第17話 もうお嫁にいけない

 そうしてまた俺とばっちゃんのふたりの時間が始まった。

 ソルティライトと入れ替わるようにして朝日が昇ってくる。

 先ほどまで暗かったのに、この時代の日の出はあっという間だ。

 というよりいつの間にか俺は座りながら眠っていた。本人的には目を瞑っていただけなのだが。まどろみのなかで鳥の鳴き声が聞こえる。


 それに混じってドタバタという足音がうぐいす張りの廊下に響く。

 そのただならぬ足音で俺が目醒めるのと障子が開かれるのは、ほぼ同時だった。

 その来訪者は博士だった。

 目の下には濃いクマができている。そしてなんと手には薬液の入った注射器が握られていた。

 そこで俺はピンとくる。


「博士、まさか……?」

「うむ。桜痘に有効性のある抗生物質サクラコウジが完成した」

 

 それからおもむろに博士は布団に寝ているばっちゃんの左腕をとる。

 何匹ものヘビがデザインされているパジャマの袖をまくり上げた。


「おい、何する気だ?」

「見てわからないかね?」

「素人が注射していいのかよ?」

「僕を誰だと思ってる? 天才だぞ?」

「天才なら何しても許されると思ってたら大間違いだぞ、月光時」


 俺はスズメバチの針のように鋭く博士を睨む。

 それにはまったく動じずに博士は答える。


「僕のことは博士と」

「そんなことはどうでもいい。今、おまえは寝不足と抗生物質の完成でおかしなテンションになってんだよ。早まるな」


 正直、博士が抗生物質を本当に完成させるとは思わなかった。


「だが、僕の理論は完璧だ。それにこれ以上目覚めなければ――」

「人生はおままごとじゃねえんだ。注射ポンポン打って元気になるもんでもねえだろ」


 天才っていうのはどうしてこうも頑固で利己的で自信過剰なのか。

 俺と博士が言い合いしていると、布団の中でゴソゴソと動きがあった。


「ユキムラ、注射してくれたと?」


 なんとばっちゃんが目を醒ましたのだ。

 俺と博士は互いに目を合わせる。

 熱はまだあるようだが、何はともあれ、ばっちゃんは桜痘に打ち勝ったようだ。


「いや、打つまでもなかったようだ。よい実験台だと思っていたのだがね」


 注射器を隠すように両手を後頭部に回す博士。

 大きめの白衣の袖が下がり生白い左腕が露出する。そこには注射針を打った痕がいくつもあった。

 まるで薬物中毒者だ。

 ばっちゃんのためにここまでするとは……。

 やはりこの少年、マッドサイエンティストだ。

 同時に博士の天才性と紙一重の狂気を俺は見た気がした。


「じゃああとは任せたよ、ヤモリ」

「お、おう。博士はどうするんだ?」

「僕は寝る」


 いいかげん睡魔が襲ってきたのだろう。

 その白い後ろ姿にばっちゃんは言葉をかける。


「ユキムラ、ありがとね」

「ふむ、きみは貴重な実験台だからね。健康体じゃないと困る」


 そんなことを言いながら博士は部屋をあとにした。

 ばっちゃんは上半身を起こそうとするが、俺は華奢な両肩を押さえてそれを制止する。


「まだ寝とけって」

「う、うん」


 ばっちゃんは寝たまま俺を上目遣いで見やる。


「イエモリもありがとう」

「ヤモリだっつの」

「うん。ありがとう、ヤモリ。うちのために……」

「いや、まあ俺は……」


 自分のためだけどな。


「……ヒバカリちゃんが無事じゃなきゃ寝覚めが悪いからな」


 というより俺はこの世に目覚めることすらできない。

 あんたがここで死んだら俺の父親は生まれないし、当然俺もこの世に生まれないんだぜ。

 だからこそ未来の俺は消えかけていたのだろう。

 そして母親から先に生まれた兄貴が一足先に消えた、と。

 おそらく俺は消える直前にこの時代に来られたから消えずに済んだのだ。

 とそこで、ばっちゃんは自身が巫女服を着替えていることに気づいたらしい。


「もしかしてん、うちの裸見たと?」

「ちゃんとは見てないから安心しろ」


 ばっちゃんはカァッと頬が紅潮する。

 熱が上がったのかもしれない。


「もうお嫁にいけない」

「いや、いけるだろ」

「なんでわかると……って、まさか俺が責任取ってやる系?」

「は?」


 この年頃の娘というのはどうしてこうもひとりで突っ走るんだ。

 まあ、それが若さか。

 ばっちゃんから若さを感じるとは思わなかったぜ。

 でも、そういえばばっちゃんはじっちゃんと籍は入れてなかったんだっけか?


 もしかして……俺のせい?


 俺が裸を見たせいでじっちゃんと一緒になれなかったのか?

 そんなバカな。

 しかし、あんまり過去に干渉しすぎるのはまずいことは確かだろう。

 ばっちゃんは頬を赤らめたまま続けて言う。


「あんた、あんとき……うちのこと、かわいい女の子って言っとったやろ?」

「あ?」


 どのときだろう?

 あー思い出した。

 博士にばっちゃんと無関係だってけしかけられたときか。


「言ったかもな」

「やっぱい、夢じゃなかったっちゃんね」

「でもあれは売り言葉に買い言葉のポジショントークというか、だな」


 俺は困り果てた挙げ句、強引に話を打ち切った。


「とりあえず今は休め」

「うん」


 ヒバカリは素直に従って布団をかぶる。

 どうやら恥ずかしいのか掛け布団で顔の半分まで隠していた。

 やれやれ。

 なんだか面倒なことになってきたぜ。


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