第16話 ヘルクルス座球状星団M13

 畳敷きの部屋の真ん中に布団が敷かれている。

 布団の上にはばっちゃんが眠っていた。額には濡れタオルが当てられている。

 部屋の隅には赤いリュックサックがあった。ヘビのような蛍光色の縄跳びが垂れている。


「ばっちゃん、縄跳び好きだったんかな」


 俺はひとり呟いた。

 エアコンの稼働音とばっちゃんの呼吸音だけが部屋に響く。

 俺はばっちゃんのこめかみの汗を拭いたのち、氷水の入った桶から濡れタオルを交換する。

 ばっちゃんの指先にはパルスオキシメーターがつけてあった。これで血中の酸素飽和度を測るのだ。93パーセントと表示されている。

 看病の手を止めて、ふと俺は思い出す。


 むかし俺が子供のころ高熱を出したとき、ばっちゃんに看病された記憶がある。その日は両親の帰りが遅く、兄も部活の遠征で家にいなかった。でもばっちゃんだけは俺の傍にいてくれた。つきっきりで看病してくれた。

 今となっては懐かしい思い出だ。

 今こそその恩返しをさせてもらうぜ、ばっちゃん。

 博士のほうも三日三晩ラボに閉じこもって研究実験を繰り返している。睡眠もろくにとってないだろう。孫の俺が寝るわけにはいかねえ。

 そう思っていると、月明かりに照らされて障子の向こうの縁側に触覚の影が映る。


「近付くなと言ったのはおまえのほうだろ、ソルティライト」


 こんな触覚の生えた人物は他にいない。


「いったい何しに来た?」

「様子を見に」


 正座をしているのか姿勢がいい。

 というか、宇宙人も正座するんだな。


「刑部ヒバカリに死なれては困る」

「どうしてだ?」

「それは機密」


 あーそうかい。秘密主義の宇宙人っぽいぜ。

 しばしの沈黙が流れた。正直、気まずい。

 すると空気を読んだつもりではないのだろうがソルティライトは続ける。


「あなたは恨んでいる、ソルト人を?」

「なぜだ?」

「多大な影響を与えた。地球ほしに」

「自覚あんなら出てけや」


 と、いいたいところだが。

 ソルト人も地球の現状に意外にも思うところがあるらしい。


「すこし昔話してもいいか?」

「?」


 障子越しに首をかしげたソルティライト。

 かまわず俺は続ける。


「俺が10歳のとき、東京湾に落ちて溺れたことがある。海水をたらふく飲んじまってな。しょっぱくてよ。どんどん沈んでいっちまってさ、水面も遠くてもうダメかと思ったぜ。でもそこで海の中をクリオネみてえな白い妖精が飛ぶように泳いで来てな。俺を助けてくれたんだ。気づいたときには俺はテトラポッドに打ち上げられていた」

「そのあとは?」

「そのソルト人はどこにもいなかったよ。ただ……」


 そこで俺は言葉に詰まった。

 実は打ち上げられた直後、俺の唇には生温かさとおしろいのような鱗粉がついていた。

 しかし今は別に割愛していいだろう。


「ただ?」

「いや……それで、ばっちゃんや兄貴が俺のことを探し回って大騒ぎだったって話だ。父親の声かけで警察も総動員で俺を捜索していたらしい」


 迷惑をかけたが今となってはいい思い出だ。


「何にせよ、俺にとってソルト人は命の恩人だ。だから恨むとかはねえよ」

「そう」

「だいたい地球はみんなのものだしな。ソルト人との戦争じゃなく共生する未来を考えたい。過去に戻ってソルト人を絶滅させるなんてもってのほかだ」


 もしそうなれば、あのとき俺を助けてくれたソルト人も存在しなくなるってことだよな。

 そうなると俺も水難事故で死ぬってことになるのか。

 なおさらソルト人を地球から排除するわけにはいかねえ。

 もはやソルト人と人類は引き剥がせない関係性なのだ。

 とそこで俺はふとした疑問が湧く。


「そういえば、あんた何歳なんだ?」

「99歳」

「おいおい……嘘だろ」


 白寿かよ。

 年上じゃねえか。


「地球の時間では満25歳」

「なんだ、それを早く言えよ。タメじゃねえか」


 おそらくソルト星の1年は早いのだろう。


「ソルト星ってどこら辺にあるんだ?」

「地球からヘルクルス座球状星団M13方向の221光年先」

「マジか?」


 221年って最近どこかで聞いた数字だな。

 そうだ、素数ゼミだ。

 13年ゼミと17年ゼミの二種類が地上で一堂に会する年だ。


「これまた、そんな遠くからどうやって来たんだよ?」

「詳しくは機密」

「またそれか」

「関係している。タイムマシンにも」

「ふーん」


 宇宙船とタイムマシンは構造が似てるのかもしれない。


「221年ってことは宇宙船内で世代交代を繰り返したってことか?」

「違う。惑星間航行中は塩漬け睡眠を利用していた」

「へえ。冷凍睡眠コールドスリープみたいなもんか」


 仮死状態ってわけだ。


「だいたいなんでソルト星から地球に来たんだよ?」

「私がソルト星を発ったのは10歳のとき。ソルト星崩壊にはそれほど詳しくはない」

「やっぱりあんたらの星は住めなくなったんだな?」

「イエス。ソルト星は黒い雪によって汚染された」

「黒い雪?」

「重力を奪う雪」

「……そんなのあるのか」

「ある」


 ソルティライトは断言した。


「そのブラックインパクトによって、主星からも離脱することになった。ソルト星の重力体系は断ち切られたから。今となってはソルト星は宇宙のどこを彷徨っているのかわからない状況」

「なるほど」


 太陽の周りを回っている地球が太陽系外にすっ飛んでいくみたいなものか。


「その際にソルト人の一部は宇宙船、ソルト艦に乗船して危機を免れた。乗船者には優先的に選出された、身分の高いソルト人が」

「あんた、いちおうお姫様なんだっけ?」

「イエス」


 なんだかどの社会も生き残るのは金持ちや権力者のようだ。


「でも、よくそんな遠いところから地球を見つけられたもんだな」

「ソルト艦はとある電波暗号を受信した」

「電波暗号?」

「それは地球ではこう呼ばれている――アレシボ・メッセージ、と」


 なんか聞いたことがある。

 ソルティライトは自ら補足説明する。


「アレシボ・メッセージはフランク・ドレイクらが作成し、1974年に不特定の宇宙の知的生命体に対して送信された。方位はヘルクルス座球状星団M13」


 それから100年後の2074年にマジで地球に宇宙人が来るとは思わなかっただろうな。世界中が塩にまみれて錆びついてしまうとは夢にも思うまい。

 メッセージ送信者ももちろんくたばっている。

 続けて俺は重要な質問する。もっと早くにするべきだった。


「おまえの乗ってきたタイムマシンはどこにある?」

「〒2024‐0815東京都港区高輪3丁目4‐223」

「住所で言うんじゃねえよ」


 と、一般人なら言うところだろうが、俺には通じない。

 日夜、住所とにらめっこしている俺だ。だいたいの目星はつく。

 いわゆる職業病である。


「ん?」


 というかこの住所、つい最近聞いた覚えがあるぞ。

 あごに手を当てて俺が思い出したと同時にソルティライトは正解を口にする。


「施設名は港区立十六夜小学校」

「そうか」


 博士宛の死海手紙の住所がそこだったはずだ。

 なぜ差出人のアオイヤー・D・マスクはその住所に指定したんだ?

 謎は深まるばかりだが、小学校にタイムマシンがあるなら近々訪れることになるだろう。

 すると唐突にソルティライトは興味本位で尋ねてきた。


「摂取しない、人間は睡眠を?」

「どうしてだ?」

「そうだから。あなたが」

「あー俺ならだいじょうぶだ。夜行性だからな」

「なら、いい」

「もしかして心配してくれたのか?」

「……ワカラナイ、ニホンゴ」

「急に外国人気取りかよ」


 宇宙人なりの照れ隠しなのだろう。


「おまえこそ怪我人なんだから休めよ」

「そうする」


 障子の向こうのソルティライトの影が立ちあがる。

 影ということもあってまるで巨人のようだ。


「なさい、おやすみ」


 宇宙巨人は一風変わった文法で、そう一言漏らしたのだった。

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