
こんな世界、認めてたまるか。
とそこで、俺はレインボーブリッジの空中のキラッと光るものに目が留まった。
これしかねえ。
せっかく修理してもらったタイムマシンを壊させるわけにいくかよ。
突如、俺はカメシマを急発進させた。
「どこへ行く気じゃ?」
「決まってんだろ。未来だよ」
「嬉しいのう。この老いぼれと心中してくれるということかね?」
カメシマにぶら下がるシロヤギは手を離す気配はない。
構わず、俺はコントローラーのR2ボタンをさらに押し倒してカメシマを加速させた。
飛行するカメシマの直線上にはピンと張られた白い糸。
それはまるで天から垂らされた一本の蜘蛛の糸だった。
「馬鹿が。ウルツァイト窒素ホウ素合金のわしの腕が切れるとでも?」
「知ったこっちゃねえよ。ただな、人間なめんなよ」
俺はシロヤギに掴まれた左腕を引くのではなく、逆にめいっぱい伸ばした。
「……な、何をする気じゃ?」
「ロボットにはできねえことだよ」
ロボット三原則によりロボットは自分を傷つけることはできない。
でも、
俺は速度を緩めずに右手に握るコントローラーで角度を微調整する。そしてレインボーブリッジにピンと張られたソルティーネットに突っ込んだ。煌めく糸に俺の左腕を通す。
刹那、スパッと自切した。
痛みも感じないほどの早業だった。
読んで字のごとくヤモリの尻尾切りである。
その際にカメシマの左ヒレも切断されてしまったが仕方ない。
「墜ちろッ……!」
その自切された俺の左腕を掴んでいたシロヤギも当然落ちていく。
さすがのシロヤギも空は飛べない。
そのままレインボーブリッジに落ちていった。
俺は自身の左腕とシロヤギを見送る。そしてコントローラーの中心にある時計のマークの描かれた赤くて丸いボタンを押し込んだ。
コントローラーを放り投げて右手で左腕の出血部位を押さえる。
今にも意識が飛びそうだ。
しかし一息吐く間もなく、カメシマが発光を始めた。
透明な甲羅がオープンカーのように全自動で閉まる。俺は顔を起こすと大規模停電によって死んだ夜景に二本のシルエットが見えた。
この時代に来なければ東京タワーの赤さもスカイツリーの高さも知ることができなかった。
カメシマの体全体からダイヤモンドダストがキラキラと夜空に振りまかれる。時間菌が高速回転して活性化している。人が死んで時間が食われている証拠だ。
2024年9月1日、0時00分ジャスト。
泣く泣く俺はタイムマシンで、ひとり未来に逃げ帰った。
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